第8話 桐谷 健二

 駅から続く商店街を少し外れた所に、大きな十字路がある。

 その真ん中には小さな時計塔が建っていて、街のランドマークになっていた。

 時計塔を囲う四つ角の一つはカフェになっていて、野外にまで席を広げている。

 午後になると人は多くなるものの、少し前はガラの悪い連中の溜まり場だったので、学生の姿は少ない。

 躍斗はそういう輩とも関わる事なく昔からよく利用していた。

 そして今日もやって来たのだが、今回はメールで呼ばれたからだ。

 その呼び出した相手、真遊海は屋外席に座ってお茶を飲んでいる。

 もう縁を切ったとは言え、真遊海もガラの悪い連中の一員、正確にはそのスポンサー。

 それを知る者もちらほらいるらしく、それとなく周りの席は空いている。

 躍斗は真遊海の対面に座る。

 席には躍斗がここでいつも飲んでいるアイスカフェオレが置いてあった。

 真遊海は足を組んでスマホをいじったまま口を開く。

「せっかく携帯あげたんだから、着く前に連絡くれればいいのに」

 特に咎めるような口調ではないが、躍斗は少し渋い顔になる。

 大して乗り気でもないのにそこまでするか。これはデートではない。何より真遊海から呼び出される時はロクな事が起きないものだ。

 わざわざそんな言葉を突き付ける事もないので、使い方がまだよく分からないと当たり障りのない事を答える。

 授業中にメールが着信して散々だった。こんな物を持たされたせいで……と若干不機嫌を演出してデートムードから外れてやろうとしたのだが、真遊海はポカンと呆けたように口を開けていた。

「……スマホ使えないの?」

 呆れを通り越してほとんど憐れむような顔で言われ、むっとして黙り込む。

 真遊海は「は~」とかなり長い溜息のような息を漏らしたが、吹き出すように笑い出す。

「あなたって、デジタルに強いと思ってた」

 子供のように拗ねた顔で携帯を取り出す。

「デジタルってのはもっといっぱいボタンがついてるもんだ。画面触って動かして操作したりはアナログって言うんだよ。ゲームのスティックもアナログスティックって言うだろ?」

 ぶふーっ、とお茶を吹き出し、咳き込むように笑う真遊海のゲホゲホという声の中に僅かに「爺むさい」という言葉が混じり、躍斗の顔が赤くなる。

 ひとしきり笑った真遊海は、ごめんなさいと涙を拭いながら後ろへ向かって何やら合図を送る。

 真遊海の後ろに控えていた青年が一歩前に出た。

 最初からいたのだが特に干渉してこなかったし、ただ立っているだけの無関係な人かもしれなかったので気にしていなかったのだ。

 青年はファイルに閉じられた書類を差し出す。

 真遊海はそれを無言で受け取り、一呼吸置いてまだそこにいる青年を二度見し、しっしっと手を振る。

 青年は不満気に少し下がった。

 躍斗はどう反応したものかと困惑気味に真遊海と青年を見比べる。

「ああ、この件を任せていた調査員よ」

 調査員と言うがまだ若い。成人しているとしても精々二十一、二才。

 眩しいくらいの白い服が、育ちの良さというか、人に指図をする立場にいるという事を敢えて誇張しているような、一口で言うならキザったらしい服装だ。

「桐谷健二だ」

 真遊海は青年の自己紹介を無視して書類を広げる。

 書類にはまだ子供と言っていい少年の情報が事細かに書かれていた。

 新井(あらい) 拓馬(たくま)11才。

 身長体重、住まい家族構成などは普通に調べられる事だろう。

 細かい字でビッシリと書かれたそれらは読み飛ばし、問題の「どんな力を持っているのか?」の箇所を探す。

 資料によると、『声を使って不可思議な現象を起こす能力』。

 大人数人が束になっても手玉に取られるくらいの戦力だが、口を押えるなどで能力を封じる事が出来る。

 あとは『言霊』とイルカやコウモリ等の『超音波を発する生物』に関する資料だ。

 全体としては結構な束だが、大半は普通の興信所の仕事とネット情報を印刷しただけの物だ。

 肝心の能力に関する記述はA4紙一枚に満たない。

「これじゃ大した事は分からないな」

「なら見なくていいぞ」

 この青年が集めた物だったらしい。

 地下鉄の地震との関連は見られない。一応現場にも行ってみたが何も得られなかった事を伝える。

「声で物を破壊するって……、超音波でも出すのかしらね」

「私はその類いのものと思っています」

 真遊海の呟きに桐谷が答えるが、無言で「あんたに聞いてない」と言わんばかりに無視している。

 躍斗は資料を置く。

「実物を見た事はあるんすか?」

 一応目上の者のような気がしたので、敬語混じりに聞いてみたが桐谷はぐっと言葉を詰まらせた。

「ないない。どうせこれ神無月が集めた資料でしょ。それを鼻薬嗅がせて入手して、少ないもんだからネットの情報添えてかさ増しした」

 淡々と言う真遊海の言葉に見る見る桐谷の顔が青くなる。

「お嬢様が、あまりお急ぎでない御様子でしたので……」

「それでも必要ってなった時にすぐ用意できてこその調査員でしょ。一体いくら給料貰ってんのアンタ」

 真遊海は足を組んで桐谷に向き直る。

 桐谷は若い女上司に叱られる平社員のように恐縮するが、その発端が自分にあるような気がして躍斗は居たたまれない気持ちになった。

「あの……、神無月って?」

 話題を逸らすように聞く。

「ああ……、前にちらっと話した対抗組織よ」

 元々は水無月と同じ系列の財閥だったが、考え方の違いで訣別。

 以来何かにつけて対抗している。

 奴らは利益の為なら手段を厭わないし、違法な事も平気でやる。

 超常的なものを追う部署も水無月が先行し、当初は馬鹿げていると一笑に付していたくせに、成果の兆しが見えると介入して横取りしようとして来たと言う。

 躍斗にしてみれば水無月とどう違うのかサッパリ分からなかったが、多分神無月の人間に水無月の印象を聞いても同じ事を言うのだろう。

「でも神無月にはこっちの息のかかった者もいるから情報は筒抜けよ」

 水無月にも神無月のスパイがいる事は考えないのだろうかと思ったが、躍斗の心配する事ではないので黙っていた。

 よその会社の説教に居合わせるのも気まずい。さっさとこの場を去りたいと書類を束ねる。

「この資料、貰ってっていいのかな?」

「あ、ごめん。それはダメ。これはすぐ破棄しないといけないんだ。でもこれは写真撮っていっていいよ」

 少年の顔写真の入ったページを見せる。

 写真? と片眉を上げる躍斗に、

「撮り方分からないの? じゃあ撮ってあげる。携帯かして」

 いいよ自分でやる、と渋る躍斗に真遊海は身を乗り出して手を伸ばす。

「いいからいいから。わたしのあげた携帯なんだから。ボタン一個しかないんだもん。分かんないでしょ」

 ズボンのポケットを勝手に探ろうとするので慌てて携帯を取り出す。

 尚も身を乗り出す真遊海に、躍斗は小さな子から物を取り上げるように手を高く上げた。

 しばしじゃれ合うカップルのようなやり取りを繰り広げたが、溜まりかねたように桐谷が躍斗の手から携帯を奪い取って手際よく写真を撮った。

 真遊海は一瞬恨めしそうに桐谷を睨み付けたが、何に対する不満なのかを追及されても答えられないので大人しく椅子に戻る。

「じゃ。僕は僕で、この子を探してみるよ」

 携帯を受け取ると、躍斗は居たたまれなくなって半ば強引に席を立つ。

 また連絡するから――と見送る真遊海に適当に手を振ってその場を後にした。

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