28話 恋は盲目?

 時刻は夕方近くに差し掛かり、夜まで行われる勉強会も後半戦に入ってきている。


 今日はクロエが遥香に料理を教えてもらうという名目もあり、二人が作った夕食をみんなで食べてその後も継続して勉強する予定だ。

 その夕食時も間もなくであり遥香とクロエは勉強を一時中断してキッチンで料理を作っている。


 残った五人は二手に分かれており佐助と和泉はこの場にいない。

 というのも、料理に使う調味料が足らなかったのだ。

 そのため佐助と和泉は少し前に近くのスーパーまで買い物に出かけた。


 残りのメンバーである依織、赤司、そして由宇は居残って勉強している。

 依織と赤司の成績は比較的悪い方で、買い物に行くより残って勉強しろと教える役の由宇から仰せつかっている。


 そのため今は三人でテーブルを囲んでいる。


「…………」


 赤司と由宇が下を向いて集中している中、依織は頬杖をついて美少女二人の料理する姿を眺めていた。


 遥香は使い慣れてないはずのキッチンなのにテキパキと。

 クロエはひとつひとつゆっくりとではあるが丁寧に。

 時たま遥香がクロエに指示を出したり説明したり、逆にクロエから遥香に質問したりと仲睦まじく作業している。


 カウンター枠の中にいる二人はテレビ出てくるタレントや下手なアイドルよりもよほど容姿が整っていて、見ていて飽きることはない。

 換気扇の音や料理の音で二人の声は聞こえないが、見ているだけで十分だ。


「あんな嫁が欲しい」


 思わずこんな心の声が口から漏れてしまう。


 別に依織は同性愛者というわけではない。

 しかしそれはそれ、これはこれだ。


 一生懸命に料理を頑張る人形のようなかわいい外国人妻。

 慣れた手つきで手早く作業し、その代わりに愛情をゆっくり料理に注ぐ大和撫子。


 なんとも甲乙つけ難い。

 これを選ばなければいけないというのか。

 世の中は非情である。


「何言ってんだお前」

「おっと失礼」


 集中していた所を邪魔されたからだろう、赤司が睨んでくる。

 普段なら全力で同意をしてくるような内容を呟いたはずが、そこに反応しないとはよほど集中しているのだろう。


 素直に謝りつつ、依織は再び視線を過去問へと落とす。


「んー……」


 しかし、どうにも集中できない。

 完全に集中が途切れてしまったようだ。


 こうなってしまうと簡単には戻れないことを依織は高校受験での経験から知っていた。

 気分転換が必要だ。


「私、ちょっと休憩していいかな」

「……そうですね。そうしますか」


 由宇は細い腕に巻きついてある上品な腕時計を見てから答えた。

 適度に休憩を挟んでいたが、それでも結構な量をこなしている。


「悪い、俺もうちょいやるわ」


 依織が脱力しようとした所で赤司から待ったがかかる。

 赤司はあまり勉強が好きではなかったはずだが、ここまで言うとは驚きだ。


「北条もすまん、ここだけ教えてくれないか?」

「いえ、構いませんよ。依織さんは休憩しててください」


 そう言って由宇は赤司が指す問題へと目を向ける。


「ごめん、お言葉に甘えるね」


 赤司に付き合いたい気持ちもあるものの無理矢理やっても仕方ない。

 依織は空になったグラスを持って二人の邪魔にならないよう静かに席を立ちキッチンへと向かった。


「あれ、依織ちゃん休憩?」

「うん、ちょっと集中切れちゃった」

「お疲れ様です」


 キッチンまで足を運ぶと長い髪を結いエプロンをつけた遥香とクロエが労ってくれる。

 普段は見えない首元の白い肌、エプロンが付与する清潔感、そして何よりも元々二人が持つ洗練さ。

 間近で見ると破壊力がやばい。


「ごめん、なんか飲み物もらえる?」

「オレンジジュースでいいですか?」

「うん、ありがと」


 クロエが冷蔵庫から半分空になったオレンジジュースのペットボトルを取り出し、依織の手にあるグラスに注いでくれる。

 依織はそれを一気に飲み干した。


「かぁーっ。生き返る〜」


 オレンジジュースの爽やかな香りが疲れた脳をリフレッシュさせ自然な甘味が染み渡る。

 我ながら親父臭い声を上げたと依織も思ったが、自然と声に出ていたのだから仕方がない。


 遥香とクロエはそんな依織の声を聞いて苦笑いを浮かべながらも、しっかりと料理をこなしている。


「何か手伝えることある?」


 元々の目的は二人の手伝いでただ飲み物を飲みにきたわけではない。

 依織はまだジュースが入ったグラスを邪魔にならない場所に置き作業中の二人に声を掛けた。


「ありがとう。でもあとちょっとだけやったら、残りは佐助くんと和泉くんが戻ってくるの待ちなんだ」


 確かに遥香の近くに野菜がいくつか転がっているくらいで、台所は比較的片付き始めている。

 クロエもコンロの前に立っているものの鍋の様子を見ているだけで特に手を動かしているわけでもない。


「んじゃあ、このまま二人の仕事を見てよっかな」

「恥ずかしいよー」


 遥香は自分の手際を見られるのが恥ずかしいのか、作業しながらも困ったような笑顔で応対する。

 そんな表情を見てはつい抱きつきたくなるのだが遥香は今包丁を持っているのでそれもできない。

 感情の赴くままに行動できないのがもどかしい。


「座って待っててくれて大丈夫ですよ。もうすぐできますから」

「赤司がまだ頑張ってるからね。それはそれで悪いかなって」


 勉強している所にダラけた人間がやってきたら邪魔になるだけだろう。

 今も遥香とクロエの邪魔をしていると言われたらそれまでなのだが。


 しかし、依織には二人に聞いてみたいこともあった。

 今は佐助もいないのでちょうどいい。


「二人はさ、佐助っちのどこがいいの?」

「…………っ!?!?」


 依織の質問に、遥香の肩が跳ねる。

 それと同時に手に持っていた大根が遥香の手元からつるりと滑り宙を舞った。

 飛んでいった大根はやがてシンクに落ち、ドラムを叩いたような音が家中に鳴り響く。


「なんだなんだ?」


 リビングから赤司の声が届く。


「ごめんごめん。手が滑っちゃった」

「おおう。気をつけろよー」

「あははは……」


 遥香は乾いた笑いを浮かべながら落ちた大根を拾いあげる。

 幸い包丁までは滑らせてないようで遥香に怪我はないようだ。


 まさか遥香がここまで動揺するとは思わなかった。

 むしろ遥香の反応に依織が驚いたくらいだ。


 質問した依織も悪いとは思うものの、遥香の反応にやや頬を引きつらせてしまう。

 もしかして、バレてないと思っていたのだろうか。


「遥香さんや」

「嫌だなぁ依織ちゃん、なんのことかなー」

「まだ何も言ってないけど」


 なのに、初手で誤魔化すとは。

 まさか隠しきれるとでも思っているのだろうか。


「遥香、残念ながらバレバレです」

「…………」


 クロエからジト目を向けられ、遥香の動きが止まる。

 まるで石になったかのように顔色すら悪い。


「な、なんのことかなー……」

「いや、もう認めようよ」


 未だに隠そうとするのは立派だが、このままにするのは互いにいたたまれないだけだ。


「うぅ……でも……」


 遥香は苦しそうにうめき声をあげる。

 その視線に先にいるのはクロエだった。


「私のことなら気にしなくていいんですよ。分かってましたから」

「そ、そうなの?」

「だから、バレバレなんですって」


 二度目のクロエからの指摘に遥香はあからさまに狼狽している。

 バレてると言われた相手に尚隠そうとするなんてよほど気が動転しているのだろう。


「そんなに分かりやすいのかな……?」

「はい」

「うん」

「二人揃って言わなくても……」


 遥香の疑問に意図せず依織とクロエの声が揃う。

 そうは言っても分かりやすいのだから仕方がない。


「気付いてないの、本人だけなんじゃないの」

「そうだと思います」

「そ、そこまでなんだ……」


 遥香は大きく肩を落とす。


 しかし、このことは事実である。

 他のクラスメイトが噂しているのは依織も知っているし、その噂は他クラスにまで渡っている。

 なんなら上学年にまで行っている可能性も高い。


 遥香は控え目に言ってもモテモテなので、遥香に興味を抱く人間は後を絶たない。

 それは男にだけでなく同性にも当てはまる。


「逆に、その本人が気付いてないってのがやばいけどね」


 言ってしまえば学校全体に影響するような事の当事者なのに、その自覚がないというのも逆にすごい。


「その意味では、私はさっさと告白してしまって良かったと思いますっ」


 クロエは胸を張ってドヤ顔で言う。

 確かにあの男にははっきりと言わないと伝わらないだろう。

 が、依織と遥香は苦笑いを浮かべる。


「むしろよく言ったと思うよ。しかもあの状況で」

「あれは……私にはできなさそう……」


 あの朴念仁にいきなりの告白。

 しかも他のクラスメイトもいる場所で。

 よほどの度胸がないと無理だ。


「まぁ、正直に言うと勢いなんですけど……売り言葉に買い言葉というか……」


 クロエも苦笑いを浮かべながら頬をポリポリと掻く。

 そういえば、あの時クロエと佐助は小声で会話していたような気がする。

 その時にクロエを触発することを佐助が言ったのだろう。

 何を言ったのかは気になるが、あの朴念仁のことだから無神経なことを言ったに違いない。


「その……クロエちゃんは怖くなかった?」


 恐る恐るといった様子で遥香が質問を投げかける。

 遥香が言っているのは、振られてしまうことに対してだろう。


 好きだと言うのは簡単だが、それで断られてしまったら普通はそこで終わりだ。

 勢いにしても程がある。


「あー、玉砕覚悟というか、カミカゼというか。いや、何も考えてなかったかもしれません」

「お、おう……」

「い、いいじゃないですか! 恋には勢いも大切だそうですよ!」


 開いた口が塞がらない依織を見て、クロエは歯を見せて抗議する。


「それに一度や二度振られたくらいで諦めるつもりもないですし!」

「うえっ!? それはそれですごい」

「だからライフのひとつやふたつ減るのは気にしません!」


 クロエの考えは依織の斜め上を行っていた。

 まさかゾンビアタックを前提とした脳筋プレイをやろうとしているとは。


 これには恋敵の遥香もたじたじだろう。

 そう思って遥香の方を見てみると珍しく難しい顔をして手を顎に乗せて考え事をしている。


「私も何か行動に移した方がいいのかな……」

「真面目か」


 思わず突っ込んでしまったが、それだけ遥香も真剣ということか。

 そして十分行動に移しているとは思う。

 それに相手が気付いてないのは相手側に問題があるだけだ。


 そこをフォローしようとした時、クロエが神妙な顔で口を開いた。


「そうですね。私も遥香と協力プレイもありだと思ってるんです」

「き、協力プレイ……?」


 ちょっと言っている意味が分からない。

 それは遥香も同じようで、同じ言葉を反芻していた。


「佐助はソシャゲで言えばレイドボスみたいなものです。自分で言うのもなんですが、私は一人で戦っても勝てるイメージが湧きません」

「……ちょっと分かるかも」

「そこ分かるんだ」


 クロエの言葉に遥香が苦い笑いを浮かべながらも頷く。

 確かにあれだけアプローチしているのに佐助の態度はあまり変わらない。

 手応えがないのだろう。


「なんにせよ、私は二人が仲良さそうで良かったよ。水面下でバチバチー! って感じでもないし」

「あはは……すみません、気を遣わせてしまいましたね」


 これまでの流れからして変に気を揉む必要はなさそうだ。

 そのことに依織は心底安堵する。

 クロエも自分が元凶である自覚があるのだろう、乾いた笑いを浮かべながらも眉尻を下げた。


「私は遥香のこと好きですし、リスペクトしてますので大丈夫です」

「うん、私も同じだよ」


 クロエは遥香に向き直って微笑みかける。

 遥香も同じく微笑みを返した。

 その光景を見て改めて依織は安心する。


「強敵と書いてと読むってやつですね!」

「そ、それはよく分からないかも……?」


 遥香が疑問をあげるが依織もよく分からない

 それは結局敵なのでは。


「と、とにかく私も同じなの。最初は確かにびっくりしたけど、お揃いだなぁって嬉しく思ったくらい」

「ん、お揃い?」

「他の人にも佐助くんの良さが分かるんだなぁ、一緒だなぁって」


 遥香の方もちょっと何を言っているのか分からない。


「……んじゃあ、話を戻して佐助っちのどこがいいの?」

「言葉にしようとすると難しいけど……そうだね、普通な所かなぁ」

「ふ、普通?」


 あのぶっきらぼうで不愛想で朴念仁な男を指して、普通とは。


「あー、分かります」

「えっ。分かるの?」


 まさかクロエからも共感が来るとは思わなかった。


「結構普通なんですよね、佐助って」

「どの辺が!?」

「うーん、細かい所が?」

「随所に散らばってますね」


 なんだその宝探しみたいのは。

 楽しいのか。


 依織がそう思っている間にも、遥香とクロエは佐助の普通さ談議で盛り上がり始めた。

 まったくついていけない。


「これが、恋は盲目ってやつ……?」


 いや、逆か。

 むしろ目が良くなってるのか。


 楽しそうに話に花を咲かせる二人を見ながら、依織は目を丸くするしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る