十五

「あらあら、お久しぶりですねえ。縛寿さん。まさか、そんな姿になっていようとは・・・しぶといですねえ」

 響介さんは腕組みをして、相手を見下すように、顎を上げた。そして、顎髭を撫でる。

 縛寿? 今、響介さんは、縛寿と言ったのか? 縛寿とは、陥落した御三家の長縄の先代当主の名だ。昔、六角堂・神槍の当主と響介さんで、討伐したという例の・・・まさか、雫さんの左胸から生えている顔が、そうだと言うのか? まるで、雫さんの左胸に埋め込まれているような、寄生しているような・・・気持ちが悪い圧倒的な存在感だ。

「まさか、生きているなんて、驚きましたよ。とどめを刺したつもりでいたんですがねえ? その現象も『妖結晶』の成す術なんですかねえ?」

「はっはっはっ! まさにその通りじゃ! ワシが生成した最高傑作じゃわい! しかし、やはり本物が欲しいのう。歪屋? ワシに譲ってはもらえんか? そんなまがい物ではなく、本物をな」

「え!? まがい物!?」

 初めて、雫さんが狼狽える姿を見せた。

「お前も、まだまだ詰めが甘い。あれは、模造品じゃ」

「あらあら、やっぱりバレましたか? 良く出来ていると思うんですがねえ?」

 すっと手を上げて、響介さんは顔の前で、光り輝く結晶をかざした。響介さんは、いつの間にか、真君が取ってきた『妖結晶』を持っていた。

「相変わらず、舐めたガキじゃわい! 胸糞悪い」

 長縄縛寿は、不愉快そうに唾を吐き捨てた。吐き捨てられた唾は、石畳へと落下し、赤い模様を浮かせた。血が混じっていたようだ。そう言えば、響介さんの手からは、血が流れていた。響介さんが、雫さんの左胸に触れた時、縛寿に噛み切られたのだろう。しかし、響介さんの手は、流血が止まっていた。

「孫に寄生して生きている老害に、とやかく言われるのは心外だねえ」

「フン! 貴様の短い物差しで測るでないわい。可愛い孫もワシとおれて、さぞ幸福じゃろう、なあ雫や?」

「ええ、おじい様。それに、ごめんなさい。偽物だなんて、不覚です」

「まあ、ええ。役者は揃った。奴を仕留めれば、終いじゃ」

 雫さんから生えた、皺だらけの顔が歪み、もはや人間だと認識するのも難しい。

「幸い戦闘特化型は、夜叉丸の世話で忙しいみたいじゃしのう。早々に片付けるとするか。おおと、歪屋? 『妖結晶』の在処を吐いてからくたばれよ」

「吐かせてみると良いよ。時、君の役割は、分かっているねえ?」

 僕は、小さく顎を引いて、後ろへと下がった。僕は、特別な能力を持っていないし、戦闘訓練も受けていない。危機的状況に焦って飛び出す訳にはいかないのだ。現状、縛寿が言うように、銀将君・神槍さん・鍵助さんと戦闘に長けている人達は、手が塞がっている。もどかしさは、当然あるけれど、冷静に対処しなければならない。

何の努力もせず、数奇な環境で育った訳でもない僕が、急に俺THUEEEとはならない。一般人から見たら、数奇な環境ではあるが、この『もののけもの』の世界では、なんのアドバンテージにもならない。この最悪の状況を生き延びて、今後の糧にするしかないのだ。

未来の多くの人々を救うために。

 雫さんが、髪の毛を振り乱して、突進してきた。この世の闇を全て吸い取ったような漆黒の黒髪が、一本一本意思を持った生物のように、四方に動き回っている。すると、髪の毛が数本ごとに束になり、鋭利な凶器へと変貌する。まるで槍のように、響介さんへと突き立てた。響介さんは、バックステップでかわすと、石畳に無数の穴が空いた。殺傷能力も十分だ。雫さんは、四つん這いになって、石畳の匂いを嗅いでいる獣のような格好をしていた。そのままの体勢から動かない。怪訝に眺めていると、何かをかち割るような音が聞こえ、響介さんが背後に吹き飛んだ。吹き飛ばしたのは、鏡々さんだ。鏡々さんの体に、数本の黒い槍が突き刺さっていた。鏡々さんが響介さんを庇ったのだ。地面から生える黒い槍が、鏡々さんを貫いたまま上空へと伸びた。雫さんの凶器と化した黒髪が、地面を通過し強襲したのだ。

 鏡々さんが、高く持ち上げられた。すると、鏡々さんの体に、無数のヒビが入り、バリンと音を立て砕け散った。そして、欠片の一つ一つが、意思を持ったように、雫さんへと降り注ぐ。雫さんは、地面から髪の毛を引き抜き、離脱した。距離を取った雫さんが地面に着地した瞬間に、顔面から地面に倒れこんだ。まるで、殴り倒されたように、華奢な体が地面でバウンドする。そして、すぐさま立ち上がり、まるで躍るように飛び跳ねていた。何をしているのか分からない。暫く、状況が理解できず、茫然と眺めていると、息を切らした雫さんが、大きく距離を取って動きを止めた。

 先ほど、雫さんがいた場所に姿を現したのは、九十九さんと琥珀だ。琥珀の背に乗った九十九さんが、巨大な棍棒を担いでいた。自身の体より大きな棍棒を担ぐ九十九さんに違和感しかない。高速移動をしていた琥珀に乗った九十九さんが、棍棒で雫さんを殴り倒したようだ。

 いつもは、穏やかで優しい玄常寺の面々だが、有事の際はこれほどまでの力と無慈悲な攻撃を発揮するのだ。

 僕は、目を逸らしたい弱い心を、強引に奮い立たせている。目を背けずに、現実を受け止めなければならない。正直、未だに信じられない。雫さんが、僕達を欺き、僕達を殺そうとしている現実を。目を背けて、現実が変わるのなら、そうしよう。僕が知らない所で、誰かが傷ついていたとしても、僕には関係ない。そんな無責任な現実逃避は、この立場では許されない。

「良い心掛けです。お辛いでしょうが、良くぞ見届けておいでです」

「九十九さん」

「なかなかに、見所がある小僧じゃて。期待しておるのは、歪屋だけではないのじゃ。精進せい」

「琥珀・・・さん」

 いつの間にか、九十九さんと琥珀が、僕の隣にいた。九十九さんは琥珀にまたがって、巨大な棍棒を軽々持ち上げ、肩を叩くように二度浮かせ姿を消した。そして、遠くの方で、地面や樹木を破壊する音が鳴る。

 雫さん対九十九さん琥珀ペアは、力が拮抗していて、なかなか決着を見せなかった。御三家の長縄に引けを取らない古株コンビは、息の合った連係を見せている。

「おお、なかなかやるやんけ! あの二人!」

 振り返ると、神槍さんが、古びた布を巻いた長細い物を持って、こちらに歩いてきた。その後ろに、眠った祈子さんを、お姫様抱っこした銀将君がいた。どうやら、あちらは、決着がついたようだ。印象的だったのは、銀将君と神槍さん、そして鍵助さんが傷だらけなのに対して、祈子さんにはあまり傷がついていなかったことだ。それと、祈子さんの顔には、ボロボロになったマスクがつけられていた。これだけの激闘の後を見て、祈子さんのマスクが取れなかったとも思えない。きっと、戦いの後で、たぶん銀将君が、マスクを拾って付けて上げたに違いない。

「やれやれ・・・どうやら、ここまでのようじゃのう」

 嘆息と共に、聞こえてきた声は、長縄縛寿のものだ。互いの攻撃を振り払って、距離を取り合った古株コンビがこちらへ戻ってきた。

「ようやく、諦めましたか? 賢明な判断ですよ」

「諦める? それは、少し違うのう。一端、仕切り直すだけのことじゃ」

「仕切り直す? ここから逃げられるとお思いで?」

 響介さんが、薄く笑みを浮かべ、顎髭を撫でる。

「勿論じゃ。ワシを誰だと思っておるのじゃ? 長縄縛寿じゃ! 容易いわい。それにのう」

 雫さんの左胸に存在する不気味な顔が、響介さんに張り合うように笑った。

「おおよその検討は、ついておったのじゃ。『妖結晶』の在処のな。貴様が持っておるのじゃろう? 歪屋? 肌身離さず」

「さあ? どうでしょ?」

 腕組みをした響介さんが、歩き出し雫さんへと近づいた。

「僕もねえ、聞きたいことがあるんだよ。縛寿さん。どうして、こんな無謀な計画を立てたんだい? 真君に持ってこさせるのだってそうだ。可能性としては低すぎないかい? 顔だけになって、頭悪くなったんじゃないの?」

「はっはっはっ! 試作品の完成度を確かめたいと思うのは、技術者のさがじゃわい! それに、孫娘の甘さも露呈したからのう。鳳凰寺や染宮を縛っておけば良いものを」

「・・・ごめんなさい」

「まあ、ええ。なかなかに、楽しませてもろうたわい。これは、一種の宣戦布告じゃ。挨拶代わりとでも、言っておこうかのぅ」

 これから始まるとでも言いたげだ。しかし、響介さんが言うように、この面子から、逃れられるとも思えない。それに、縛寿が言っていた、雫さんの甘さというものも引っかかる。実は、僕も同じ事を考えていた。元町先輩や夜叉丸にしたように、僕と真君を髪の毛で縛り支配しておけば、少しだけ現状が変わっていたかもしれない。

 もしかして、雫さんは・・・。

「ああああああああああああああああああああああっっっ!!!!!!!」

 突然、雫さんが悲鳴を上げて、地面に倒れこんだ。

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