第13話 負傷、損得勘定、本能的行動
街道に出ると、街から引き返してきた一団に何度か出くわした。既に夕暮れ時にも関わらず、街から出ていくということは野宿覚悟なのだろうが、そこまでしても街に留まってはいたくないのだろう。
日が暮れるまでに、出来るだけ街から遠くに離れようとしているのか、険しい顔を浮かべて、人も馬も早足で歩を進めている。
途中、そういった商人の一人に声を掛けられた。一人で歩いている影人が物珍しかったのだろう。
「兄ちゃん。巡礼者か何か?あんたもあの街から逃げてきたんだろ?どうだ。隣の街までなら一緒に連れて行ってやってもいいぞ」
影人はお礼を添えて、丁重に断った。すると、丸顔の商人の男は、訝しげな顔を浮かべて、
「そっか・・・ならほら、これとっときな。」
と、硬貨を渡された。これだけあれば、一日分の食料にはありつける程度の金額だ。何故見知らぬ自分にここまでのことをしてくれるのか、思わず怪訝な顔つきをしてしまう。そんな影人の様子を見たためか、商人は誰に言うでもないそぶりで、話し出す。
「あの街みたいに、いつ病に襲われるとも限らんからな。ここらで、善行を積んでおきたかったんだ。あんたみたいな巡礼者がいてくれてちょうどよかったよ。」
そんな調子だったので、商人の好意を断るも、なんとなく気がひけた。結局、そのまま硬貨を懐にしまった。商人の一団はそのまま影人を追い抜き、すぐに視界から消えた。
自分の格好をあらためて見る。最近、ロクに服も洗っていないから、ひどくみすぼらしく見えたのだろう。それに、こんな時間に一人で街道を歩いている者といえば確かに巡礼者かはぐれ者くらいだ。
あの商人からすれば、巡礼者や貧者への喜捨は、自分を守るオマジナイの一種なのだろう。
タリの隠れ家の前に着いた時、既に日は地平線上にあった。わずかにその残滓が空を薄明に染めている。とても、街に戻るまで、日が残っているとは思えない。今日はここに泊まるしかないだろう。ただ、タリがそれを受け入れてくれるかどうか・・・
「タリさん!影人です!お父様に頼まれて来ました!入りますよ!」
と、前と同じように大声を張り上げる。しばらく待っても、出てこないようなので、そのまま中に入る。待っていてもしょうがないだろう。
前回のことを考えれば、笑顔で玄関まで来て迎え入れてくれるとは考えにくい。部屋の中は随分と荒れていた。わずかにある椅子やテーブルが乱暴に床に投げ出されている。
随分と様子が変わっていた。まるで、物取りに入られたかのようだ。
不安感が高まり、あたりを警戒する。だが、その心配は杞憂だった。部屋の隅にタリがいた。床に両足を投げ出し、壁を背にして座り込んでいる。
「タリさん。実はですね・・あの・・・」
タリを見つけて、安堵するが、すぐに別の懸念が浮上する。なんと説明すればよいのだろうか。さすがに、「街で死病が発生したのですが、あなたも死病にかかっているのですか?」とストレートに聞く訳にはいかないだろう。
二の句を考えていると、おかしなことに気づく。タリの反応がまるでないのだ。身体はおろか、顔さえ微動だにしない。こちらを無視するにしても、いくらなんでも手が込みすぎだ。
「タリさん?」
影人は声をかけて、側に近づく。思わず、「あっ・」と力の抜けたマヌケな声を出してしまう。
タリの体から、おびただしい量の血が出ていた。床をよく見ると、血が水たまりのように溜まっている。
「タリさん!しっかりしてください!!」
身をかがめて、タリの体を抱きかかえる。返事はなかったが、今にも消え入りそうなか細い呼吸音が聞こえた。
まだ生きている。だが、すぐに処置が必要な状況だ。
だが・・・何をすればいいんだ。
医者を呼ぶか。
無理だ。街に戻る時間などない。それに、この世界の医者よりもまだ自分の方が正確な医療知識があるのではないか。
とはいえ、自分で手当などできるのか。
様々な考えが頭の中を混線しながら、猛スピードで駆け巡る。その思考の断片の一つが、脳内で一際大きな声を上げた。
止血。そうだ、とりあえず止血をしなければ。
タリの血だらけの体を一瞥すると、左腕の出血が特に激しいことがわかった。出血箇所は左腕のどこかにありそうだ。タリの体をゆっくりと動かし、左腕を自分の目の前に置く。
左腕の血を拭いながら、目を皿にして傷口を探す。だが、薄暗い室内で、血だらけの肌を見ても、ほとんど違いがわからない。
先ほどまで、肌寒いと思っていたのに、今は酷く全身が熱い。気がつけば、背中から、顔から、あらゆるところから、汗がにじみ出ていた。
くそ・・・早く止血しないと・・・
傷口を探している間にも、タリの血はポタポタと、影人の体をつたって、漏れ出している。
数十秒くらいそんな状態が続いただろうか。
ジリジリとした時間が過ぎる中、ようやく傷口らしきものを視界に捉えることができた。左手の上腕のあたりに刃物で切ったような十センチほどの傷痕が何箇所かあった。どうやらここが、出血箇所のようだ。
一瞬、ほっとするが、すぐに頭を切り替える。まだ、傷口が見つかっただけだ。
止血をするためのモノが必要だ。当然、包帯などという便利な医療用品がある訳がない。
止血できるようなものがないか、部屋の中を見回す。目に入るのは、椅子、机、それに長方形の形をした木製の収納箱くらいだ。
収納箱に駆け寄り、中味を物色する。中は、着古した服が数着、それとスズかブリキ製なのだろうか、鈍色に染まっている皿、グラスの類が何個かあるくらいだ。
服をひったくり、タリの元へと戻る。これを包帯の代わりにするしかないだろう。腰にある短剣を使って、服を一メートル近く細長く破る。かなり不格好だが、とりあえず一定の面積を持った布切れにはなった。
タリを再び抱きかかえようとした時に、地面に何かが転がる音がした。その方向に視線をやると、短剣よりもこぶりなナイフのようなものが床に落ちていた。これが、傷の原因なのだろうか。身をかがめて、その奇妙な形状のナイフを片手に寄せる。
つっ!・・
柄だと思って触った部分はどうやら刃だったようだ。小さい割にかなりの切れ味のようで、深く切ってしまった。片手から血がポタポタと垂れてくる。不注意に触ったのは失敗だった。
だが、今は自分の手の心配より、タリの傷口を止血する方が先決だ。自分の血で汚さないように、慎重に包帯代わりの布切れを掴む。
それを傷口に当てて、腕を支点にして、グルグル巻きにきつく縛る。これで止血できるのだろうか。素人が医療行為のマネごとをしてなんとかなるものなのか。
そんな不安はすぐに現実のものになった。タリの腕から流れ出る血は一向に勢いが収まる気配がない。包帯代わりに当てた布切れはすぐに赤黒く染まった。
影人は、なかばヤケクソになりながら、傷口を力強く懸命に抑える。
なんとか止まってくれ。
自分の血がさっき切ってしまった手から滴り落ちて、混じってしまう。だが、そんなことに構っている余裕すらなかった。
とにかく傷口を圧迫して、抑える。強く抑えることに何の意味があるかはわからないが、半ば祈りのようなものだった。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
両手は血まみれになり、袖は黒く染まっていた。その血が、自分のものなのか、タリのなのかわからないほどだ。
気がつけば、手についた血は凝固し始めていた。新たに流れ出る血もほとんどなくなっていた。タリの出血は止まっていた。それが、止血によるおかげなのか、それとも身体が持つ本来の凝固作用によるものなのかはわからないが、とにかく血は止まったのだ。
タリの意識はあいかわらずなかったが、それでも呼吸はしている。
安心感からなのか、どっと疲労感が襲ってきた。このまま地面に突っ伏してしまいたいが、そういう訳にもいかない。気だるい身体にムチを打って、上体を起こして、タリを抱きかかえる。そして、家の奥にあるベッドの上に運ぶ。
タリはスヤスヤと眠っているように見える。だが、このままにはしてはおけない。あれだけの出血をしたのだ。止血だけしてそれで終わりという訳にはいかないだろう。
だが、この世界にそもそもマトモな医療技術を持った者がいるのだろうか。いやその前にタリの死病の件をどう説明すればいいのだ。
そうだ。死病だ。
思わぬ事態に遭遇して、そのことが完全に頭の中から抜け落ちていた。タリの肌に、あの特徴的な斑紋はなかった。だが、確認したのは、左腕くらいだ。他の部分は見ていない。
そもそも・・・タリは何故こんな負傷をしたのだ。
最初にタリの様子を見た時、何故誰かに襲われたと考えなかったのだろうか。無意識に、自分自身で肉体を傷つけたのだと何の疑問もなく考えていた。それだけ、タリの様子は不自然だった。
衣服は傷口部分を除いて、ほとんど乱れていなかった。
タリが手にしていたナイフ・・・それに、あの左腕の傷。
明らかに自分でやったのだ。だとすれば、タリは・・・
思考の渦はますます激しさを増す。だが、それと反比例するかのように、急激に眠気が襲ってきた。いや眠気などといった生易しいものではない。もはや立っていることすらできないほどの強烈な脱力感だ。
思わず、がくりと床に両膝をつく。
何だ・・これは・・・
自身の身体の異常な変化に対する疑問が脳裏を掠める。その瞬間、影人の意識は途絶えた。
真っ暗闇の中で音がした。ガサガサと何かが擦れる音だ。目を覚ましたのは、その耳障りな音がきっかけだった。
次に感じたのは、床の木くずが口に入り、気持ち悪いなということ。それ以外は特段痛みなどは感じなかった。
ヨロヨロと上体を上げて、音のする方に目をやる。
女がいた。室内は暗く、月明かりでかろうじてシルエットだけが見える。女は、立っていた。そして、何かを握っている。その部分だけが妙に光っていた。
あれは・・・刃物だ。なぜ、刃物なんて持って突っ立っているんだ。
次の瞬間、脳裏に膨大な量の思考と情報が駆け巡る。
女。タリ。ナイフ。自殺。
止めなければ。
全身に一気に力を入れて、勢いよく立ち上がり、黒いシルエットに向かって猛然と体当たりをする。
「きゃっ!」
短い悲鳴が上がる。タリの華奢な身体は、影人の体当たりをマトモに受けたため、壁に激突し、床に倒れ込む。
体当たりの際の衝撃で、タリが手にしていたナイフは地面に転がった。影人は、タリを一瞥して、地面からナイフを取り上げる。
タリは地面に両足をつきながら、大きな目をさらに見開きながら、こちらを見ている。驚き、恐怖、怒りが入り混じったような表情をしている。
しばらく、二人とも無言だったが、先にタリの方が口火を切った。
「・・・わ、わたしを殺しにきたんでしょ?」
今度はこちらが、大きく目を見開くことになった。
何故、そんな話しになるんだ。怪我のせいで頭が混乱しているのだろうか。様々な疑問が頭を掠めたが、良い返しが浮かばずに、
「・・・な、何言ってるんですか!お父様に頼まれて、様子を見に来ただけですよ!」
と上ずった声を叫ぶ。
だが、そう答えても、タリはまるでこちらを信用していないようだ。
「嘘よ!父が・・・そんなことをするわけないわ!」
と叫びながら、身体をよじらせて、必死にこちらから離れようとしている。
こないだもここに来たじゃないかと思わず、喉まで出かけたが、飲み込んだ。あの時は、ガラはタリに、影人が来ることを事前に伝えていたのだろうから。
それにしても、ここまで警戒されるとは。少なくとも二度は会っているはずなのに。タリはまるで、野盗の類を見るような目でこちらを見ている。
ふと、タリの目が一瞬下に泳いだ。その動きに、違和感を覚えた。それまでは、こちらの行動を一瞬でも見逃さまいと睨んでいたのに・・・
タリの視線は自分の足に向いていた。自然と、こちらの視線もタリの足へと向かう。もっとも、窓から入る月明かり程度の光源では、せいぜいその大きさくらいしかわからない。
身体と同じ、華奢な細い足が月明かりに照らされて、視界に入る。
タリはこちらが顔を動かしたことに気付いたのか、その足を両手で覆い被さるようにして隠す。
なぜ、隠すんだ。という疑問が一瞬脳裏に浮かび、すぐに同じような映像が脳裏に浮かんだ。あれは、死病の住民たちが黒い斑紋を隠す時に見せた仕草だ。
「・・・見ないで!!これは・・・違う・・・わたしは・・わたしは違う・・・」
タリは、そう叫ぶと、壁を背にして、ヨロヨロと立ち上がる。
この薄暗い室内では、タリの肌に黒い斑紋が浮き出ていたどうかは見えなかった。だが、その振る舞いと今までの様子から、タリが死病に罹患しているのはほぼ間違いないだろう。
そして、今のタリの様子を見る限り、とてもこちらの言うことをマトモに聞いてもらえる状態ではない。
タリは一種の錯乱に近い状態だ。今、近づけば、かえって彼女を興奮させるだけだ。無理やり、彼女を組み敷くとはできるが、かなり抵抗されるのは間違いない。そうなれば、せっかく止血した傷がまた開きかねない。
言葉で説得するしかないだろう。
「タリさん・・・落ち着いてください・・・その傷を手当したのは誰ですか?倒れていたあなたを見つけて、血を止めて、ベッドに置いたのは?あなたを殺す気なら、そんなことするはずがないでしょ?」
タリは、まだ眉をしかめて、こちらを疑わし気に睨んでいたが、一応話しは耳に入っているようだ。左腕に巻かれた布に視線をやり、今気づいたとばかりに、驚いた表情を浮かべる。
「・・・あなたが・・・これを?・・でも・・何故・・私はその・死・・いえ・・病にかかっているかもしれないのに・・そんな危険をおかしてまで・・・どうしてあなたが?」
「それは・・・その・・・」
そうだ・・・
なぜ・・・タリを助けたんだ。
あの時は、突然の出来事で、無我夢中だった。とはいえ、タリが、死病に感染しているリスクが高いことは理解していた。
それなのに、タリの傷口に接触して、手当をした。死病とやらが、どのような種類の病気、どんな感染経路があるのかはわからない。
だが、感染者の血に触れることが、かなり危険なのは間違いないだろう。あの街の住民、死病の患者たちには近づくことさえ躊躇していたはずではなかったのか。
影人の体内を常時監視している医療ナノボットは、既存の感染症には対処してくれる。だが、死病がライブラリーにある病気なのか、それとも未知の病気なのか、まるで予想がつかない。この世界が何なのかすら、皆目検討がついていないのだ。
つまり、死病とやらが、未知の病だった場合、感染すれば、高確率で死ぬということだ。
そんなリスクをおかしてまで、何故タリを助けたんだ。
自分のことを利己的で計算高い人間だと思っていた。この世界に来てからも、自分の命を、利益を、最優先して、ひたすら生き延びることを、第一に行動してきた。
それなのに、今、いやまた矛盾した行動をしている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます