6-5
減速してカーブを曲がり、視界に入ったムーンライトの看板は消えていたが入口に向くスポットライトは照らされている事を確認して複雑な気持ちになる。
(気が重い。
俺はあの人に何て説明すればいいのだろうか。
見え透いた嘘が美香さんに通用するのだろうか。
気が咎める。
正直に話して事情を酌んでもらえるだろうか。
騒ぎを大きくされたら直接関係の無い人までも巻き込まれるのは確実だろう。
あなたに被害が及ぶと言えば納得するだろうか)
これを体現するようにして店前をノーブレーキで通り過ぎてしまったが数十メートル先にあった路地で左折して停車し、一息入れて精神状態を落ち着かせた。
(逃げ出すのは卑怯だし開き直るのは違う。
偽りたくないし危険な目にも遭わせたくない。
自分の意思は纏まらず、他人の未来に責任を負えない。
誰の想いを尊重して、誰の思惑を歪めるのが得策なのか。
もどかしくて気が揉める。
事実を知られたくないのはとレイコ。
美香さんは事の成り行きを知りたいのだろうか。
あのベテランヤクザは細部まで知りたいのだろうか。
何を明らかにして何に目を瞑ればいいのか。
憂鬱だ。気が滅入る)
ふと数時間前に送り出された時の顔が浮かび上がって来た。
(そうだ、あの人は今尚心配で気が気でない筈。結論は本人に委ねるしかない)
これでやっと意を決した俺はスナックへと方向転換をする。
「すいませぇん、もうおし……」
「来た、遅いっ」
ドアを開けた瞬間に耳に届いたママのお断りが厨房から勢い良く飛び出てきた美香さんの言葉で遮られる。
すぐさま一人だけ残っていた客と思しき人物が目に入り、入口の灯りが消されていなかったのはこの為によるものだったと推察した。
「で?」
簡素なカウンターバックの前を抜けて詰め寄って来た相手に早速状況報告を急かされ茫然とする。
「あんたがあまりにも遅いから私も店が終わってから行こうと思ってたのよ」
家族ごと忽然と消えているのは明白だったのに、ただ報告してもいずれはバレる。
「奥さんとお子さんが車があるのに居ま…」
「お待たせ致しました」
突然背後のドアが開き驚く。
「はい、今行きまぁす」
これに白髪交じりの男と横並びに座っていたママが軽快に返事をした。
「じゃ、帰りましょうか」
そのまま促された人物が頭を掻き上げて立ち上がり、こちらに歩み寄って来たタイミングで自分が入れ替わる様に美香さんから手前の一席に招かれたのでそこへ腰掛ける。
「あきなちゃん、戸締りはちゃんとしておいてね」
遅れて席から離れたママの釘差しに対して美香さんは親指と人差し指で丸を作って合図を送り微笑む。
「じゃあね」
その流れで肩を叩かれながらこの言葉を受けた自分は咄嗟に会釈をし、笑顔で手を振ったママは緩やかな足取りで店を後にした。
「それで、様子は?」
俺が振り返るよりも先に飛んで来た詰問に素直に答える。
「洗濯物がそのままでした」
コレを聞いた美香さんの表情が一気に曇り、言い方を考えればよかったと後悔したが、次の言葉を聞いてこちらが困る羽目になった。
「あんたは何でこんなにも遅れて来たの」
ここからは自分の器量が問われる。
「……ヤクザもんと少し話を……」
「和泉組」
!
「柳田絡みね」
(な……)
「そうかぁ、やっぱり」
愕然とするしかなかった。
でも、どうして……
「知ってたのよ」
「何をですか」
「玲子の事。
(え?……)
「その理由はあんたが態度を急変させたのを剛さんが怪しんだから」
(まさか、バレたのは俺のせいだった。自分の落ち度で揉め事をデカくしてしまったのか)
「あの人は女一人に対してあんな手段を選ぶのは柳田の仕業かもって思ったらしくてね。その翌日には鬼畜龍の現役を捕まえて口を割らせたのよ」
(だとしたら、シャブ中はレイプの件を廃パチンコ店で問い詰められたから逆上して拳銃を抜いたとも考えられる)
「不可解な部分はあったの。あの子、自力で帰って来たって言ってたから。それを私が剛さんに喋っていたからそう勘付いたのでしょうね」
(こうなる前に何処かで負けを認めていれば、あの時に俺の部屋で怒りを抑えられていればこんな事が起こらずに済んだ筈。余計な人にまで気苦労や迷惑をかけてまで復讐なんて考えるべきではなかった)
何時の間にか後悔で塞ぎ込む様にうな垂れていた自分の前にグラスが置かれ、ビールが注がれる間に顔を上げると美香さんが首を横に振る。
「あんたが心を痛めなくてもいい。私たちも悪かったわ。あの居酒屋で会った時点で報告しておくべきだったから」
言い終えてからもう一つ用意されていた器に液体が注がれ、それを持ち上げ口へ運んだのを見て自分もグラスを掴み喉を潤した。
「それで、連絡の無かった時間にヤクザとは何を話したの?」
気遣いが込められた声でカウンター越しから問い掛けられ、この場でやらなくてはいけない事を思い出した。
「それは……この騒動の中で人が命を落としていると聞かされました」
濁した言い方だがコレは真実。
「まさかそれって」
「誰かは分かりません」
これは虚偽にも取れるが事実。
自分の発した遮る様な言葉で沈黙が訪れ、お互いの視線が徐々に外れていった。
今となっては誰を助けられて誰を救えないのだろうか。
真実を追求してタケさんは助かるのだろうか。
事実を明かして美香さんは救われるのだろうか。
今現在でタケさんが消されていないのを裏付ける証拠が無い。
かと言ってあの人の身が安全である事も証明出来ない。
……出来る。
「ですが、調べる方法があるかもです」
これを聞いた美香さんが少し前のめりになった。
「それは、どんな風になの」
そして俺は呼応する様に思い付いた策を話してみた。
「この一件に絡んだチンピラが居ます。その久賀って奴は今警察に出頭して逮捕されています」
朧気に浮かぶ構想を整理しつつ続ける。
「そいつと親密に関係する女が居るんです。大崎っていうんですけど」
「うん、それで?」
相手の高揚を受けながら話を進める。
「その女を通して久賀が警察で吐いた人物を聞き出せれば自ずと真相が判明する筈なんですが」
これは嘘だった。
殺された人物が柳田だった場合は久賀の嘘が確定するだけでタケさんの安否は保障されないと分かってはいたが、それでも糸口を見出すにはこの案くらいしか考え付かなかった。
「それは直接聞き出せる唯一の手段ね」
「ただ、これを頼もうとしたら奴の親族にも了承してもらわないと……」
「あら、知らなかったの?」
美香さんの眉間を持ち上げ目を丸くした表情にこちらは首を傾げる。
「面会は知人でも許可されるわ。昔の彼氏がパクられた事があって、私自身経験済みなのよ」
打ち明けられた過去は興味深かったが現状はそれどころではないと戒め、続きに耳を傾けた。
「裁判所か警察署からの連絡で何処に居るかは家族が知ってるから教えてもらう役目はしてもらわないとだけど、未成年の殺人で友人でもが面会出来るかまでは判らないわ」
「なら、久賀の姉に当たればいけるんじゃないかと思います」
「じゃあ、そうしてもらおうかしらね」
今はこれしかない。
下手に動くより知り得る情報を取得するのを先決にするべきだ。
「その子が心配なら私がそれに付き添ってあげようか」
「え、いいんですか。はい」
女性という生き物は時にその辺の男に比べて強く、特に自らの意思を固めた場合は自己犠牲を払うのも厭わない。
部外者とまでは言わないが、貢献してくれる心意気に頭が下がる。
「あとね、面会を行う場合は事件に関係のある会話には注意しなくっちゃいけないのよね。立会いの警察官に不適切と判断されると注意を受けて面会が終了させられる事があるから」
そうか、会話の内容や質問を考えなくてはならない。
その為には自分の知っている事を漏らさなくては進まないのか。
この筋書きで最悪のシナリオはタケさんが犠牲になったと久賀から聞かされる事。
この人には、ある意味免疫を付けておいてもらう必要がある。
「じゃあ、先ず俺がし……」
話し出して直ぐに片手で遮られ「待って、メモるから」と言った美香さんがカウンターから離れる。
戻って来た後からは自分の聞き出したい内容を述べ、その理由と経緯を聞かれながらメモ帳に書き出してもらい、自分が得た情報は小出しにしつつ聞かれた問いには最低限の答えで面会時間を十五分と制限される中で聞き出せる有意義な質問の中身を練った。
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