第35話 上方訛り

 城に戻った誾千代は屋形に向った。黒塗りのたちにある青銅の風鐸ふうたくが日差しを反射してまばゆく、手をかざさずにはおれない。きざはしを昇り、迎えにでた近習に赤い射籠手いごてを外させた。廊下に真紅の音が響く。片膝をついてむかえる家臣に目がとまり、

「帰っていたのか」

「今朝屋敷に」

「歩きながら話そう」

 連貞つらさだが立ち上がってあとにつづく。

「松尾殿を伴って城を出られたと」

「城に籠りきりになるのは性に合わない。……和泉が呼んでいると聞いた」

「宗像家から書状が。広間にてお待ちです」

 誾千代たちをむかえたのは小野鎮幸それから内田鎮家の二人だった。上座へと歩きながら小野和泉から書状を受けとり、敷物のうえで片膝を立てて書状をひらいた。

「なんと申し送ってきたのです?」

 小野鎮幸が瞳だけ流す。

「塩寿丸やまい。危篤らしい」

「それで?」

「忠三郎を手元に置きたいそうだ」

「松尾殿を一度戻して欲しいとは?」

「言ってきた」

「人質を二人とも返せとは」

「……あの女性ひとは人質とは言えない」

「甘いことを仰せになる。……大殿なら、そうは仰らないでしょうな」

「甘いか……。……温情なさけにあらず…………三百町歩の化粧料とともにきたのだ。和泉守、お前の言っていることは道義からはずれている」

 小野鎮幸は軽く会釈した。

(……理屈でないのだが)

 透徹した和泉守の瞳が誾千代から離れることはない。

 それに対して女城督は、軽く手をあげた。わかっている、という意味である。女が政略の道具とみなされている時代だ。男たちの身勝手な考え方から一人の人間の尊厳を守るため、道理で押して、その羞恥心に問うことにしたのだ。

塵囂じんごうには合わぬ人……。だが、オヤジならか……)

「それでも、忠三ちゅうざのほうは、帰したらあかんかったんちゃうやろか?」

 内田の声に破顔した誾千代が、ゆったりと黒髪をかきあげて指で弄ぶ。

「かもしれない。……が、いまさら嘆いてもな」

 豊かな緑髪をすっと指で梳いて見つめ、

(宗像の庶子に私的な感情を持ちすぎたのは確かだ。そこを責められれば返す言葉がない……)

 指に絡む美しい髪をはらい、視線だけ男たちに走らせた。

「野盗如きに手出しでもされれば、戸次の名が泣くだろう。……孫右衛門、豊熊、信頼している」

 そう言い残すと、小野鎮幸に書状をあずけて部屋をあとにした。


 宗像氏貞は、十年ほど前に元大友加判衆臼杵鑑速あきはやの娘を娶っている。だが、前妻と離縁させられ大友氏の都合で輿入れした、いわば押付け女房であった。欲しくもない飯を無理矢理口に詰め込まれたようなものである。その娘との間にできたのが塩寿丸だ。戸次道雪が立花山城督となり、大友氏に臣従するしかなくなったのだ。立花山城にいる筑前の要が、立花鑑載であったときとは宗像氏貞のおかれた状況はまるで違ってくる。元就死後の毛利は頼りにならない。そのため大友宗麟に命じられ、親毛利派の重臣河津隆家の命も奪うしかなくなった。

 連貞と内田鎮家が、五十余名の足軽隊をつれてあの入り江へ行き、松尾殿と合流して宗像へ向かうことになった。誾千代のもとに使いをした小野鎮幸の家臣もその隊列にいる。ここから宗像氏貞の鳶ヶ嶽城までは徒歩かちで四時間ほどかかる。輿を担いでいる足軽もいるためだ。

 連貞のとなりでは内田鎮家が手に槍を抱え、日の丸の軍扇をにぎっていた。騎馬である。

「孫よ……。なんで姫さん、わしのこと幼名で呼ぶんやろ?」

 この男、顔に似合わずこのことを真面目に悩んでいるらしい。一度畿内に行った人間が畿内の訛りに染まって帰ってくる、ままある独特で珍妙な現象である。

「親愛の情を表しておられる、のではないか」

 連貞は、この男が傷つかないように言葉を選んだ。

「親愛なあ……」

 供は五十名余りで鉄砲はなかった。ただ、警護だから最低限の武装はしている。途中にある許斐このみ山には宗像方の城があるため、連貞は海岸沿いを北上し釣川を南下する道筋をえらんだ。

「真っ直ぐ行って、あの麓通ろうや」

 麓は許斐山のすぐ下にある。

「無駄な悶着が起きかねん」

「この抱き杏葉ぎょうようの紋みて襲ってくる阿呆がおるかいな。いたらよほどの死にたがりや……その願い、叶えたろうやんけ」

 色姫と合流し、白い波濤の立つ海をみながら隊伍が進み始めて一時(二時間)余り。真っ赤に灼熱した鉄が発するような激しい炎気のもと、ぎらついた酷暑の日射しが降りそそぐ。戦場を幾度も往来している武者たちには、なんでもない日常の事でも、

(城の中で何不自由なく暮らしてきた女人にはどうなのか。倒れでもすれば役目を全うできん。……身体の強い方ではないらしいしな)

 連貞はその点で不安となった。

「休息を取ろう」

「休息やて?」

 内田鎮家が妙な顔をした。

「松尾殿のお身体を案じてのことだ」

「面倒やなあ……」

 内田をおいて連貞は馬に鞭を入れた。そのまま松尾殿の輿の傍らで手綱を絞ったため、騎馬が足を躍らせ砂埃が舞いあがる。

「十時でござる。お疲れではございませぬか、お方様?」

「十時殿。……ええ、少し……」

 真夏に、蒸し暑い熱気がこもる輿で二時間。

(富貴の家の姫として育てられてきた女には、辛いかもしれん……)

 連貞は松林をさし、

「されば、あの松の木陰にて御休息を」

 そう言い残し、行列の先頭に向かった。

「止まれい!」

 先導していた原尻新八が馬首をめぐらし、指図して軍列を休止させる。

 つがいの翡翠かわせみが舞い戯れる松林の木陰で、足軽が水の入った竹筒をささげた。火照った肌に侍女が扇で風を送っている。新八と豊熊は、その光景を馬上から見ながら、

「大丈夫なのでしょうか?」

「知るか、わしらは御守やない」

 列はふたたび進む。

 松尾殿の化粧料として戸次氏に贈られた西郷庄を抜け、大きな牟田池の南岸をまわり釣川の浅瀬を渡ると、左に鳶ヶ嶽城のある城山を見張るかすことができる。現在、東の山裾には国道三号線がゆるやかに蛇行している。宗像市と岡垣町を分ける連延れんえんとした尾根の最南に位置しているのが城山である。その山稜は玄界灘までつづく。四塚連山という。またの名を宗像四塚。誾千代の父道雪がまだ豊後国大野郡大野郷藤北(現大分県大野市大野町)の鎧ヶ岳城主であった時代に筑前まで遠征し、毛利元就と争った地だ。毛利との多々良浜の戦いで父や兄を失い、元服して後を継ぎ、大小数々の戦いをくぐり抜けてきた連貞である。さまざまな思いが去来し、十時ととき連貞は感慨深かった。

(この筑前こそ、本来いるべき場所だ)

 鳶ヶ嶽城の城門まで来て、

「おい、氏貞呼んでこいや」

「うじさ……貴様!」

 内田豊熊は笑みを浮かべながら門番を見おろした。両者の間に白鋼しらはがねの冷たく重い風が巻き起こる。連貞が十文字槍を突きだしたのだ。

「失礼した。それがしは戸次家家臣十時孫右衛門連貞。松尾殿、ただいま無事御着到。この儀、宗像殿にお取り次ぎ願いたい」

 番卒は、主を呼び捨てた男を睨みつけながら舌打ちし、

「承り申した! 暫時お待ちを!」

 と、内田鎮家に不満をぶつけたが、当人はまるで意に介さず涼しい顔で笑っている。門衛は、そんな豊熊に押されるように鳶ヶ嶽城の坂道をのぼっていった。連貞が、隊に手で合図をする。足軽たちはその場で片膝をつき、松尾殿の輿がおろされる。城から迎えにでた直垂姿の侍たちにみちびかれ、松尾殿の姿は城のなかに消えた。

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