戸次の鬼姫~立花誾千代異譚~

komorebi

第1話 弥十郎

 戸次べっき道雪の肺腑から深い吐息が漏れた。それというのも主家である大友家に九州探題であったかつての面影はなく、落衰がいちじるしいからだが、目の前の男は別のことを考えていた。

(御年七十に手がとどく、息女のこともある。……ご苦労が絶えぬのだ)

 道雪の顔貌に刻まれたしわのひとつひとつが大友氏、とりわけ先代大友義鎮の栄枯に関わるものと言えよう。その黄昏を決定的にした戦がある。


 天正六年日向国、耳川における大会戦。


 道雪自身はこの戦いには参加していない。そもそもこの戦いに反対していたということもあったが、自身の受け持ちとなっている筑前・筑後・肥前の情勢がそれを許さなかった。

 主君の大友義鎮はこの合戦に乗り気で、道雪ら重臣の反対を押しきり、作戦を立案、大軍を日向に差し向けた。しかし、これを待っていた島津氏は得意の「釣り野伏せ」によって大友軍を撃破し、日向の支配権を確たるものとした。

 道雪とともに大友全盛の立役者となった吉岡長増、臼杵鑑速あきはや、吉弘鑑理あきまさといった賢臣らはすでに亡く、この戦で蒲池鑑盛、吉弘鎮信、角隈つのくま石宗、佐伯惟教、斎藤鎮実、田北鎮周しげかねなどの功臣も討死し、耳川以降、北九州の戦況は厳しくなる一方で、周辺の国人層や地侍層の大友家からの造反も活発となっている。なかには肥前の大勢力龍造寺氏や筑前南部の秋月氏に内応の密約を交わすものまで出はじめていた。

「主だった者は鎮定したが、こうも後から後から続くとな……」

「辟易……されておられる」

「合戦には銭がいるのだ。当然だろう」

「博多の商人たちに捻出させるというのは?」

「……大友家そのものを担保にすれば……。あるいは……」

「しかし……。それは気が進まない?」

「まぁな……。頭痛の種だよ」

 弥十郎は道雪の立場を察した。大友氏の最後の、そして最大の藩屏はんぺい、筑前の守護代、毛利家との取次、その顔はいろいろある。その上、戸次家の行く末までとなれば、その苦労は並大抵ではない。それは、すでに老翁の域を迎えている道雪の容貌が物語っていた。

「たとえば、焼物や織物……。そういった工芸品の増産に、これまで以上に力を入れるというのは?」

「それも一案だな……。しかし、それには年月がいる」

「……たしかに、熟練の塗物師や染め師を育てるには時がかかります」

「急がば……。というやつか」

「そう思います。それに、博多の商人たちに大きな利益をちらつかせて、ルソン(フィリピン)やアンナン(ベトナム)での明の海商との交易を奨励なさるのも……。明国の皇帝は嫌がるでしょうが、背に腹は代えられません。まさかこれが理由で元寇とはならないでしょう」

「そうだな、彼らを焚き付けるというのは……ふふ……なかなか面白い」

 道雪は弥十郎の反応に満足したようだった。とはいえ、戸次道雪の拠る立花山城が財政難に陥っているわけではない。むしろ資金は潤沢だった。

 が、九州北部および南部は、関東や東海、北陸などに比べると膏腴こうゆの地であるとはいえない。それらの諸州には、地力でおとる。今以上の稼穡かしょくを農民から徴収するわけにはいかない。領民の大半は決して裕福とはいえない状況で命をつないでいるのだ。ではどうするか、商利である。


 ――博多――。


 この交易都市がもたらす恩恵は計り知れないものがある。時節に敏感な素封家そほうかが日本の各地から集まり、日夜富を築くことに狂奔しているからだ。城の土蔵どぞう丁銀ちょうぎんであふれ、平時であれば今のままでも十分心やすい。だが、戦ほど金を喰らうものはない。鉄砲や刀剣類などの武器弾薬の購入・補充に糧秣の備蓄、馬の飼葉だとて馬鹿にはならない。

 また、師を興すこと自体金がかかる。だれも只では働いてくれない。戦ばかりしていては、農民は田を耕すことすらできなくなる。そうなれば税に苦しむ者たちは逃散し国が成り立たなくなる。勝ちに乗っている順境ならばまだいい。それならば「食於敵」こともできる。しかし、逆境のなかそれをすれば国家は崩壊する。

 「兵者国之大事」といわれる所以である。道雪はそれを嘆くのだ。しかしいま、若き年寄の献言でおおよその目途はたった。が、次なる問題がこの歴戦の老翁を悩ます。それは、大友家と周辺諸侯との関わり方だった。大名たちはみな生き残りをかけて戦っている。そこには一片の情もない。乱世なのである。

「毛利が変節すると思うか?」

 毛利と島津。ともに織田信長を敵とする両者には、信長派となった大友を潰すという密約の存在が考えられる。講和が成立していても、油断はできない。

「織田信長……。羽柴筑前が播磨あたりに居座っている今、それはないでしょう」

「……将来の展望ほどたてるのが難しいものはない」

「それは……。しかし、いますぐそれを疑う必要はないのではないかと……」

「つまり、羽柴筑前の働き次第……か」

「あの才能は信頼できる……。そう感じます」

「……たしかに、あの男は面白い……。が、その人柄はどうかな」

「人の下にいつまでも甘んじている男ではない……ですか?」

微賤びせんの身から叩き上げてきた男だ。そう疑われても仕方なかろう」

 弥十郎は、つねづね羽柴秀吉という男の動向を注視していた。木下籐吉郎と名乗っていたときから、それは続いている。

(……危険な男に見える……。かもしれんな)

 道雪には、流石に秀吉の本質が見えているようだった。

「さしあたって、肥前の龍造寺あたり……。それに筑前・筑後の反乱分子の動静を逐一、蝶者に報告するよう命じてあります」

「龍造寺……。あのときの記憶は」

「ええ……。いつの世でも負け戦とは、にがいものですから」

 十年ほど前、肥前で勢力を拡大する龍造寺氏を討伐するため、築紫山脈を越えて、はるばる築紫平野に進軍したことがあった。大将の大友義鎮(宗麟)は高良山たからやまに布陣した。道雪と弥十郎も大友本軍のかたわらに駐留していた。宗麟は先陣三千を一族の大友親貞に任せ、龍造寺勢の籠る佐嘉城への攻撃を命じたのである。

 だが、親貞は一向に城から出てこない敵をあなどり、夜半に酒宴をもよおし酒をあおる、という失態をおかした。はたして敵の知るところとなり、夜襲を受けた親貞隊三千は潰走した。道雪は踏みとどまって手輿てごしのうえから兵を叱咤した。しかし、敗残兵の弱気が伝播し、まわりの兵卒も戦意を失っていた。いかな道雪でも負けが確定した戦を挽回できるものではなかった。敗戦のさなか、弥十郎は槍を振るって敵勢と渡り合ったため、悲惨な戦いが胸に刻まれたのだった。

「そちの言うとおり、謀叛人どもの鎮圧が最優先だろう。ただ……」

「龍造寺への警戒は」

「怠らないにこしたことはない……。しかし……どうも彼奴あやつらの狙いは別のところにあるような気がしてならない」

「南下する……と?」

「そう思える……。ただ、警戒は怠らないようにしてくれ」

「わかりました」

 弥十郎は、道雪の直感を疑ったわけではないが、龍造寺がそれほど早く南下を始めるとは思えなかった。南に行けば、勢いに乗る島津氏とぶつかることになる。が、弥十郎の理性はこのとき鈍っていたのかもしれない。昨夜の情人との房事が影響していたのかどうかは定かでないが。

 これよりしばらくのち、龍造寺隆信は南へその鉾先をむけることになる。その意味では、道雪の直感には驚嘆に値するものがあった。

 そして、この老将は、もう一つ問題を抱えていた。それは私的なもので、大友氏の社稷の存続に関わるというような大きなものではない。しかし、戸次氏の浮沈に関わるものであるとは言えた。道雪には男子がおらず、一粒種である誾千代が現在、戸次氏の当主に据えられているのである。この時代においては稀有な例だといえよう。

「誾千代のことだがな……。そちはどう思う?」

「……大殿。誾千代さまの伉儷こうれいとして、わたしは相応しくありません」

 弥十郎は、高貴という性質を女に求める趣味はない。

(高貴という属性ほど、女をおごらせるものはない……)

 そう彼の本能が感じているからである。高慢な女は彼の好みではないからだ。だかといって、ふしだらで淫蕩な女も敬遠している。

(慎み深い清らかさがあればいい)

 しかし、それを口には出せないため、拝辞はいじの理由を別につくることにした。

「わたくしが戸次家の当主となっては、他の年寄おとなが黙ってはおりますまい。お家騒動がおこっては、本家(大友家)が迷惑なさるでしょう」

「そう……なるかな?」

「おそらくは」

 戸次道雪は、顔をかたむけて目をほそくし天井をみつめた。この老雄が思慮するときの仕草だ。

 家督をゆずった誾千代は、目の覚めるような美貌の持ち主だった。

 大友家中の若侍の間でも、

「あの姫御寮ごりょうの婿になるのは、いずれの果報者か」

 と、ささやかれるほどの。家中きっての切れ者とめあわせたいと思っていたが、道理のある進言だ。

「娘とは、やっかいなものだ」

「そう……おしゃいますか」

 皮肉ったわけではない。が、

(……もう少し……だな)

 弥十郎は、ひそかに思う。

 道雪は、後ろに控えている小姓に目配せした。近侍が、持っていた杖を主人に渡す。この老翁は、三十半ばで片足が不自由になったため、杖を使わなければ歩行も難しい。荒木村重に岩牢に押し込められて片足が不自由になった黒田如水のように。弥十郎も立ちあがって道雪に続く。

「そういえば……。今日は誾千代さまをお見かけしませんが?」

「言ってなかったか。馬を走らせる、とか申してな、狩装束で出ていった」

「なるほど……。ご活発なことはなによりです」

 そう言う弥十郎の脳裏には、誾千代のたおやかな狩装束姿があざやかに浮かんだ。趣味ではないとはいえ、あの気高い美しさにはやはり惹かれるのだ。

(……度し難いな……わたしは)

 城の庭にでた弥十郎をあたたかい陽射しがつつんだ。

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