「おい! 馬鹿時! いつまで、寝てんだよ!? さっさと起きろ!」

 耳元で響く怒声と体の痛みで、目を覚ました。慌てて飛び起きると、箒を持った真君が仁王立ちしていた。時計を確認すると、午前6時だ。ちなみに、雫さんとの待ち合わせ時刻は、午前10時だ。思わず眩暈がした。これは、予定外の早さに起こされたことが原因なのか、今でも耳鳴りするほどの大声が原因なのか、布団の上からでも箒で殴られたことが原因なのか、判然としない。恐らく、それらがミルフィーユのように折り重なっての結果であろうけれど。本日は、遊園地に遊びに行く予定を立てていた。真君は、すっかりお出かけ用の服を着ており、準備万端のようだ。真君が、僕が寝ている布団の脇に腰を下ろして、遊園地のパンフレットを広げた。

「やっぱり、遊園地と言ったら、ジェットコースターだよな? 雫は、好きかな? あ! お前の意見は、全部却下な! お前は、オマケなんだからさ」

 うーん・・・なんて、楽しそうに・・・なんて、生き生きと酷いことを言うんだ。

 でも、こんなにも楽しそうにしている真君を見るのは、始めてだ。昨日までの苦労の日々が報われて、笑顔だけではなく涙も出そうだ。

 先週、雫さんを送り届け、真君に拒絶されてから今日まで、本当に苦労した。真君と顔を合わせる度に、遊びに誘ったが、毎度暴言と共に押し返された。しかし、雫さんには、『真君も楽しみにしています』と、嘘を付いていたのだ。同居している小学生を遊びに誘う事もできないなんて、祈子さんじゃないけれど、口が裂けても言えない。喜ぶ雫さんを落胆させる訳には、いかなかった。そして昨夜、とうとう半分諦めて、真君の部屋の中に、こっそり遊園地のパンフレットを忍ばせていた。最悪、体格差を生かして、力づくで連れて行く気でいた。もしくは、体調不良だと嘘をついて、雫さんと二人でデートを楽しむつもりであった。後の方が、濃厚な作戦であったのは、言うまでもない。

 その後、真君のワクワクは、留まることを知らず、思い描いた未来予想図を言語化していく。あれに乗って、あれを食べて、溜まっていた鬱憤を晴らすべく、瞳は爛々と輝いていた。最初は、始めてみる姿に驚いたけれど、これが真君の本当の姿なのだろう。

 小学四年生の十歳の女の子の姿だ。

 口に出してしまえば、箒で追い掛け回されそうなので、黙っておくことにする。こんなにも楽しそうにしている真君を見つめていると、自然と頬が緩んでしまう。妹、もとい弟がいると、こんな感じなのだろうか? この感情は、兄性とでもいうのだろうか? 僕達は同じ主に仕える、ある意味兄弟弟子のような関係だ。そうなると、僕の方が後に玄常寺にやってきたのだから、僕が弟弟子になるのか? この際、上下関係は、どうでも良い。この陽だまりの中にいるような心地よい温もりを保っていたいものだ。

「おい、馬鹿時! なに、ニヤニヤしてんだよ!? キモイんだよ!?」

 真君、台無しだよ。

 朝食を取り終え、屋敷内の清掃に入った。あっちこっちと慌ただしく動いていると、真君はずっと僕の傍で、話し続けている。余程、この光景が珍しいのか、すれ違う九十九君達が振り返って首を傾げていた。

「染宮殿? 今日は、お出かけになられるのでしょう? 掃除は我々が行いますので、支度をなさって下さい」

 九十九さんのお言葉に甘えて、僕は自室へと向かい準備を整えることにする。あれ? そう言えば、突然真君の姿が見えなくなった。どこに行ったのだろうか、と考えていると、答えは直ぐに見つかった。自室の扉を開くと、床中に僕の私服が散乱していた。何事かと目を丸くしていると、真君が勝手に入り込み、衣服を投げ捨てている。

「まともな服がないじゃないか? う~ん、これはまだマシかなあ?」

「あ、あの、真君? 何してるの?」

「何って、お前の服を選んでるんじゃないか? ダッセエ格好で傍をうろちょろされると、僕が恥ずかしいんだよ!」

 苦笑いをした。真君の言葉と表情が合っていないからだ。真君が楽しんでくれているなら、僕は喜んで着せ替え人形になろう。しかし、申し訳ないのだが、たいして服のレパートリーがある訳ではない。普段は、制服と支給された作務衣を着ている。私服など着る機会は、ほぼないので、中学生の時に買った服を、そのまま持ってきている。

 ちなみに、この玄常寺での労働の対価は、衣食住の確保のみだ。お給料というものは、発生していない。これだけを聞くと、非常にブラックなのだが、そうではない。この上ない、好待遇なのだ。きっと、どこの企業を探してもこんな優遇は、存在しないと思う。社会を知らないから、僕の想像だけど。なぜなら、クレジットカードを持たせてもらっているのだ。勿論、響介さん名義の。『好きに使いなさい。でも、無駄遣いはしちゃいけないよ。お金の使い方で、人間性が出るからね』と、クレカを受け取ったのだ。そして、大広間のタンスの中に、現金が入っており、『必要な時に、必要なだけ、持っていきなさい』と、言われている。そもそも、あまりお金は使わないが、何かを試されているようで、手を伸ばすことに腰が引ける。朝食後に、響介さんに報告し、二万円を頂いてきた。当然、お金が余ったら、戻すつもりだ。

「金で買えるものは、買っておきなさい。安いものだ」

 お金を頂いた時に、響介さんからそう言われた。あれは、どういう意味だったのだろうか? お金は、大切な物だ。と、漠然とは理解しているつもりだけど、いまいち良く分かっていない。お金を稼いだことがないからだ。僕の労働の対価は、いくらなのだろうか? やっていることと言えば、広大な敷地内の掃除や生活のお世話、そして悪霊に追われ死にかけたくらいなものだ。玄常寺にとって、僕の存在価値があるかどうかも分からない。兎に角、胸を張ってお金を頂けるように、日々精進していかなければならない。そう考えてはいるが、本日は、お勤めをお休み頂き、お金も頂いた。小さな罪悪感を胸に秘め、僕と真君は、待ち合わせである最寄り駅へと向かった。

「何、浮かない顔してんだよ? 楽しみじゃないのかよ?」

 真君に手を引かれた。ハッとして、我に返り笑みを見せた。

「楽しみだよ! 真君も楽しもうね!」

「当たり前じゃんか!」

 年相応の真君の笑みに、胸につかえたモヤモヤした気持ちが流れていった。余計なことは、また今度じっくり考えることにして、今日は雫さんと真君とのデートを存分に楽しむことに決めた。反省はいつでもできる。

 待ち合わせ時間よりも少し早く到着した。雫さんは、まだ来ていないようだ。真君は、さっそくパンフレットを広げ、目を輝かせていた。すると、雫さんが、小さく手を振りながら、小走りで駆け寄ってきた。

「おはよう。早いね」

 僕は、雫さんに見とれてしまい、挨拶が遅れてしまった。私服姿は、見たことがあるが、今日は一段と輝いて見えた。

「時が、どうしてもって言うから、仕方なく来てやったぞ! まったく! 本当は、忙しかったのにさ!」

 真君は、そっぽを向きながら、不貞腐れている演技をしている。

「そうなんだ? ごめんね? 今日は、私達に付き合ってくれて、ありがとね、真君。今日は、楽しもうね!」

 満面の笑みで大人の対応をする雫さんに、『仕方ないなあ』と真君は、奥歯を噛み締めていた。笑顔を我慢しているようだが、見なかったことにする。

 電車に乗り込み、僕達は、遊園地へと向かった。目的地に到着すると、真君のテンションが、大爆発を起こした。移動時間ももったいないのか、真君は走り出した。手を握っている雫さんが引っ張られ、僕は慌てて後を追う。入場早々ジェットコースターに連続で三回乗って、その後も、様々なマシンに乗り込んだ。移動は常に走り、待ち時間が休憩といった感じだ。真君の底なしの体力に、流石に僕と雫さんは、疲労が浮かんできている。

「時! 腹減った!」

 真君の昼食の合図で、僕は密かに胸を撫で下ろした。レストランは、混雑していたものの席を確保することができた。早く遊びを再開したいようで、真君は食事を一気に押し込み、むせ返っている。雫さんが真君の背中を撫で、口周りについたソースを拭いて上げていた。そんな二人の姿が、まるで本当の姉弟のようで、微笑ましかった。

「時! 笑ってないで、早く食べろよな! ご飯を食べ終わったら、お化け屋敷に行くんだからな!」

「はいはい、分かったよ」

 適当に返事し、食べるペースを落とした。当然、僕達よりも真君の方が、遅いからだ。食べるペースを真君に合わせて、彼が慌てないように、気を配った。雫さんも真君のペースを落とすように、色々話しかけている。僕と雫さんの息の合った連係プレイで、真君も少し落ち着きを取り戻したように見えた。それにしても、日常がお化け屋敷状態の僕が、お化け屋敷に入るだなんて、あまりにも滑稽で自然と笑みが零れた。案の定、作り物のお化け屋敷は、作為的に怖がらせようとする演出が盛り沢山で、その努力の結晶に微笑ましくもあった。幸か不幸か、僕は無料で恐怖体験を行っている。

 食事を取り終えてからも真君は、元気いっぱいであった。それについていける雫さんも、なかなかの強者だ。時間も忘れて僕達は、全力で遊園地を満喫した。

 陽が傾き始め、そろそろ帰ることにした。まだまだ、遊び足りない様子の真君であったが、二人でなんとか説得した。最後にどのマシンで遊ぶのか、選択を真君に委ねることにした。長考の末、真君が選んだのは、観覧車であった。真君は、楽しかった時間を思い起こすように、眼下に広がる園内を指さし、エピソードを綴っていた。

「あのジェットコースターでの時の顔は、傑作だったよね!?」

「あそこのアイスクリームは、美味しかったなあ! 雫に一口もらった方も美味しかったよね!? 今度は、僕もそっちにしよ!」

 真君が話すエピソードトーク全てに、同意を求めてきていた。僕と雫さんも頷きながら、答えている。これは、別に真君のご機嫌取りではなく、本当にそう思ったからだ。きっと、雫さんも同じ気持ちだろう。

「ねえ! また、三人で遊びに来ようね!」

 満面の笑みで真君が振り返り、僕と雫さんは、全力で同意した。真君の笑顔に、そしていつの間にか、言葉使いも優しくなっている。暴言を吐きまくっていた口と、同じ口とは思えなかった。今回のデートを提案してくれた雫さんに、感謝だ。真君は、座椅子に膝を乗せて、外の景色を眺めている。僕は、チラリと隣に目をやると、雫さんと目が合った。そして、雫さんは、目を細めて、ニコリとほほ笑んでくれた。夕日に照らされた雫さんの顔が、あまりにも美しくて、思わず息を飲んだ。真君の歓喜の声を聴きながら、僕と雫さんは、暫く見つめ合っていた。

 遊園地を後にして、僕達は、どこかで夕食を取ることにした。真君は、名残惜しそうに、何度も振り返って、遊園地を見ている。

「真君? また、遊びに来ようね?」

「またっていつ? 明日?」

「明日は、ちょっと難しいな。でも、もう少ししたら、夏休みだからね。夏休みに入ったら、遊びに来よう」

 真君は、あまり納得いっていなかったようだけど、渋々といった感じで、大きく頷いた。僕が、視線を雫さんに向けると、彼女も頷いてくれた。すると、真君がそっと手を伸ばして、僕の手を握った。真君を真ん中にして、三人で手をつないで並んで歩いている。まるで、親子のようで、気恥ずかしくもあった。

 駅に向かって歩いていると、突然、真君が僕の方へと顔を向けた。真君は、僕ではなく、僕の右側を見ている。僕達が歩いている歩道と車道の間に、植物が植えてある。真君の視線を追っていると、僕は反射的に彼の帽子を掴んで、前を向かせた。

「あ! あの花、可愛いね? なんて名前だろう?」

 僕は、雫さんの左側にある花壇を指さした。雫さんと真君が、花壇の方に顔を向けた。花壇には、赤や黄色の花をつけた植物が咲いていた。

「・・・もし? ・・・もし? ・・・拙者のことが、見えるのか?」

 ああ、遅かったみたいだ。

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