四五、反撃

「ハハ、あん?」


 ふいに、カニ人間の笑い声が途切れた。

 カニ人間は甲羅を傾げた。

 悪魔の咀嚼音じみた凄まじい音が近づいてきたからだ!


 ズガガガガガガガガガガガガガ!


 カニ人間がふり向いた、その時!


「うらあぁああああぁぁあぁあああぁ!」


 ナカネの眼前をトラックが通過し、カニ人間を弾き飛ばした!


「……な、なんだ?」


 ナカネは呆然としてぱちくりと瞬いた。たて続けに起こった出来事を受け入れるのに時間を要した。

 ややあって、生垣から這いだし外に出ると、そこは血に彩られたあの大道だった。

 道を縁取った生垣の残骸のまえに、トラックが停まっていた。

 運転席から強面の男が顔をだした。


「なんか轢いたよな?」

「ちょっと! 仲間だったらどうするんッスか!」


 中から別の声。

 二人組か。あるいは。

 ナカネはコンテナに目を向けた。

 油揚げのペイントは施されていないが――。


「何者だ」


 ナカネはアサルトライフルを構え誰何すいかした。

 すると男はふり返り、鼻で笑い返してきた。


「とりあえず、弾こめたほうがいいぜ」


 ナカネはハッとしてアサルトライフルを見やった。

 ボルトが後退していた。

 思い返してみれば、なにも不思議なことではなかった。あのカニ人間にあらかた弾をぶちまけたのだから。


 ナカネは自嘲的な笑みをこぼし後退った。

 すると男は、にやりと笑った。


「心配すんな。俺たちは敵じゃねぇ」


 そして、自らがトラックで穿った生垣の穴に一瞥を投げた。

 すると。


「うおおおおおおおおおおおおおおお!」


 鬨の声が押し寄せてきた。


「な、なんだ」


 驚いて穴を見やると、迫りくる群衆の姿が窺えた。


「まさか、援軍か……?」

「そうさ、よく耐えてくれたぜ。ここからは俺たちも暴れさせてもらう!」


 トラックの運転手が親指をたてて笑った。

 胸に熱いものがこみ上げてきた。

 ナカネは砕けそうになる膝を叱咤して言った。


「なら、さっき轢いた奴に気を付けろ! あいつは普通のカニ人間とは違う! まだ生きてるはずだ!」

「任せろ! 今度こそ轢き殺してやる!」


 男がクレイジーな笑みで請け負うと、トラックの裏からツナギ姿の青年が駆け出してきた。


「その前に弾を持っていってくれッス!」


 ツナギはコンテナを開け放ちひとつだけ武器を取りだすと、あとは自由に持っていってくれと言った。


「うおおおおおおおおおおおおおおお!」


 そこへ群衆が駆けつけた!

 大道から溢れださんばかりの大軍勢が!


「武器があるッス! 役立ててくれッス!」


 ツナギが呼びかけると、彼らはコンテナに殺到した。モッシュアップよろしく武器を運搬し、あっという間にコンテナを空にした。


「それじゃ、ぶち殺してくるぜッ!」


 ツナギが助手席にもどると、運転手は興奮した様子で腕を振りあげた。トラックはウィリーするように急発進し、生垣を破壊して消えた。


 ダダダ!


 ナカネも景気づけとばかりに空へ弾丸を放った。崩れた生垣の上に立ち、興奮した群衆の耳目を集めた。


「同志たちよ、聴け! 我々が目指すべきは庁舎ではない!」

「わかってる! フクの井だろ!」


 群衆の中、誰かが声をあげた。

 ナカネの瞼がぴくりと動いた。

 マスナガとハシモトの短いやり取りが思い出された。


 そうか。あの青年が。


 ナカネは改めて群衆を見渡し、昂る思いとともに頷いた。

 そして一呼吸の間をおいてから、不死鳥のシンボルを高々と掲げた!


「ならば、俺の口から言えることはひとつだ! 同志たちよ! 奴らの手から、フクイを解放せよッ!」

「「「フクイを! 解放せよおおお!」」」


 奮い立った群衆が応えた!

 谺した声は、たちまち足音に変わった!


「うおおおおおおおおおおおおおおお!」


 彼らは狭間を用いず、しかし迂回することもせず、みずから生垣を壊してフクの井へと向かっていった!



――



 上空からは戦況を仔細に見渡すことができる。

 西、南、北からやってきた群衆は、もはや庁舎には目も暮れず、フクの井への流れを生みだしつつあった。

 システムの所在を聞かされたアサクラは、その後、ハシモトと二手に分かれ、残る二軍にも情報を伝達したのだ。


「……」


 隣を飛行するハツの目には、勝利を目前にひかえた安堵が窺えた。


 気を抜くんじゃねぇよ。まだ戦いは終わってないんだぜ。


 そんな尤もらしい言葉をかけるべきだったかもしれない。

 だが、アサクラ自身、勝利を確信していた。

 カニ人間もチンピラも決して少なくはないが、奮い立った群衆の数には遠く及ばない。


 もはや盤上をひっくり返すのは不可能だ。

〈クラブラザーズ〉が降伏するのは時間の問題――のはずだった。


「なんだ?」


 ところがその時、アサクラは北から進軍する人波が突如割れるのを見てとったのである。


「おい、やべぇぞ……!」


 さらに、割れた人波から赤い霧が噴き出した。遠目にも瞭然としていた。血の霧だった。


「ハツ!」

「ああ!」


 ふたりは現場に急降下した!


「「「うぎゃああああああああああああああ!」」」


 吹きつける風の音に、身の毛もよだつ断末魔の叫びが混じっていた。

 血煙は見る間に膨れあがっていく。

 吶喊とっかんは次々と悲鳴に変わっていく。


「なんだ! なにが起こってる!」

「死にたくない! 助けてくれ!」

「押すな! あっちへ行けェ!」


 蜘蛛の子を散らしたように、群衆が逃げはじめる。

 その中心へ、ふたりは急ぐ。

 やがて、血煙の中で踊る異形を見出した。


「ハハハハハ! ハッハァ!」


 それは、たった一体のカニ人間だった。

 疾風のごとき横歩きで、逃げ惑う人々を切り裂いている!


「おい、あいつ普通じゃねぇぞ!」


 アサクラはすぐその異様さに気付いた。


「ほぉら、ブジュウウウウウウウウウ!」

「うぎゃああああああああああああああ!」


 奴はハサミを振るってこそいるが、触れることなく殺しているのだ!


「泡だ!」


 すぐさまハツがそのからくりを見破った。


「あいつ、ハサミからも泡を出してやがるんだよ!」

「クソが、めんどくせぇ! とにかく、あいつぶっ潰すぞ!」

「あいよ!」


 アサクラとハツは二手に分かれ、螺旋を描きながらカニ人間に突撃!

 先んじてハツが引金をひいた!


 ダダダダダダダダダ!


「なにッ!」


 しかし、弾丸はすべて甲羅に弾かれてしまう!


「……ブジュ」


 カニ人間が殺戮の手をとめ、悠然とハツに体面をむけた。

 刹那、その背後からアサクラが襲いかかった!


「ぶっ殺す」


 地面すれすれまで降下し、至近距離からスラグ弾を撃ち込んだ!


「ジュア!」


 その瞬間、カニ人間がふり返る!

 いきおい真横に振るわれたハサミが、弾丸と衝突し火花を散らした!


「ガガアアアアア!」


 サトちゃんは、垂直上昇でハサミを回避!

 飛行姿勢が安定したところで、アサクラはショットガンをポンプし、カニ人間を見下ろした。


「いってぇ……。さっき轢かれた所為か?」


 カニ人間が人語を呟き、ハサミをぷらぷらと揺らした。


「バケモノか、こいつ」


 信じ難いことに、弾を受けたハサミには、わずかばかりの亀裂が刻まれているだけだった。

 銅の色に輝く甲羅からぎょろりと目が剥いた。


「……ッ」


 胸を射抜かれる錯覚がアサクラを襲った。

 本能的な恐怖に身がすくんだものの、アサクラは強いてカニ人間の不気味な目を睨み返した。


「てめぇ、モリヤマか?」

「ほう、俺を知ってんのか」


 カニ人間は、さも愉快そうに目を細めた。


「まさかと思うが、そのクソだせぇ恰好アサクラか?」

「ださくねぇ。フクイのファッションだ」

「ブジュ! しばらく見ねぇ間に、シバの野郎に似たもんだァ。くだらねぇことかすところまでそっくりだぜ」


 モリヤマは地面に泡を吐き捨てると、眼球を後ろに傾けた。


「そっちは一目で気付いたぜ。ずいぶん老け込んだみてぇだが、おっかねぇ目は昔のまんまだ。俺がつけた頬の傷もなァ」

「レディに老けたのなんだの言うもんじゃないよ」


 背後についたハツが、声に怒りを滲ませた。


 オレも同じ気持ちだぜ、ハツ。


 アサクラは心中で囁いた。

 憎悪の炎が理性とこすれ合い、どろどろと音をたてていた。

 今すぐにでも、あのバカでかいドタマを吹っ飛ばしてやりたかった。


 だが、考えなしに突っこめば、返り討ちに遭うのは目に見えていた。ハツの攻撃では傷一つ与えられず、至近距離からのスラグ弾でさえ、ハサミにひびを入れるのがやっとだったのだ。

 明らかに、他のカニ人間とはスペックが違う。特別な力をもっている。


 どうすりゃいい?

 アサクラのこめかみを汗が伝う。

 思案するふたりをモリヤマは嘲笑った。


「なァ、感動の再会なんだからよ。お前ら、もっと情熱的に迎えてくれよォ」


 ギチギチと口器を蠢かせると、突如、半身になって二人へハサミを向けた!


「こんな風によォ!」


 シュバと風を切り、泡が放たれる!


「「ガガァ!」」


 ふたりが身構えるより早く、プテラノドが動いた! 上空へ逃れ、泡は虚空を裂く!


「ありがとよ、サトちゃん」


 アサクラは相棒の首を撫でた。

 そして、どんな指示を与えるべきか思案した。

 生き残るためには、このまま逃げるのが賢明だった。


 でもよ、もう逃げるわけにはいかねぇんだ。


 アサクラはサトちゃんを急降下させた。

 あの日の臆病がシバを死なせたように、今日の臆病がまた誰かを死なせることなどあってはならない!


「ハツッ!」


 眼下に牽制射をみまい、アサクラはその名を叫んだ。


「ッ!」


 ハツは顔をしかめた。

 名を呼ばれた、それだけでアサクラの意図を察したのだ。


 あのバカは、自分が囮になって時間を稼ぐと言っているのだ。


 ハツは血が滲むほど拳を握りこんだ。

 怒鳴り返してやりたかった。

 ぶん殴ってやりたかった。

 だが、生憎とそんな余裕はないし、あのバカの気持ちは痛ましいほどに理解できた。


 もっと早くシバの許に駆けつけていれば――。


 所詮、似た者同士だから。


『……ハツ、なんかあったら、これをハシモトたちに渡してくれ』


 ようやく前に進み始めたバカの覚悟を、無下にすることもできなかった。

 懐にしまったの感触をたしかめ、ハツは奥歯を噛み鳴らした。


「死ぬんじゃないよぉ!」


 そして、プテラノドンを翻した。

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