八、マスナガという男

 ふたり掛けの座席が向かい合った電車内。

 単行車両の車内偵察は、当然ながらすぐに終わった。

 アサクラはごきごきと首を鳴らしながら、ハシモトの待つ座席まで戻ってくる。


「〈クラブラザーズ〉の連中は乗ってなかったぜ……って、聞いてねぇか」


 席に埋もれたハシモトは、早くも寝息をたてていた。

 アサクラは小さく肩をすくめた。

 それから、ハシモトと膝を突き合わせるように座した、その人物に厳しい眼差しを注いだ。


「つっても、お前は堅気じゃねぇんだよな」

「……」


 リクルートスーツの若者は、身動みじろぎひとつしない。自分の膝に虚ろな視線を落としている。

 しかしハシモトの隣にアサクラが腰かけると、ようやく気怠そうに目をあげた。


「やっとこっち見たな」

「……」

「お前、名前は?」

「マスナガ」

「なんでオレたちを助けた?」

「気に入らないからだ」

「なにが?」

「組織が」


 抑揚の乏しい声は、これでもかというくらい短く簡潔な答えを返した。まるで感情のない機械のようだった。


「詳しく聞かせてくれ」


 それでも、この男が自我を保っているのは明らかだ。

 事実、その口ははっきりと〈クラブラザーズ〉への反骨心を物語りはじめた。


「俺は物心ついた頃から組織にいた。組織によって育てられ、今日まで生きてきた。だが、組織は良心でおれを育てたわけじゃない」

「聞いたことがあるぜ。あのカニ狂いども、通信役としてメガネ移植者を利用してんだよな。たしか〈メガネーズチルドレン〉とか言ったか」

「そうだ。俺は十五のときに移植手術を受けた」

「今、いくつだ?」

「先月で二十になった」


 アサクラは目を瞠った。

 メガネ移植者の寿は、およそ三年と言われているからだ。


「今までよく保ったな」

「じきにメガネイターだ」

「それで最後に復讐したってわけか?」

「少し違う。メガネイターになれば、なにも選べなくなる。その前に、自分自身の意志で生きてみたいと思っただけだ」


 そう言ったマスナガの声色は淡白で、瞳は虚ろなままだった。


 だが、嘘を言っているとは思えなかった。

 実際、マスナガは自分たちを助けてくれたし、〈クラブラザーズ〉の鉄の掟に反して銃まで手にしている。

 きっと並々ならぬ信念が、この若者を衝き動かしているのだろうと、アサクラは思う。だからこそ、限界を超えて自我を保っているのだろうとも。


「動機はわかった。だがよ、助けてもらってわりぃが、オレたちは連中から逃げてるだけだ。真正面から挑んでぶっ潰そうなんてつもりは毛頭ねぇぞ」

「解っている。俺は自分の力で、まっすぐ歩いてみただけ、悪あがきしてみただけだ。組織を潰せるなんて思っちゃいない」


 口ではそう言ったものの、本心はどうなのか、マスナガはガラス玉のような目を窓の外にむけた。

 アサクラも窓際に頬杖をついて、外の景色を流し見た。


 夕焼けの色が濃い。山麓に広がった集落をフクイティタンが歩いていた。巨大な首長竜は見るからに屈強だが、寄り添う仲間の姿はなく、どこか淋しげにも見えた。それも突然、鬱蒼とした木立に遮られて消えた。


「ところで、オレたちのことは連中に報告済みか?」


 マスナガは窓外に目をやったまま、かぶりを振った。


「いいのか。連中はお前が裏切ったこと、まだ知らねぇかもだが、駅の死体を見られちまえば、お前がいないのにはすぐ気付くぜ。裏切りが知れれば、しつこく追いかけ回してくるぞ」

「構わない。どのみち、俺はカツヤマ駅まで行くつもりだ。襲撃があるとしてもドメキ駅までだろう。問題ない」

「どうしてそう言いきれる?」

「エチゼンノナカから先は恐竜が多すぎる。電車でなければ、とても近付けない」

「なるほどな」


 そのやり取りを最後に、ふたりは沈黙した。

 アサクラは自身の生足に目を落とし、ふと同じファッションで身を固めていた男を思い出した。


 彼の名はシバといった。


 フクイについて何も知らなかった若き日のアサクラに、多くのことを教えてくれた男だった。

 そして、アサクラの勇気がないばかりに死んだ男だった。


 焼き鳥屋〈オータムよし〉、それがシバの墓場となった場所である。

 つい数刻前、『ボルガ』で〈クラブラザーズ〉と戦ったときのように、かつてあの場所でも争いが起こったのだ。

 しかし物陰からとび出していったハシモトとは違い、当時のアサクラは、カウンターの下で慄き息を潜めていた。


『足跡を数えろ。歩んできたことを誇れ。そうすれば、必ずまた前に進める』


 死に際の言葉が、深い後悔となって胸を抉る。

 その時、電車がゴトンと跳ね、肩のうえにハシモトが寄りかかってきた。

 邪気のないその寝顔を見て、今度は罪悪感に胸が疼いた。


 ろくな生き方してこなかったな、オレ……。


 よそ者に案内役を買って出て、高い金をむしり取る。それがアサクラの常套手段だった。恐竜に襲われるハシモトを助けたのも、後々金をせびって、しこたま酒を浴びるためだった。

 そうやって過去の罪に、新たな罪を塗り重ねることでしか、アサクラは己の後悔を慰められなかったのだ。


『死んだっていい! こんなわけの分からないところで生き続けるくらいなら!』


 なのに、あの時、あの言葉が、乾いたアサクラの心に怒りの火を灯してしまった。


『ブッジュウウウウウウウウウウウウウ!』


 目の前でまた奪われようとしている命を、なぜだか無視できなかった。

 おかげで、〈クラブラザーズ〉に追われる破目になっている。


 ゴトン。


 ハシモトと、そしてもう一人と、電車に揺られている。


「……なあ」

「ん」

「あっちに着いたら、お前はどうする?」

「死に場所でも探すつもりだ」


 どいつもこいつも、オレを苛立たせる。


「そんなくらいなら一緒に来い。オレたちは、〈オオノ〉まで向かうつもりでいる」

「〈オオノ〉?」


 初めて、マスナガの表情が動いた。


「ひとまずカツヤマまで行くがな。そこでプテラノドンを手懐けて〈オオノ〉へ飛ぶ」

「正気か?」

「正気だ。分の悪い賭けではあるけどな」


 そこでアサクラは目を伏せ、ふっと笑みをこぼした。


「実際におっんじまうその時まで、ちょっと足掻いてみたくなったのかもしれねぇ。こいつに死なれても寝覚めがわりぃしよ」


 んん、とハシモトが呻き声を上げるので、ふたりしてその寝顔を見やった。どちらからともなく顔を見合わせると、アサクラは吹き出した。そして、おもむろに手を差し出した。


「こいつみたいに、ぐっすり眠ってみるのも良くねぇか? 〈オオノ〉の原っぱにでも横になってよ」


 しかしマスナガは、その手を一瞥しただけで、やんわりと首を横に振ってみせた。


「……悪くはないが、遠慮しておく。すぐは無理でも、組織は必ず俺の許にもやって来る。お前たちに余計なリスクを負わせたくはない」


 アサクラはつい顔をしかめた。

 この期に及んで、つまらない気遣いをするマスナガに腹が立った。


 だが、それが却ってアサクラを冷静にさせ、差しだした手を引っこませた。

 これは自分一人が勝手に判断していいことではないのだ。マスナガを同道させることは、ハシモトにもそのリスクを負わせることになるから。


 ところがその時、当のハシモトが片目を開いたのだった。


「……いいですよ、アサクラさん」


 アサクラは驚いて、わずかに腰を浮かした。


「お前、いつから起きてたんだ」

「ずっと。目を閉じてただけで起きてましたよ」


 ハシモトは眠気眼をこすって、ふたりに微笑みかけてから、珍しく挑戦的な目つきでアサクラを見返してきた。


「どうします?」

「決まってんだろ」


 アサクラは不敵に笑い返し、マスナガに向きなおった。その眼差しで、相手の虚ろな目に熱を注ぎこんだ。それから一度は引っこめた手を、改めて差しだした。


「本当に良いのか?」


 仮面のような顔に、困った風な笑みが浮かんだ。

 良いっつってんだろ、とアサクラは顔を寄せた。ハシモトは穏やかに笑ったまま頷いた。

 マスナガは仮面の顔つきに戻ったが、もうかぶりを振ることはなかった。

 その手が、アサクラの手をぎこちなく握った。


「……よろしく頼む」

「こっちこそな」

「ぼくのことも忘れないでくださいよ」


 握り合ったふたりの手に、ハシモトが手を重ねた。

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