86(2)

 慣性航行の無重力状態に入って、数時間後。

 カジャスの宇宙人学講義がひと息ついた隙に、フランが訊いた。

「もし、モノポールを回収できる船がなかった場合、どうします?」

 北極直上には――といっても、惑星重力に引き込まれないよう、大きく距離を取ってはいるが――かなりの数の船が密集していた。未だ戦闘が始まっている気配はない。すなわち、まだ誰も目的のものを手に入れてはいないのだ。

「かなり荒っぽいが、いちおう手はある。先に行った連中も、必要ならこうするだろう。つまりだ……採鉱艇やクルーザーが熱圏まで降りられねえなら、いい」

「なるほど、全然わからんです」

 怪しげなチューブ飲料を絞り切り、空の容器をどこかへ放ったカジャスが、休憩は終わりとばかりに解説を買って出た。

《モノポールってのはじつんところ、クォークやレプトンの集まりで出来てる〝ふつうの物質〟とは違うんだな。位相欠陥トポロジカル・ディフェクトとか、前相転移空間残留現象とか、ややこしい名前で呼ばれる〝〟だったりすんのよ。

 こういうのは、ふつうの物理的手段じゃ絶対に破壊できない。……らしい。本当かは知らんよ? おれも専門家じゃない。ともあれ――少なくとも壊しちまう心配はないから、反応弾やイオンキャノンぐらい、ぶち込んでも大丈夫なわけ》

 ウィリアムズが画面にシミュレーションの映像を出した。カジャスの長話を聞き流しながら試していたものだ。

「言ってみりゃ、宇宙鉱夫式、ガス惑星向けのだ。爆弾でもビームでもいいが、荷電粒子のビリヤードをやって、目当ての球ナインボールにお出まし願うのさ」

《誰か座標ポイント指定誘導のミサイルでも持ってりゃあ楽なんだがねえ。たけーのよ、誘導弾は。闇ルートでもなかなか手に入らん》

「そこは、腕でカバーだ」

 ソリチュード号には伸展式マスドライバーが搭載されている。本来は積み荷を手早く移送するための装置だが、カタパルトに乗るものなら何でも加速できる。たとえば

 シミュレーションで示されている手順はこうだ。

 モノポールの推定存在位置より下方に、励起状態のペレットを射出。自己促進する核融合反応が臨界を越え、爆発を起こす。その爆圧で、モノポールを電離層の外まで吹き飛ばす。

 成功確率は算定不能。起爆時間の見極めと、狙いの精密さがすべてを決する。

「イカレてますね。角度とタイミングをちょっと間違ったら、モノポールさんは雲海の下にすっ飛んでいって、二度と取り出せなくなりますよ」

 そう言いながらも、フランは楽しげであった。ウィリアムズが何と答えるか、予想できていたからだ。

 そしてふんぞり返った彼は、おおむね予想通りのことを言った。

「角度とタイミングを支配できない奴は、宇宙鉱夫じゃねえ」



《ぼちぼち、見えてきたな》

 北極圏が近付いてくる。無数の船が集っていたが、大半は重力井戸に掴まることを恐れて、惑星表面から遠い高度を保っている。

 他人に拾わせておいて横取りする計画は、どうやら潰えそうだ。予測された戦闘が、結局起きていない。しかし、代わりにほとんどの船が足踏みしている状況、一番乗りも不可能ではない。

 いまからでも一旦離脱して、戦闘の終始を待つか。それとも回り込みながら一気に加速して、手球キューボールを撃ち込むか。前者の方が有利にはなるが――面白いのは後者だ。

 彼の思考が傾きかけたそのとき、スピーカーからノイズ混じりの会話が流れてきた。カジャスではない、別の男の声。それも複数。

《……から……きに行ってくれれば……は保証すると……》

《報酬……どうして海……信じられ……》

《マグネ……ック・アンカーはある……儲けの五割で……打とう》

「何だこりゃあ」とウィリアムズが呟く。フランが手を挙げた。

「すみません、あたしです。受信機の周波数帯いじってたら、北極の上の方で離れて固まってる人たちの会話が聞こえてきまして。あの人たち通信ダダ洩れですよ。ちーっと無警戒すぎやしませんか」

「惑星磁気のせいだ。ダダ洩れになるくらい強い通信波じゃねえと、恒星から降ってくる荷電粒子の雨が、信号を全部ノイズにしちまう。

 おまけに所属も船種もバラバラだから、全員が共通規格の暗号通信で会議ってわけにも行かねえ……で、内容は?」

 カジャスは同じ音声をよりクリアに聞いたらしく、ドレッドヘアーを揺らして大笑している。

《おうおう、俺らが赤道面からこっちに流れてくるまで、ずーっと陰謀密約合戦してたのかい……聞こえたかウィル、あいつらまだチキンレースの途中だ。誰がモノポールを取りに行くか、もしくは弾き出すか。最初の一隻になって、後ろから撃たれんのが怖いらしい》

 回収手段が何であれ、初めに宝を手にした者は他の全員を敵に回す。誰かが行かねば事態は動かないが、行けば狩られるというジレンマ。それゆえ会議中の船たちは、あれこれと条件や約束を並べて一番手の押し付け合いを演じているのだった。

「ち、そうかい――」

 やはりソリチュード号で北極熱圏を爆撃し、モノポールを宇宙空間に打ち上げる。最後の鉱夫仕事で漁夫の利を狙うようなやり方は、これまで歩んできた過去が許さない。ついさっき自分が立てた計画を棚に上げて、彼は同業者たちの怯懦を蔑んだ。

 本領を発揮しようというこのときになって、ウィリアムズ・ウェストリバーエンドは、滅びゆく職業への矜持を発見したのである。

 たとえ、社会に蔑まれる荒くれどもの仕事でも。今後フォルグの宇宙に、鉱夫が要らなくなるとしても。

 人類の一時代を、確かに支えた労働者のひとりとして。歩んできた己の歴史を誇る。密かにそう、心を決めた。

第一打ブレイクショットだ。派手に行くぜ」

《そう来なくちゃだ。あんたがミスったら、おれのイオンキャノンでカバーしてやるよ。あとはレースと、洒落込もうや――》

 遥か眼下、折り重なる碧光の渦輪へ。

 艇を向けようとした、まさにそのとき。

《待……何だ……れは》

《……航ミサイル? 誰……撃った……》

《いや……のサイズは……》

 誰もが――ウィリアムズも、フランも、カジャスも、そしておそらく現場に居合わせたあらゆる船の乗員たちが――を見た。

 まだ遠い。なのに、途轍もなく速い。

 噴射炎の光が斜めに走り、見る間に大きくなってくる。ウィリアムズが手を動かす前に、フランがの映像を拡大した。

 最もシンプルな形容をすれば、棘だらけの円筒。

 全長は三百メートルあまり。人を乗せているとは思えぬ加速度で、太陽方向から突っ込んでくる。

 まるで減速の気配がなかった。あり得ないことだ。空気抵抗のない宇宙では、加速と減速には同じだけの時間を要する。惑星の公転に同調するつもりなら、もうとっくに逆噴射していなければならない。

 物体はそのまま、船舶が密集する宙域へ向かって加速し続ける。

《おい。もしかしてあれ、ミサイルじゃないか?》

「あ? んなでけー弾頭――」

 ウィリアムズの全身が粟立った。物体が何であるかを悟ったのだ。

「――艦隊殲滅弾フリート・デストロイヤー

「え、何です。ちょ――」

 サブスラスター全開。船尾を太陽へ――円筒が飛来する方へ向ける。急激な回転のGで吹っ飛びかけたフランを、とっさに左腕で抱き止めた。右手はコンソールを叩き、メインスクリーンの出力映像を後方カメラに切り換えている。

「カジャス! てめえも転進しろッ!」

 加速体が飛び散った。

 莢から種子を弾き飛ばす植物のように。巨大な棘のひとつひとつが、円筒から一斉に分離した。虚空にバラ撒かれたそれらは、炎の尾を引いて噴進し始める。

《何だってんだ? よう、ウィル、艦隊殲滅弾フリート・デストロイヤーって何だ!》

 叫びながら、カジャスが舵を切った。推力偏向パネルが絞り込まれ、メインブースターの火焔が左方へ伸びる。テールスライドターン。曲線が多く細長い三角錐形の船体が、ソリチュード号に続いて太陽を背負う。

「名前通りの代物だ!」

 ウィリアムズが叫び返した。同時に、必死で記憶を掘り返している。なぜあんなものを知っていたのか? 軍にいたことなどない。ニュースに出るような兵器でもない。誰かに聞いたのだ。

 誰か――

 思い出したくもないものを、思い出してしまった。

艦隊殲滅弾フリート・デストロイヤー! 多重捕捉マルチロック、自律誘導、レーザー核融合弾八百八十六発の子弾クラスターミサイル! 一発で艦隊レベルの敵を消し飛ばすために設計された、連邦統合治安維持機構CJPOの非正規戦用兵器――」

 最初の焔が爆ぜた。

 圧縮ヘリウムの核融合爆発。さらにひとつ、ふたつ――それからは、堰を切ったように。

 無数の光球が音もなく連鎖する。環を成して拡がる衝撃波の乱舞が、数万キロを隔ててなお視認し得た。一個の爆塊と化した船群。巨星の夜を削り取る第二の太陽。射手サジタリウス腕の全天を彩る星たちさえ、須臾しゅゆの間はその輝きを薄らがせて。

 真空を蹂躙する、ひとえに圧倒的な光の暴力。

《げえ、おれたちまでロックしてやがる》

 赤のLEDが光り出し、警報アラートは最も耳障りな音でがなり立てた。対物センサーの感知半径に飛び込んでくる、五つの飛翔体。むろんミサイルに違いなかった。そのひとつ取っても、ソリチュード号を沈めるには充分すぎる破壊力を有していることを、ウィリアムズは知っている。

 並んで歩きながら、あの禍々しいミサイルがいかにとして優れているか、わざわざ合成した陶酔の響きを聞かされたからだ。ついこの瞬間に至るまで忘れていたというのに、記憶の深層で覚えていた――

「カジャス、俺を盾にしろ! おまえの艇じゃ迎撃できねえ!」

 カジャスの艇にはイオンキャノンが搭載されている。強力だが消費電力も大きく、連射は効かない。他人の船であるから、ウィリアムズとて正確なチャージサイクルを覚えているわけではなかったが――少なくともミサイル全弾を落とすのは、撃ち損じがなくとも不可能だろう。

《あんたのボロ艇だって、ミサイル迎撃用の装備なんか……》

 抗弁しかけるカジャスに、ウィリアムズは有無を言わせない。

「いいから前に出ろ、そのまま全速力でぶっ飛ばせ!

 別に犠牲になってやろうってんじゃねえ。俺が誰で、この艇に何ができるか、思い出させてやるだけだ」

 そこまで言われれば、ウィリアムズの腕を知るカジャスもあえて食い下がりはしない。

 二度三度とスラスターを吹かし、カジャスの艇がソリチュード号の正面に出る。そのまま加速し、遠ざかってゆく。二隻を追ってきた拡散弾頭、五基すべてウィリアムズが引き受ける形となった。

《死ぬなよ――嫁を乗せたままでさ》

「てめえはとっととくたばってろ。エイリアンに喰われてな」

 通信回線が閉じた。もはや、気を散らし合う余裕はない。

 ミサイルは急速に近づいてくる。元々、桁違いの相対速度が乗ったまま飛来したのだ。ここからまともに加速して逃げ切れるものではない。

「どうするんです? ここは一丁、あたしが出て行って……」

「ナノマシンでどうにかなる弾かよ。おまえの出番はまだだ――俺を信じろ。ナノテクじゃ盗めない経験値、拝ませてやる……!」

 己を奮い立たせるように大言し、ウィリアムズはただ待った。船尾エンジンの核融合ペレット射出ボタンに、指をかけたまま。

 角度と、タイミングだ。宇宙鉱夫が支配すべき理法。そのパラメータさえ正しければ、万象のエネルギーは味方になる。

「さあ来い……来い……励起は着弾十秒前ぐらいか。そのラインを過ぎちまえば、てめえは羽毛に掠っただけで誘爆する……」

 核弾頭が迫る。相対距離、数値は五〇〇〇を切った。ペレット射出。緩衝板角度修正。点火イグニッションレーザー、照準補正――

 極限の緊張。フランも流石に笑みを消し、ウィリアムズの腰にしがみついている。それが彼の姿勢を安定させるためだと気付いたとき、男の胸に熱い勇気が膨れ上がった。

 負ける気がしない。

「今だッ」

 レーザーが閃いた。

 漂うペレットが赤熱し、次の瞬間には爆発する。分子構造を人為的に不安定化された、ヘリウム3の圧縮カートリッジ。その核融合。原理は飛んでくると同じだ。

 球状に拡がる衝撃波面が、突っ込んできたミサイル五基と交差した。刹那、ふたたび爆発――すべて、爆発。生まれ出た五つの魔星。焔のあぎとが開き、空間を呑み込んでゆく。

 しかしソリチュード号は、ミサイルを一掃した自前の爆風に乗って、すでに加速していた。迎撃弾の爆圧で減じられた五つの衝撃波は、目標へ追い付く頃には充分コントロール可能なレベルまで希釈されている。その運動エネルギーを十二枚の緩衝板で受け止め、艇はさらなる速度を得て飛翔する。船体への損害は、ゼロだ。

「核パルス推進の艇に、核ミサイルで攻撃なんぞ、舐めてやがる」

 言葉ほど、彼の表情に余裕はなかった。加速のGで横向きに汗が流れている。それでも、見つめるフランの目には畏敬が宿った。

 鉱夫の技術と知識を伝えられたフランには解る。ウィリアムズがたったいまやってのけたのは、紛れもない神業だ。

 超高速で飛来する五つの核融合弾。その追尾コースと信管起動を完全に見切り、最適のタイミングでペレットを射出。緩衝板の角度を手動マニュアル調整し、寸分狂わぬ時空上の一点に向け、点火イグニッションレーザーを発射。たった一発の爆弾で、すべてのミサイルを防ぎ切った――

 他の誰にも、こんな芸当は真似できない。同じ装備があったとしてもだ。フランの頬に差した恍惚の赤みが、その認識を無言のうちに物語る。

「そんな目は止せ。おまえにヤクを抜かれてなきゃ、無理だった」

 少女と視線を合わせたのもつかの間、ウィリアムズはガス惑星の北極をスクリーンに投じた。蒼白のオーロラに紛れて、火球の光芒が見える。散じた子弾クラスターの幾つかは、極空域に撃ち込まれたらしい。

 熱圏のそばまで降りていた艇を狙ったのか? それにしては位置が低すぎる。あの爆発は、ニュートリノが放出されたポイントの下だ。

 つまり、回収困難な粒子を回収可能とするための手球キューボール――

 警告なしで大量殺戮兵器を撃ってくる手口といい、やはりCJPOの横槍というわけではない。〝敵〟もモノポールを狙っている。

「奴が来る」

「誰です?」

 軍でなければ、を持っている輩はひとりだけだ。

 ――やっこさんもどえらい儲け話にありついたらしくてな。

 マイルストーンの酒場でサムがそう言ったとき、疑ってもよさそうなものだった。だが当時はフランの性能に度肝を抜かれ、知らず知らず〝会社〟を全能の秘密結社か何かのように考えていた。そのせいで、あり得べき情報の転売を考慮していなかったのだ。

 それとも、が競争相手だと考えたくなかったのだろうか?

「ウィル、大型の熱源が……」

「わかってる」

 獲得した速度を殺さぬよう、ゆるく弧を描く軌道で、ウィリアムズは艇を反転させた。カメラは太陽方向へ、最大望遠。

 スクリーンの光量が調節され、異形の物体が映し出される。

 全長は六百メートル強。輪郭が、どこか古代の甲冑魚に似ていた。血の色をした恒星がバックに輝き、大き過ぎる黒点のようにも見える。しかしは悠然と、真空の宇宙を泳ぎ渡っていた。

「……ノウマン」

 ウィリアムズが苦々しげにその名を吐き捨てたとき、時計が日の替わり目を告げた。

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