第4話 作戦実行

 アースは今度は優しい風の吹き抜ける庭の東屋で、大臣達との会話を思い出しながら、フラウ姫の叔父との会見を終わらせてきたシー・リオンを出迎えていた。


 ――しかし、これは一体?


 皇帝となれば当たり前なのかもしれないが、周りに常に二十人ぐらいがずらりと武装してシー・リオンを警護している。


 扇の影で目を丸くしているアースに、シー・リオンは打ち解けた雰囲気を作ろうとしているのか。端正な面に穏やかな笑みを浮かべた。


「失礼。よく命を狙われるので」


 ――そんな和やかに物騒なことを!


 にこりと笑って、警護の者を二人から遠ざけるシー・リオンの姿に、さすがのアースも驚いた表情を隠すことができない。


「怖がらせてしまいましたか?」


「いえ……」


「ここに来る途中にも、狙われましてね。大陸の主街道でも昔ながらの細い道はたくさん残っているものですね」


 ――それは場を和ませようとして、している会話なのか⁉


 それにしては中身があまりにもふさわしくない。


 ――女性に話しかけるのなら、文学とか歌劇とかもっとあるだろうに!


 どれだけ女に興味のない人生を送って来たんだと、この一瞬でつっこみたくなってしまう。


 しかしシー・リオンはアースの側にすっと近寄ると、持ってきた箱を開け、中から美しい小さな真珠を連ねた首飾りを掲げてみせる。


 ――あれ、贈り物のセンスはまともだ……。


「女性に何がよいのかわからないので、部下に選ばせたのてすが、きっと姫に似合うと思うのです」


 ――それは言ったらダメだろう!


 嘘でもよいから、女性を口説くなら自分が時間をかけて選んだことにしておけと叫びたい。しかし、離れていこうとしていた警護の者達の、言っちゃったよと見交わすあまりにも残念な表情に、何もつっこむことができないではないか。


 けれど、はっとアースは本来の目的を思い出した。そして、扇の中で目を細める。


 ――とにかく今は嫌われることが最善だ!


「美しい品ですこと。でも――一つでは寂しいですわ」


 そして扇を顔の前で半分だけずらし、シー・リオンに微笑みかける。


「わたくし、常に身を飾るのは由緒正しい王家の姫にふさわしいだけの物でなければ、満足できませんの」


「ほう、ではどれほどの物をお望みか?」


 尋ね返すシー・リオンにアースは笑いかける。


「そうですね。宝石ならば、首だけではなく手も腕も同じ真珠で揃えたいですわ。もちろん、ルビーなら、ルビー。青い宝石ならば、青い石で。冠から衣、靴にまで散りばめてこそ、誰よりも高貴な女にふさわしい威厳が醸し出せると思いませんこと?」


 ――本音はそんなの重たくて真っ平だが!


 しかし、その言葉にシー・リオンは碧の瞳をきょとんと広げた。


「宝石は帝国中の貴族から献上されますからかまいませんが、それは衣装の洗濯が大変ではありませんか?」


 ――なんで問題点がそこ!?


 だめだ、こいつ女が身につける宝石になんの価値も感じていない。


 それに新しい征服者に媚を売っている諸侯が、それだけいるのも予想外だった。


 ――駄目だ。もっとお金を使って困らせることを言わないと!


「そ、それにわたくし、折角の広い帝国ですもの。あちこち見て回りたいですわ。夏には北に離宮をもうけ避暑に、冬は十六頭立ての馬車で南の諸領を。端から端まで見て回れば、宮廷で退屈な生活を過ごすのよりも楽しいと思いますのよ。いかがかしら?」


 ――皇后が旅行好きなら、宮廷は留守ばかりになるし、浪費する金は莫大! これならさすがにうんざりするだろう。


「それはよい考えですね。俺も正直宮廷は退屈だ」


 ――なぜ、そこで同意!?


 止めろよ、奥さんが夫を放っておく宣言をしているのに。


 しかしふとシー・リオンは目を細めた。


「しかし――皇后が、旅行するとなると、それなりに安全性が確保されたところでないと行かせられない。先ほども言った通り、帝国内の街道には細い道も多く、賊が出没して危ない道もある。俺はこの問題を早急に改善して、帝国内の物流や人の流れをよくしたいと思っているのだが――――姫君なら、どうされるのがいいと思う?」


 ――私なら?


「どうって……」


 暫くアースは口元に指を当て考え込んだ。


「改修には莫大なお金がかかりますわ」


「そうです。そして時間も。随時作り直すのにもかかるし、金を用意するのにもかかってしまう」


 ――それらを全て早く?


「私なら――」


 一瞬の呼吸の後、アースは持っていた扇を握りしめた。そしてシー・リオンを見る。


「私ならば……帝国中の諸候に宮廷に集まる時期を決め、毎年帝国全土から華々しい行列で街道を上洛させます」


「ほう」


 意外だったように、シー・リオンはアースの言葉に、目をぱちりと開いた。


「そうすれば、自国領内を通られる諸侯は、他の諸侯に侮られまいと街道の整備に自ら力を注ぎます。また都までの長い道中、泊まるところも必要になりますから、自ずと宿場町ができ、そこで使うものを運ぶため、商人たちの往来もさかんになります。そうすれば諸侯の国も潤い、ますます街道の整備に力が注がれることになるでしょう。費用と時間。さすれば帝国はどちらもかけずに、街道を整えることができるかと思います」


「それは名案だ!」


 言葉を終えるのと同時に、破顔したシー・リオンの表情にアースは一瞬目を奪われた。


 ――なんて子供みたいな笑みを浮かべるのだろう。


 笑えば、今でも幼いシリオンの面影が鮮やかに甦る。


「俺は、正直に言えば姫のそのブルーシュ王家の血が欲しかった。だが、今は姫君のその賢さと気高さに敬意を払う」


 ――え? なに?


 自分の側に座ったシー・リオンはアースの手を取ると、まるで恋い焦がれるように黒い瞳を覗き込む。見つめる碧の瞳にアースの心臓が大きく跳ねた。


「姫君には申し訳ないが、結婚の申し込みを訂正しなければならない。俺には、幼い頃絶対に迎えに行くと誓った友人がいた」


 ――え? それって……。


 まさか、覚えていた? 


 手を握られたまま紡がれてくる言葉に、アースは見つめてくる碧の瞳から目を離すことができない。


 まるで、シー・リオンの瞳に心が捕らわれたかのようだ。呼吸さえもが、はばかられるように喉の奥で細めてしまう。


「彼はこの国の知の塔に連れて行かれる途中なのだと言っていた」


 言いながらシー・リオンの碧の目は、アースの黒い瞳を懐かしそうに見つめている。


「痩せてひ弱な。女みたいな顔の黒髪の子供で。おまけに言葉が聞き取れなかったらしくて、俺の名前を間違えて覚えて――――それなのに、死んだ母親に託されたというお守りをしっかりと持って笑っている。それがもう、最初は何から何まで気に入らなかった」


 ――それで最初いじめたり無視されたのか!


 手を握られたまま、無言でアースは驚いた。


「姫君には話しておくが、俺はこの髪だろう? この髪は祖母譲りらしいんだが――母は、魔女の噂があったそのばあさんをひどく嫌っていたらしい。まあ幼い頃死に別れて、覚えているのが、あかがね色の髪を振り回して意味不明の言葉を唱えている姿だけでは、やむを得ないのかもしれないが……そんなわけで、俺にとってこの赤い髪は、家族から不当に扱われる印で、最高に忌々しいものだった」


「そんな……綺麗な髪なのに……」


「そう言ってくださったのは、貴族のおべっか以外では姫君が二人目だ」


 まるで思い出したようにシー・リオンが笑う。


「あの日――また、彼が俺の名前を間違って呼んできた。俺は違う名前には返事をしないと無視したのだが、母に可愛がられている弟は、それを面白がって何度も侮るように俺の目の前で繰り返す。赤髪の兄上にぴったりって。それに腹がたって――俺ははさみを取り出すと、頭の毛を思いきり切った」


 忌まわしい髪がなくなるように。こんな物のためだけにからかわれて、こんなにも辛い思いをしなければならない。


「いっそ、二度と生えて来なければいい。そう思って切ったのに、それを見つけた彼が驚いて鋏を横から取り上げようとしたんだ」


 ――あ……。


 アースの頭の中に、あの日の記憶が甦ってきた。


 確かに、あの時、食事の時間だから呼んでおいでと頼まれて、シリオンの部屋の扉を開けたら、彼が自分の髪を滅茶苦茶に切っていて驚いたのだ。


「それなのに、また名前を間違って呼んでくる。それを見て、さっきまで驚いていた弟はまたけたけたと笑う。その何もかもが嫌になって、俺は部屋から飛び出したんだ」


 ――そうだった。それで心配になって慌てて追いかけたんだっけ……。


 慌てて追いかけたけれど、シリオンの行きそうな先は見当もつかなくて。


 探したけれども、どこに行ったのかもわからない。ただ、さっきの様子に放っておくこともできなくて、ずっと庭で声を張り上げながら呼び続けた。


「俺はもう、何もかもが嫌だった。だから下で声を張り上げて呼び続けている彼の間違った名前も無視するつもりで木の上に隠れていたんだ。それなのに、彼はずっと自分の名前を間違ったまま呼び続けて――――いつまで、その名前で探し続けるつもりだと苛立って下を覗きこんだら、突然座っていた木の枝が折れて落ちた」


 ――そうだった、突然落ちてきてびっくりした!


「太い枝が自分と一緒に落ちていくのに、それなのに彼は枝が刺さるのも構わずに、必死で助けようと下に駆け寄って来てくれたんだ」


 両手を広げて。それこそ顔色を変えて。


「初めてだった。俺のために顔色を変えて、心配してくれた人間。自分が傷ついて、肩に太い枝が刺さったのに、俺を抱きしめてくれた人間」


 ――そういえば、そうだったな……。


『シリオン! シリオン、大丈夫⁉』


 そう言った自分の姿は肩から袖が真っ赤になっていて。後からお師匠様が説教しながら手当てをしてくれたが、当時はなんでシリオンが、ひどく青ざめた顔で自分を見ているのかわからなくて、かなり弱ったのを覚えている。


 ――ただ、出てきてくれたのが嬉しくて。ひどい髪形で、死人のような顔色になっている彼を慰めたくて……。


「その時彼が言ってくれた。『よかった。君が無事で。ほら、無茶をするから君の髪もぼさぼさだよ。折角頭にこんなきれいな金の冠を持っているのに』と」


 そう言って頭を撫でたのは覚えている。だって、本当に綺麗な髪なのに、自分で自分を傷つけて――もったいないと思ったからだ。


「俺には忌まわしいだけの物があいつには王冠に映っていた」


『これが冠に見えるのか?』


『うん。これは君が天から与えられた君だけの王冠だよ』


 誰に似ているでもなく。ただ、俺だけの髪だと――俺だけの王冠だと。そう言われた嬉しさを忘れることはできないとシー・リオンは呟く。


「涙が出るほど嬉しかった。こいつに一生側にいてほしい。こいつさえいれば、俺はきっと泥沼のような自分への蔑視と惨めさから抜け出せると思った」


「そんな……」


 ――そんな過去があったなんて……。


 何も知らなかった。ただ、会ってからずっとひどく辛そうに荒れて。自分を傷つけてまでしている彼に笑ってほしかっただけなのだ。


「だから、あいつは今でも俺の一番なんだ。あいつを迎えに行くのにふさわしい男になりたくて、戦も政治の勉強も必死で頑張った」


 言葉では短くても、どれだけ彼がそれに心血を注いだのかは、今の帝国の広さが証明している。きっと、剣の修業も、勉学もそれこそ眠る間を惜しんでこなしてきたのだろう。


「だけどその間に、あいつは知の塔の十賢に選ばれて、この王家の人間しか直接会うことはできなくなってしまった。手紙を何度も送ったが、返事は返ってこず……だから――姫に近づいた」


 ――え? 手紙?


 覚えがないと慌てるアースの前で、しかし、シー・リオンはアースに瞳を戻すと、その姿を食い入るように見つめている。


「だが、お会いした姫は、俺があいつを今抱きしめられたらと毎日思い描いていた姿にあまりにもそっくりで驚いた。俺の一番はあいつだが、あいつに似ている姫をきっとこの世で二番目に大切にできる。俺は――――あいつに会えない今、姫のその姿で、ほかの男に恋をされる姿を見たら、きっと嫉妬で相手を殺してしまうだろう――――だから、姫。どうか、俺の求婚を受け入れてほしい。彼に会えるまで、愛することはできなくても、彼に似た貴女をきっと、きっと――――大切にするから」


 あまりにも真摯に紡がれる言葉に、アースは言葉を返すことができない。ただ見つめてくる瞳があまりにも熱くて、求められる返事から手を振り払い逃げることしかできなかった。


 ――そんなこと言われたって!


「姫君⁉」


 言葉が追いかけてくるが、フラウの居室に逃げ込んでしまう。


 ――この姿は僕がアースだからで!


 この姿に求婚されても、返事ができるわけがないのに。


 ――それにそんな愛され方なんてフラウが可愛そうだ!


 フラウは自分の身代わりではない。たとえフラウが自分とうり二つだったとしても、自分と会うためだけにフラウと結婚するだなんて、とても賛成はできない。


 ――だからって、今更こんな姿で。シリオンが探していたのは自分だなんて、どんな顔で名乗れるっていうんだ!


 ましてやあんな打ち明け話を聞いた後で。


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