シオリ
カズ坊もICUから一般病室に移り、さらにリハビリに取りかかることになってくれた。リハビリも辛いと思う。初日なんてホンマに辛そうで脂汗流しながら懸命にやってくれてた。でもここも乗り越えなくちゃならない壁なのよ。カズ坊もよくわかってるはずだけど、それでも辛いものは辛いだろうなぁ。励まさなくっちゃ、
「あれまぁ、こんな初歩の初歩のメニューで悲鳴を上げてるの。こんな調子じゃ寝たきり一直線よ」
カズ坊は本当に弱ってた。
「今日はカンベン」
「なに甘え事言ってるのよ、明日はもっとだから覚悟しときなさい」
カズ坊の部屋を出る時には涙が止まらんようになってもて、急いでトイレに駆けこんだ。カズ坊は切り返しをする余力も残ってないのよ。翌日も、翌々日も同じような反応やった。それだけでなく、表情が曇りがちになってる。
リハビリは特に最初が辛い。体はいうこと聞いてくれへんし、『これぐらい』ってことがどんなに足掻いても出来ないのよ。辛さと情けなさに暗い気持ちになってしまうの。そのうえ、目に見えるというか、体で実感できるような成果がなかなか現れないの。そんなことはカズ坊だって百も承知だから、文句一つ言わずに頑張ってるけど、気持ちが沈み込むのは防ぎようがないのよ。
一週間目についにカズ坊はメニューの一部を残してしまった。ここまで全部こなしてきたのは褒められることだし、今日の残したんだって全体のプランからすれば十分計算の内なのはウチもわかってる。でも、でも、心配。
ウチがユッキー様でいくら頑張っても、それだけじゃ、カズ坊には足りないんだって思い知らされた気分。そう、今まで一度だってウチを女として見てくれたことはないの。今だってそう。漫才の相手として見てくれるけど恋愛対象じゃないの。ただのお友だち。
カズ坊は今も独身。みいちゃんとは結局ゴールイン出来なかったで良さそう。だってみいちゃんは他の男と結婚して東京に住んでるはず。ちょっと前に同窓会があって、ウチは出席せんかったけど名簿だけ送られてきたから知ってる。テルミが幹事やってて、わざわざ送ってくれたから。カズ坊とみいちゃんがゴールインせんかったのは正直なところ嬉しかったけど、みいちゃんがいなくてもウチを見てくれへんのは、この入院でこれまた思い知らされた気分。
でもね、でもね、ウチは挫けへんよ。カズ坊がウチを見てくれへんのは高校の時から一緒なだけで、それでもこのユッキー様がカズ坊を助けるのは変わらないの。それにしてもカズ坊は今は誰を見てるんだろう。見舞客もチェックしてたけど、それらしいのはいなかった。若い女もいたけど、病棟代表って言ってたし、来たのも一度きり。ありゃ、どう見ても義理や。
おらへんのかな、それともいるのかな。カズ坊は病院関係だけ連絡してくれれば十分って言ってたから、深い仲になってるのはおらへんのかもしれへん。カズ坊はウチこそベタ惚れやけど、正直なところお調子者いうだけで冴えへん男やから、医者の看板背負っても、もてへんのやろな。みいちゃんにも捨てられたみたいやし。
そうなると、もしおっても片思いか。でもそうなると見当もつかへん。それでも、片思いでも好きな女が見舞いに来てくれたら、カズ坊の気力はきっと戻ると思う、やっぱり好きな女のためやったら『いっちょうやったる』ってなるのが男やもんな。
「先生、この写真集、素敵と思いませんか」
うん。人がカズ坊のことを心配してる時にウルサイと思ったけど、見てみるとなるほど綺麗に撮れてる。ウチもこれぐらい綺麗に撮ってもろたら、カズ坊も振り向いてくれるかもしれへん。えっと、カメラマンの名前は、
『加納志織』
ん、ひょっとして、加納、あの女神様の加納とか。そう考え取ったらつい口に出てしもた。
「これって、シオリの写真集だな」
「先生、加納志織を存じてらっしゃるのですか」
「いや、人違いかもしれん」
「こっちにカメラマンの写真もありますが・・・」
間違いないシオリや。やっぱりプロになったんや。ほいでも坂元とは結局ゴールインせんかったみたいで、これも同窓会の名簿で確認した。シオリも今となっては懐かしいわ。高三の夏休みは家庭教師を図書館のミーティング・ルームでやってやったものな。
そういうたら、シオリとカズ坊は幼馴染って言ってた。幼稚園からって言ってたっけ。みいちゃんみたいに近所やなかったけど、小学校の校区が一緒やったらしい。シオリとカズ坊が高校卒業後に接点があったとは到底思えへんけど、ひょっとしたら何か知ってるかもしれへん。
「ちょっと写真集貸してくれる」
「先生、お知り合いなんですか。今人気ナンバーワンの売れっ子カメラマンなんですよ」
「あ、うん。ちょっとした知り合いでな」
夜に家にかけてもエエけど、昼間やから事務所にかけて聞いてみるか。
「はい、オフィス加納ですが」
「わたしは市立南病院救命救急センターの木村由紀恵いうものだが。加納志織さんに取り次いでくれるかな」
「失礼ですが、どういう御用件でしょうが」
さて、どう答えよ。まさかカズ坊の今の恋人の名前を聞くためは拙いよな。ここはちょっと話を濁しとこ、
「いや、高校の同級生でな。ちょっと話が出来たら嬉しいのだが」
少し待たされたが、
「お待たせしました。加納志織です」
「久しぶり。写真集、見た」
「ありがとう」
「たいしたもんや、立派なカメラマンだ」
「木村さんもお医者さんになりはって」
近況報告的なものは手短に済ませて、
「・・・ところでな、山本和雄君を覚えてるか」
「覚えてるよ。小学校から一緒やから」
ここはカズ坊の状態を先に話しとかんと先に進まへんよな、
「実は山本君が交通事故を起こして救命救急センターに運ばれてきた。重傷で生死の境をさまよう状態やったが・・・」
「わかったわ、とにかくすぐ行く」
あれ? シオリが来るってか。それもあの電話口の慌てようはなんやろ。まさか二人が恋仲、それはあらへん。あったら、カズ坊は連絡取ってるはず。ICUのうちはともかく一般病室に移ってからは電話でもメイルでも送れるからね。第一、シオリの反応は初めて聞いたにしか思えへん。
そうなるとシオリの方の片思い。そこまで考えた時に、高校の時に見えた未来が頭の中に突然甦ってもた。あの時に見えたのは女神様と天使がカズ坊を争う姿。まさかそんなことが本当に起ってるとか。カズ坊とリハビリ後に漫才している時にシオリは文字通り飛び込んできた。
「わぁ~ん、生きてる」
生きてる言うたやないか、このユッキー様がカズ坊を死なせたりするものか。それにしてもシオリの大号泣はなんなの。本当にシオリはカズ坊のことが好きだとか、
「ユッキー、ボクがどうなったっていうたん」
「いや、その・・・」
ウチが見えた未来は合ってたんだ。シオリは間違いなくカズ坊の事が好きだ。好きだからウチからの電話にあれだけ驚き、取るものも取りあえず駆けつけて来たんだ。あちゃ、自分で墓穴掘ったようなもんやな。もっともカズ坊の恋人を探すのが目的だったから結果オーライってところやろ。こうなればウチは邪魔者。病室から出る時にシオリの大絶叫まで聞こえてもた。
「良かった、良かった、本当に良かった、生きてさえいればイイの。後は任せといて、寝たきりでも一生面倒私が見るから。絶対私が見るから安心して、もう大丈夫だから」
選りによって女神様が恋敵とは。やっぱりウチの役割は漫才の相方のユッキー様がお似合いってことみたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます