三三、天使の梯子

「ブジュウウウウウウウウウ!」

「クソ、来やがった!」


 バンダナの悪態は、事態が最悪の方向へ転がりだしたことを示唆していた。

 階段にカニ人間の姿はない。

 廊下にまろびでた影が、それなのだ!


「撃ち落とせェ!」


 兵たちはリーダーの号令に応えた!

 各自引金をひき、弾幕を展開!


「ジュジュアッ!」


 ところが異形の影は、壁を蹴り、天井にハサミを突きたて、さらに天井を蹴って、およそ尋常の人間では不可能な挙動で弾幕をかいくぐる!


「……」


 マスナガは見ていることしかできなかった。

 距離が遠すぎるのだ。

 どのみち命中したところで、拳銃では大したダメージも見込めない。


 では、自分になにができる?


 マスナガは自問する。


 ここにいる意味はなんだ?


 ひたすらに問いかける。

 抗い続けることでしか、未来に道を築くことはできない。

 諦念に敗北すれば、死に追いつかれるのは確実でも。

 抗った先に何が待ち受けているかは誰にもわからないのだ。


「ブジュウウウウウウウウウ!」

「……」


 その時、マスナガは暫定的な答えを見出し、メガネに手をやった。

 意識を集中させ、己の頭に巣くう寄生虫に呼びかけた。


 俺の寿命をくれてやる……だから力を貸せ!


 マスナガは目を見開き、両手で拳銃のグリップを握り直した。


 キュイイイイィィィイィイイィィ!


 その目許からかすかに機械音が洩れだす!

 動画を撮影しているのだ!

 映像はたちまち専用のストレージに叩きこまれ、必要な情報だけをピックアップし解析をはじめる!


 敵の軌道。

 仲間の弾道。

 複雑なパターンを絞り込む。

 メガネフレームが高速で点滅し、熱を発し始める!


 どこだ、どこに来る……?


 マスナガにとって、その体験は霞む地平目がけて泥沼を這い進むような、遅々として過酷な時間だった。

 焦燥が己を急きたてていた。

 緊張は喉の渇きとなり、手の震えを呼び、次第に失敗に対する恐怖心をも生みだしていく。


「うわぁッ!」


 その時、折悪しくバンダナのアサルトライフルがコックオフを起こした。

 一つ射線が失われ、攻防パターンに変化が生じた。


「ブジュアッ!」


 ここぞとばかりにカニ人間が踏みこんだ。

 彼我の距離が三十メートルを――切る。

 もう幾許の猶予もない。

 が、メガネが割りだした予測パターンには、まだ幾つかの候補が残されていた。


「……やってやる」


 にもかかわらず、却って焦りは鎮まっていった。

 凪いだ水面のうえに立っているような、超然とした心象の中に、マスナガは立っていた。


 俺は生き残る。自分の道を、仲間とともに進むと決めた。


 そして、水面に散らばるカードを一枚摘まみ上げた。

 それが、そのまま引金をひく指先の動きとなる。


「ッ!」


 拳銃が火を噴いた。

 膨大な、しかし数少ないデータの中から割り出した、暫定的な致命の一矢が、闇を一直線に切り裂いた。

 壁を蹴り、斜めに地上へ降りたったカニ人間の許へ、それはまっすぐに飛翔した。


 カカカッ!


 ところが、命中したのは頭部のふちだ。

 おぼろげな火花を散らし、銃弾は闇のなかへ消える。

 残る二発の銃声も虚しく闇を震わせ、カカ、カカとおなじ個所で火花を散らした。

 殺戮の悦びに、カニ人間の眼が眼窩からせりあがった。

 しかし、地を蹴るその瞬間、悦びはたちまち焦りに転じた。


「ジュッ……!」


 前へとび出していくはずの身体が、後ろによろめいたのだ。

 計算され尽くした三発の弾丸――その衝撃がカニ人間の重心を狂わせたのである。


「あそこだッ!」


 その一瞬の隙を、兵たちが見逃すはずもなかった。

 縦横に虚空を穿ち続けてきた無数の弾丸が、いま一つの場所でいま交わった。


「ブジ、ジュジュジュ、ババババババッ!」


 カニ人間は不格好なダンスを踊った。

 甲羅が、眼が、カニみそがあたりに飛び散った!


「ハァ……! ハァ……!」


 無論、勝利の代償は大きかった。

 マスナガは両膝をつき頭を抱えた。


『フクイを守れ!』

『フクイのために!』

『フクイ万歳!』


 頭のなかで声が暴れていた。

 一音ごとに自我をさいなむ爆撃のようだった。


「フクイ、ッ、万歳……」

「おい、なに言ってんだ!」


 無数の声の中に、バンダナの叫びが浮上する。


「どうした!」


 背中を叩く痛みが、マスナガの自我を細いほそい糸となって繋ぎとめる。

 マスナガはそれを太く紡ぎあげるべく、これまで経験してきた、数々の痛みを呼び起こす。


 皮肉にもそれはモリヤマから受けた苛烈な暴力をも反芻させたが、痛みの熱は、より安らかな温もりを求め、マスナガの両脇に顔のないふたりの存在を浮かび上がらせた。


 まだだ、こんなところで……消えてたまるかッ!


 マスナガは不明瞭なふたりの感覚に手を伸ばした。

 その顔が、ハシモトとアサクラの笑みとなって輝いた。

 ふたりから差し伸べられる手を、そして掴んだ。


「――とか言えよ! マスナガぁ!」


 自分を呼ぶ声が、頭の芯を叩きつけた。

 マスナガはきつく閉じていた瞼を、こじ開けた。

 震えながら相手を見返した。

 ブロックで組み立てた人形か、あるいはドット絵のような姿が、目の前にあった。


「ンッ! ンッ! ンンッ……!」


 マスナガはこめかみをくり返し殴りつけ、かろうじて繋がった自我を刺激した。


「なにやってんだよ!」


 狼狽したバンダナは、その腕を掴んだ。


「バカ野郎!」


 荒っぽい憂俱の声は、メガネ移植者の耳にクリアに響いた。

 マスナガは二度、三度と瞬き頭を振った。

 暗視ゴーグル越しの視界は、依然ノイズ混じりのドット絵のようだったが、


「……うるさいぞ」


 目を凝らしてみれば、次第にその輪郭は明瞭になっていった。

 マスナガは立ちあがりながら、遥か遠い県知事システムに囁きかけた。


 俺は、まだ、ここにいさせてもらう……。


 そして自我に突き刺さる電子の糸を、今度こそ断ち切った。


「大丈夫なのか、お前」

「大丈夫だ。気にするな」

「いや、いきなり自分のこと殴りだす奴とか放っておけるか」

「問題ない。とりあえず助かった」

「なんだ、それってどういう」

「ヒエアアアアアアアアア!」


 チンピラの叫びがふたりの会話を遮った。

 階下で足音が反響した。

 床に得物を打ち付ける音が、そこに重なった。


「クソッ! 悠長に話してる場合じゃねぇか!」

「らしいな」


 マスナガたちは、階段側へとって返した。

 補給兵たちは、すでに階段に空薬莢を放出していた。


「ヒエ、あっ、ちょ、ああああああああああ!」


 踊り場に出現したチンピラ三人組が、薬莢に足をとられ転げ落ちる! 無論、それは敵の先駆けに過ぎない!


「ホアアアアアアアアア!」

「ピュキイイイイイイイ!」


 転がる三人を踏み台に、ケミカルライトを手にしたチンピラの群れが、階段を駆け上がってきたのだ!


「てえェ!」


 マスナガたちは鉛玉で応戦した!

 銃火とともにチンピラの血液が弾け、ケミカルライトがいっそう色づいた。


「クソッ! ジャムりやがった!」


 しかし連続する戦闘によって、装備も兵も疲弊していた。弾倉交換、銃身交換を強いられた手数では、隙のない弾幕を展開するのは不可能だ。


「ブジュウウウウウウウウウ!」


 間が悪く、そこにカニ人間まで現れる!

 両バサミに殺害した兵を吊り下げ、それを盾に階段を駆け上がってくる!

 もはやマスナガたちに選択肢は残されていない。

 ハシモトと老兵を待っている余裕はない。


「総員退避! 総員退避ィ!」


 敵襲へ牽制射を見舞いながら、彼らはただちに階段を駆け上がった。

 叩きつけるように鉄扉を開け放ち、屋上へまろび出た。


「ガガアアアアアッ!」


 どこからか響いた正体不明の鳴き声が、彼らを迎えた。

 いや、それ以上に絶望的な光景が。


「ジュジュ?」


 崩れ落ちた幌、無惨に油揚げの実が散らばった屋上に、二体のカニ人間がいた。

 一体が嘲笑うように兵士を踏み付け、もう一体が串刺しにした死体を屋上から投げ捨てた。


 痛みに悶え、項垂れ、戦慄する兵たちの手に、もはや武器はなかった。そこここに転がり沈黙し、切り裂かれた草花とともに雨と濡れるばかり。

 ふり返ったハシモトの赤く腫れあがった目が、マスナガを見た。


「ッ」


 マスナガはなおも銃を構えた。


「ブジュウウウウウウウウウ!」


 それも泡によって弾かれた。


「ブジュ」


 鉄扉の向こうから、追手のカニ人間がぬっと姿を現した。

 バチンと威圧的にハサミを鳴らせば、その傍らから、ニヤついたチンピラたちが屋上に進みでた。


「……どうやら、ここまでみたいだね」


 血の滲んだ肩口を押さえ、呟いたのはハツだった。

 それは残酷な宣告だったが、同時に、同志たちへの慰めでもあった。

 自ら負けを認める苦しみを、ハツは肩代わりしたのである。


 ぴちゃん。


 その時、マスナガの足許に雨粒が落ちてきた。

 最後の雨粒だった。

 雨は止み、屋上を鳥の影絵が横切った。

 その行方を目で追った。

 ほんの少し前まで、〈オオノ〉へ向かっていたことを思い出しながら。


「ガガアアアアアッ!」


 鳥の影は大きく弧を描いて、間もなく戻ってきた。風になびく翼は、思いの外大きかった。


「……いや」


 大きいはずだ。

 それは、鳥ではないのだから。

 辺りを旋回する奇妙な影に、正面の二体のカニ人間も訝しんで顔を見合わせた。


 バサッ、バサッ、バタタタタ。


 羽音が重なっていく。

 マスナガは空をふり仰いだ。


「「「ガガアアアアアッ!」」」


 刹那、影が空を埋めつくした。意思をもって襲来した夜のごとくに。


「ジュジュ……ッ?」


 影はやはり弧を描いて戻ってくる。

 中央で分かれ、空に一筋の道をつくる。

 と同時に、遠く雲が裂け、天使の梯子が降りてきた。

 その光を負うように一羽の影が、ぐんと舞い上がった。

 ピンクのプテラノドンだった。

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