仏都会津に迫る雷獣

「あ…あれ?」

「元に…戻って?」

「朝ごはんのベーコンエッグにパンも通常通りだ」

「今のは一体何だったの?」

「さあさあ早く朝食あさめし食わねぇと学校間に合わなねぇぞ」

「まいっか。いただきまーす!」

12人の寮生達は朝食を食べはじめた。


私立会津誠道高校

福島県耶麻郡磐梯町にある恵日寺が運営する、「会津藩什の掟の本当の教えを仏教的観点に基いて人材を育てる」をモットーにした、文武両道の名門校である。

この日会津誠道高校の理事長を務める恵日寺の住職、大僧都・鈩迫たたらさこ磐如ばんにょによる理事長の挨拶があった。

生徒はこれを“法話”と呼び、飽き飽きしながら聴くのが慣しになっていた。

「皆さん、この会津盆地は奈良時代に徳一とくいつという名僧によって「仏都」と呼ばれる程仏教文化が花開きました。何故会津という土地を選んだのか?最澄や空海と互角に渡り合える奈良仏教の高僧であった徳一が、当時の大和政権が多賀城までようやっと支配下に収めたばかりの会津盆地に仏教文化をもたらした理由。一つ目は大和政権と癒着し、堕落した奈良仏教のしがらみが一切無いからです。徳一は同じ時期に奈良仏教と戦った天台宗の最澄からは麁食者そじきしゃ謗法者ほうぼうしゃ北轅者ほくえんしゃ等と罵られ、真言宗の空海からは黙殺されるなどぞんざいな扱いを受けました。こうした政治がモノをいう当時の奈良仏教界に嫌気が差した徳一は、「ならばお前達の言う蝦夷えみしと言う未開の野蛮人が住む土地で本当の仏の教えを学び広める場を作ってみせる!」と平城京を見限り、陸奥国を目指して旅立ったのです。二つ目は岩代国に立ち寄った時の事でした。その頃、会津富士こと磐梯山は病悩山やもうさんとも呼ばれて魔物の住処であり、作物も実らず疫病が絶えないまさにこの世の生き地獄だったのです。その惨状を見兼ねた徳一は岩代国、磐梯山の麓に慧日寺を開き、仏法をもって魔物や疫病と戦ったのです。こうして会津盆地を魔物や疫病から救った徳一はこの地開いた慧日寺を新たな仏教の学びの場として整備し、さらには二度と魔物や疫病が出てこないよう、勝常寺、柳津円蔵寺、西会津妙法寺といった寺院を多数建立し、大乗の教えを会津盆地と阿武隈盆地に住む蝦夷の人達を強化したのです。つまり、当時の仏教界に失望した高僧徳一が、魔物と疫病の住処だった磐梯山を、仏の教えで人々が安らかに暮らせる土地にしたのです」


裏磐梯・桧原湖

いはてと土蜘蛛は裏磐梯の桧原湖にいた。

いはてが湖底から鉄鉢を加えて顔を出すと、湖畔で待機していた土蜘蛛に渡した。

-ドサッ

「これに「雷獣」が封印されているというのか、いはてよ?」

「間違いねぇだ。わらしぇだ子供達をさらっては喰った雷獣っちゅう悪鬼羅刹が封印されているのがその鉄鉢だ」

「てめぇが妊婦と赤ん坊さらって喰ってたのと同類だな」

しぇずねぇうるさい!んだばこの鉄鉢さオラだの鬼魂魄を宿して…」

オン涅哩底曳ネリチエイ娑婆訶ソワカ!」

いはてと土蜘蛛が鬼魂魄を鉄鉢に宿して上で羅刹天真言を唱えると、

-ピカー

-ドカーン-

鉄鉢が爆発し、中より現れたのは巨大なハクビシンの妖怪「雷獣」だった。

「こいつが雷獣っちゅうやつか」

「いけ!雷獣!この岩代と磐城に住まう人間の恐怖を増大させよ!」

土蜘蛛が命令すると雷獣は会津盆地へ飛んで行った。

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