銀将君とは、途中で別れ、街灯がまばらな一本道を歩く。両脇には、広大な畑が広がっている。一本道の先には、大きな山があり、その山全てが『歪屋』の土地である。道路と山の境目には、石で出来た鳥居がある。この鳥居をくぐると、僕がお世話になっている『玄常寺』の敷地内だ。さて、ここからが、大変なのだ。僕は、顔を上げ、進むべき先を目視確認する。どこまでも、階段が続いているのだ。軽く千段以上ある石の階段を、上って行かなければならない。毎度のことながら、骨が折れる。あまりにも億劫で、ついつい溜息が零れてします。

「あ、九十九(つくも)君! お疲れ様です!」

 階段の先ばかりを見ていたものだから、九十九君の存在に気が付くのが、遅れてしまった。彼は、いや彼等は、代々『歪屋』に仕えている式神だ。九十九君は、階段の掃き掃除をしている。掃除の手を止め、僕に向かってペコリと頭を下げた。そして、また掃除を開始する。

 九十九君は、坊主頭で真っ白い着物を着た無口な少年だ。言葉を発さないそうだ。最も特徴的なのが、卵の殻のような、ツルッとした仮面を被っている。そして、同じ姿をした子が、九九人いる。正確には、九八人だ。見た目は、子供そのものだが、僕の大先輩である。もう何百年も『歪屋』に仕えているのだから。

 僕の主人であり、上司でもあり、玄常寺の主でもある『歪屋響介』さんは、従兄にあたる人だ。僕の父親の兄の息子だ。だから、響介さんの本名は、染宮響介だ。つまり、『歪屋』とは、玄常寺の主に与えられる称号のようなものだ。我が染宮家には、古くからの仕来りがあり、本家と分家という時代遅れも甚だしい、制度があるのだ。つまり、兄が本家を継ぎ、弟が分家として、兄を支える。僕達の父親がともに引退し、響介さんは五年前に『歪屋』を継承し、僕は『歪屋』を支える世話人となったのだ。これが、僕のお家の事情だ。子供の頃から、中学を卒業と同時に、奉公人となることが義務づけられていた。不思議なもので、子供の頃から言われ続けていたせいか、反発することもなく、敷かれたレールを素直に歩いてきた。不安はあっても、特に不満はない。ただあるとすれば、僕の平凡さくらいなものか。

 こんなことは、あり得ないのだが、例え話。プロ野球選手が世襲制で、偉大な先祖が敷いたレールに乗ってプロになり、『僕はキャッチボールくらいしかできません』では、話にならない。ボールを投げられるだけでは、無意味であり、霊的存在が見えるだけでは、無意味なのだ。そう思えてならない。

 そんなことを考えていると、僕は半分くらいまで階段を上ってきていた。下を振り向くと、眩暈がしそうだ。あまり考えるのは良くない。つい、悪い方悪い方へと、自分自身を導いてしまう。僕は深い溜息を吐いて、前に向き直った。

「お疲れですか? そんなに溜息をついて」

 正面を向き直った直後に声を掛けられ、足を滑らせてしまった。このままでは、鳥居まで真っ逆さまだ。すると、落ちかけた体が、空中で止まった。僕の腕を掴んでくれている人物がいた。九十九さんだ。

「申し訳ございません。驚かせてしまいましたね?」

 九十九さんは、僕の腕を引っ張り、立たせてくれた。

「いえいえ、大丈夫ですよ。僕の方こそ、すいません。少し考え事をしていたもので」

 頭を掻きながら、軽く会釈をした。

「お疲れのようですが、よろしかったら、おぶって差し上げましょうか?」

「そんな、大丈夫ですよ。自分で歩けます」

「そうですか、それなら良かった。では、ともに参りましょう」

 九十九さんは、僕の隣を僕のペースに合わせて、歩いてくれている。

 この九十九さんは、先ほどいた九十九君とは、少し違う。体格や坊主頭は、同じなのだが、黒い着物に黒い仮面を被っている。そして、言葉を話すのだ。彼は、九九人いる中の代表のような存在だ。

「どうですか? 染宮殿。ここでの暮らしも慣れてきましたか?」

「そうですね。まだまだ、分からないことばかりですけれど。あ、でも、この階段には、なかなか慣れません」

「ハハハ! 確かに、この階段は、大変ですね」

 軽快に笑い声を飛ばす九十九さんであるが、仮面を被っている為、表情は分からない。きっと、愛想笑いではないと思うが。長い階段に点在している電灯の薄ぼけた明かりが、黒い仮面を不気味に照らす。

「あの、前から疑問だったんですけど、その仮面でよく前が見れますね?」

「別に前が見えている訳ではありませんよ。仮面に視界穴は開いていませんし。私どもは、見るのではなく、感じるのです」

「へー考えるな感じろ! みたいなことですか?」

「アハハ! まさに、そんな感じです」

 僕の軽口にも軽快な足取りのように、対応してくれる。九十九さんは、

とても優しい良い人だ。人では、ないけれど。

「あの、染宮殿。私からも一つお聞きしても、よろしいですか?」

「え? はい。良いですけど」

「たまにふと、何やら思い詰めているような雰囲気を感じます。何か悩みでもおありになりますか?」

「えっ!?」

 思わずドキッとして、立ち止まってしまった。僕の三段上で立ち止まった九十九さんが、こちらを振り返っている。それでも、まだ僕の方が背が高い。僕は大きく息を吐き出した。

「流石ですね。九十九さん。実は、僕はこの環境で本当にやっていけるのか、不安なんです。僕は、ただ見えるだけですから。足手まといになっているんじゃないかと思いまして」

「そういうことですか。私は、見ることさえ、できませんよ?」

「え? あ! す、すいません! そういうことでは」

 僕が慌てて、手を振り謝罪すると、九十九さんは、カラカラと笑った。

「分かっています。申し訳ございません。しかし、『見える』ということは、素晴らしいことですよ。この世界で生きて行くには、基本中の基本です。基本が出来ているということは、これからもっと応用して成長することができます。謙虚なことは素晴らしいことですが、あまりご自分を卑下しない方が良いですね」

「そ、それは、分かっているつもりなんですが、なかなか。銀将君と一緒にいると、どうしても比べてしまって・・・同級生なのにって」

「なるほど、確かに同世代に天才がいると、劣等感を覚えてしまいますね。あの方は、特別ですからね。良いお手本が近くにあると思って、開き直ることが大切ですね。そして、出来るだけ真似をして、盗める部分は盗んで吸収しましょう。嘆いていても始まりません。足掻いてでも、一歩ずつでも、進んでいきましょう」

 僕は、苦笑いで答えた。言葉として、耳から入ってくるのだが、どうにもストンと落ちてこない。確かに、銀将君と比べるなど、百年早いということは、理解している。理解しているけど。

「染宮殿は、理想が高いのですね? それは、とても良いことです。私は、長年ここで勤めていますが、実はお勤めを終了するまで、『見えなかった』奉公人は、結構な数いたのですよ?」

「ええ?? そうなんですか? ほ、本当なんですか?」

 思わず大声を上げてしまい、急いで口に手を当てた。

「もちろん、本当です。それに、考えてもみて下さい。人間の世界でも同じようなことが、ありませんか? 例えば、海外へと留学へ行ったら、皆が皆、その国の言葉を流暢に話せるようになりますか? その点、染宮殿は、現段階で見えているのですよ? 確か、ここへきた時から、見えていましたよね? それは、留学先の言葉を初日から話せて聞けているのと、同じではありませんか? それは、物凄いことだと思いませんか?」

「それは確かに、凄いですね」

 思わず口元が緩んでしまい、奥歯と唇に力を込めた。そして、九十九さんの方へと視線を向けた。こんな小さな体でも、何百年と生きているんだなと、変に納得してしまった。

「あの、もしかして、歴代の奉公人も結構、悩んだり愚痴ったりしてたんですか?」

「ええ、もちろん。ここだけの話ですけどね。でも、それは、当たり前のことです。文字通り、こんな化け物だらけの世界に来てしまったのですから。それに、私も特段、優れた能力は持ち合わせておりませんから、肩肘張らずに気楽にお話ができると、もっぱらの評判です」

 九十九さんは、僕に身を寄せ、口元辺りに人差し指を立てた。その姿に、自然と笑みが零れた。

「ああ、ひょっとして、僕ってちょろいですか?」

「ええ、とても素直な方だと、思いますよ」

 ううん。なんだか、呆気なく元気になってしまった単純さに、我ながら呆れてしまう。九十九さんは、承認の方なのだ。話をしているだけで、心が軽くなってきた。

「九十九さん?」

「何でしょう?」

「また、色々、相談に乗ってもらって良いですか?」

「もちろんです。私で良ければ、いつでも。人間の寿命は、私達に比べたら、驚くほど短い。だから、焦る気持ちも分かりますが、落ち着いていきましょう」

 仮面越しではあるが、九十九さんが優しく微笑んでくれたように感じた。僕も感じることができた。見るだけではなく、周囲の雰囲気や空気感も察知できるように、意識して日々を送っていこう。しかし、九十九さんが言う、『人間の寿命は、驚く程、短い』というのは、どうにもピンとこなかった。確かに、何百年と生きている九十九さんに比べれば、短いのかもしれないけれど。時間に対する価値観か。そんなことを考えながら、九十九さんと談笑しながら上る階段は、いつもより短く感じた。

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