第14話 神無月

 クラッチがあるタイプでなくて助かった、と思いながら躍斗はバイクを走らせる。

 無免許だが、この場合は緊急避難だ。

 ノーヘルである事を含めて、少年を悪漢達の暴行から守る為にやった事だ。

 安全に関しては問題ない。

 躍斗達はコリジョンロックで衝撃を無効化出来る。

「すっげーな、アニキ。さっきの弾、どうやったんだ?」

「空間を歪めて弾の通り道を開けてやったんだ。曲がったのは僕の体の方で、弾は真っ直ぐ飛んだだけだ。だが空間の歪みを人は認識しないから、弾の道筋の方が曲がったように見えたんだ」

 時間遅延の応用だ。時間を遅くする能力も空間を歪ませる事で起きる。

 ふーん、と言うも拓馬はよく分からない様子だ。

 コリジョンロックで弾を止めると世界は矛盾を補う為に反発力を行使するが、弾が外れた事にすればそんな事は無くもない。

 確率的に有り得ない事と、限りなく低い事は根本的に違うのだ。

 これは躍斗が拓馬から学んだ事だ。

 ここまで来れば大丈夫か、と少しスピードを緩めた所で、背後から車が迫って来るのがバックミラーに写った。

 乗っているのは白い服を含めた数人の男。

 近くに停めてあった車も奴らの物だったらしい。

 躍斗は少しスロットルを上げる。

 車はスピードを上げ、すぐ背後に迫ってきた。

 自分のバイクのはずだ。キズをつけるような真似はするまい、と思っていると車のバンパーがバイクの背後に追突する。

 バイクが激しく揺れ、ハンドルを取られそうになるのを辛うじて立て直す。

 立派な殺人未遂だと思うのだが、と後ろを振り向くと桐谷が血走った目で拳銃に弾創を装填している。

 ここの所の真遊海を見て忘れていたが、水無月とはそういう連中だったなと改めて思い出す。

 拓馬は追ってくる車のフロントガラスに向かってガラスが割れる音を発した。……だが、

「ダメだアニキ! 風が強くてうまくいかねぇ」

 速度を上げたいが躍斗はバイクは素人だ。躍斗達は大丈夫でも通行人はそうはいかない。

 速度を上げすぎると、コリジョンロックが間に合わない。

 ゴン! と鈍い衝撃と共にバイクが蛇行。

 金切り声のような音を立ててアスファルトにタイヤ痕を残す。

 なんとか持ちこたえたが、そう何度も耐えられない。

 今は裏通りだが、信号に差し掛かると厄介だ。

 車輪のついている物にコリジョンロックをかけると、文字通り車輪がロックしてスリップしてしまう。

 だがそんな心配を余所に、行く先から道路が消えた。

 丁字路の突き当たり。その先は崖のように何もない。

 どのくらいの高さがあるのかも分からないが、躍斗に選択の余地はなかった。

 ブレーキをかけても後ろから追突され、結局崖に落とされる。

 曲がるにも速度を落とさなくてはならない。

 そのどちらも出来ない以上、出来る事は一つ。

 躍斗はバイク全体を包む領域を感じ取り、コリジョンをロックした。

 バイクはそのままガードレールに突っ込むが、鉄製のガードレールは見えない直方体が通過したようにひき潰された。

 バイクには傷一つつかず、衝撃も感じない。

 躍斗達はそのまま空中へと躍り出る。地面までは三メートルくらい。映画なら地味なアクションになる程度の高さだが実際にやってみると半端ない高さだ。

「わぁーーっ!」

 拓馬が大声を上げる中、二人を乗せたバイクは地面に接地、そのまま跳ねる事もなく氷の塊のように滑る。

 背後で桐谷達を乗せた車が、同じように宙を舞って地面に激突した音が響いた。

 こちらは派手に地面を跳ねて破片を周囲にまき散らす。

 もう廃車になる事は間違いないのだろうが、それでも構わずにアクセルを踏み込み、黒い煙と轟音を上げる。

 躍斗達を乗せたバイクは地面の上を滑るが、慣性に任せているだけで自走しているのではない。

 タイヤは回転しているが、地面との摩擦がゼロになっている状態だ。

 今コリジョンロックを解けば急にタイヤと地面に摩擦が生じて転倒する。解いた瞬間に体勢を立て直すには相当な運転技術が要る。

 少しスピードが落ちた所で解くのがよいのだが……。

 ガツンと背後に衝撃音。桐谷達が車をぶつけてきた。そのままバイクを押すようにして速度を上げる。

 前方には倉庫があるが、その前にクレーン車が停まっている。

「うわぁーーっ!」

 拓馬の叫び声の中、バイクはクレーン車と桐谷達に挟まれる形で突っ込んだ。

 桐谷達は車の中で車両衝撃テストのダミー人形のようにバウンドする。

 少し遅れて、クレーンがその上に倒れ込んだ。車は真ん中からひしゃげて完全なスクラップと化す。

「ひゃ~、すっげー。何ともないよ。オイラ達」

 拓馬がバイクを降りて感嘆の声を上げる。

 躍斗も息をついて体を伸ばす。息をもつかせぬとは正にこの事。安全は確保できているとは言え、生きた心地がしなかった。

 あまり無茶をしすぎると世界が放っておかないという事もあるが、躍斗は元々絶叫マシーンも苦手なのだ。

 倒れたクレーンを見上げ、これも世界が用意した矯正力なんだろうかと考える。ぶつかったのだから倒れてくるのは当たり前と言えば当たり前だが、できる事ならこれで代償終わりという事にしてほしいものだ。

 力を使った代償を避けながら桐谷達を撒くのは正直骨が折れる。

「うう……、くそ」

 ガタガタと歪んだドアをこじ開けて、桐谷が顔を出した。

 少し目を回していたが意識が回復したようだ。また追ってこられたら面倒だ。さっさと行こう、と拓馬の背を押す。

 倉庫を抜けようという辺りで、黒い車が通路を塞ぐように停まっているのが見えた。

 その異様に大きい黒い車はリムジンらしいが、異様さは高級感からくるものではない。

 明らかに防弾された、凶悪な重厚さを醸し出していた。

 そのリムジンの前に二人の大人。間に捕われた宇宙人のように立っている子供。

 だが三人共リムジンに負けず劣らず黒い格好をしていた。

 どう見ても普通の連中ではない。

 ここを通り抜けるのは少々気まずいが、後ろからは桐谷達が迫っている。

「こいつら。オイラをさらおうとした奴らだよ」

 拓馬の言葉に「こいつらが神無月か」と身を固める。

 そうしているうちに背後から桐谷達が追いつく。

 前門の虎、後門の狼かと思われたが、

「お、お前ら。水無月の仕事に割って入るつもりか?」

 桐谷は好戦的な態度を取る。

 だが黒い服の連中は落ち着き払って静かに応えた。

「ここは神無月の敷地だ。それにそのガキはオレ達が追ってたんだ。お前らが横取りしようとしてるんだろ」

 応えたのは真ん中にいる小さな男。

 ボーイソプラノで童顔だが鋭い眼光は少年のものではない。

 彼が黒服の中で一番偉いのは間違いないようだ。

「そのガキに手こずってたのはどこのどいつだ。お前らのターンはもう終わってんだよ」

 桐谷も負けじと反論するが、童顔の男はやれやれというようにぼやく。

「下っ端が無能なのはどこも同じでな。お蔭でオレがわざわざ出向かなきゃならなくなった。オレは面倒は嫌いでな。小僧、大人しく着いて来い」

 拓馬は拒否するように躍斗の後ろに隠れる。

「なあ、アンタは拓馬に何の用があるんだ?」

「なんだ? お前は。引っ込んでろ」

 桐谷は体についた埃を払いながら前に出る。

「ふん。その男も能力者だ。ガキよりも強いぞ。お前達で相手になるものか。分かったらサッサとそいつらを引き渡せ」

 一転して調子の良い事を言うキザ服の男に躍斗は半ば呆れる。

 童顔の男が手で合図を送ると、背後から四人のフードを深く被った人影が現れる。

 背格好からして男だと思われるが、その四人は全く同じ動作で音もなく歩み寄ってきた。

「仕事だ。クイン・カルテット」

「お、お前ら。水無月に楯突くつもりか!?」

 童顔はポケットに手を入れて一歩下がり、傍観者を決め込む。

「ここはウチの敷地で、ガキに先に目を付けたのもウチだ。……無能に説明するのは面倒だな。『文句があるなら戦争だ』これなら納得できたか?」

 四人の男達は一斉に懐から赤い本を取り出すと、流れるような動きでページを開く。

 およそ攻撃態勢に見えないが、その異様な光景に躍斗は息を呑んだ。

 拓馬も同じらしく、いつでも反撃できるよう大きく息を吸う。

 四人は何の予備動作もなく、同時に発声する。

 まるで発声練習のような四重奏。

 一人一人の音量は確かに大きいが、普通に鍛えられたオペラ歌手の域だ。だがその音階は微妙に異なり、それが重なって共鳴、増幅。周囲の物質を振動させるほどの音となって響いた。

「がああああ」

 桐谷とその取り巻きは耳を押さえて悶絶。

 躍斗と拓馬もその限りではない。

 冷静に観察所ではない。割れそうになる頭ごと耳を押さえるのが精一杯だった。

 狭間の力ではない。普通の力でもないが、起きている現象は全て自然現象で説明できる。

 こいつらは一体? と地面に伏せながら一応対抗する手段を模索したが、やはり音を防ぐ方法は分からない。

 薄れる意識の中、フードの男達は行進するようにゆっくりと歩き続け、仕事は終わったとばかりに立ち止まる事もなく立ち去って行く。

 白目を剥いて倒れている者達の中、躍斗は辛うじて身を起こすが、体が痺れるように動かなかった。時間遅延で意識が加速した分、少しだけ効果が薄れたようだ。だが体に受けるダメージは同じ。耳鳴りがする。

「ほう。あれを受けてまだ意識があるとはな。能力者というのは本当か? だが半端に育った奴を再教育するのは面倒だ。始末しておけ」

 黒服に命じ、童顔の男は拓馬の首根っこを持ち上げようと手を伸ばすが、

 どん!

 と何かに突き飛ばされたようによろめく。

 一瞬時間が止まったようにその場の空気は凍りついたが、すぐに怒声が響く。

「おい、待て!」

 その声に呼び止められた男は立ち止まり、「僕の事ですか?」とでも言うようにゆっくりと振り向く。

 そのコートを着た男は今まで居た事にも気が付かないほどの、捉え処のない、どうでもいい印象の男だった。

「オレが誰だか知らんようだな。教えてやれ」

 童顔が指を弾くと、黒服が懐に手を入れてコートの男に歩み寄る。

「よした方がいいと思うよ。これでも僕はウヲジという武術の使い手で……」

 男が言い終わるよりも早く黒服は警棒を伸ばして振り下ろす。

 ヴン! と空気の唸る音を立てて鉄製の警棒は振り下ろされたが、コートの男は平然と立ったままだ。

「君たちではとても太刀打ちできないからここは大人しく……」

 黒服は一瞬「?」の顔をしたが、すぐに二回、三回と振り下ろす。

 コートの男はそれでも動かなかったが、重い鉄棒が骨に当たる鈍い音が響く事はなかった。

 男は黒服の顔に向かって人差し指を突き出す。

「うわっ!」

 黒服は子供の様に尻餅を着く。当然のように伸ばされた手を払いのけようとしたが出来なかったのだ。

「キミはまず人の話を聞く事から身に着けるべきだと思うね」

 黒服は気味が悪い物を見るように尻を着いたまま後ずさる。

「このように全く無駄のない動きでかわすと、まるで攻撃がすり抜けているかのように見えてしまうんだ。同じような技術を持つ武術にロシアのシステマというのもあるが……」

 解説するコートの男に構わずもう一人の黒服が、内ポケットから拳銃を取り出し、間髪入れず発砲する。

 三発銃声が響き、倉庫の壁には実弾が食い込んだが、コートの男はやれやれというジェスチャーをしただけだった。

 ギギッ、と金属が軋む音が周囲に響くと、コートの男の頭上に卓球台ほどの金属板が落下する。

 板はそのまま軋みを上げて尻餅を着いた黒服の上に倒れ込んだ。

 童顔の男は砂埃から顔を庇ったが、埃が収まるともうコートの男も躍斗達の姿も見えなくなっていた。

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