23話 やり直す

 一人になって、緊張から解放されたクロエはようやく身体の力を抜いた。

 ぺたりと地面に座り込み、スカートが皺になるのも気にせずに、そのまま仰向けに倒れ込む。


「はは……」


 よく分からない変な笑いが口から零れる。


 気付けば空は赤かった。

 その赤が眩しく感じる。


「一体、どういうことなんです……」


 結局、クロエは佐助の言ってることがよく分からなかった。


 クロエの心はズタズタだ。

 身体もだるい。


 それだけのことがあって、何も分からなかった。


「……やっちゃいました」


 クロエの悪い部分が出た。

 あれでは子どもの癇癪と何も変わらない。

 もっと冷静になっていれば違っただろうか。


 いや、多分もっと根本的なことなんだろう。

 それだけは分かる。


「振られちゃったんですね」


 つまり、そういうことなんだろう。


 思い返してみれば、拙い恋愛でもしていたかのようだ。


 自分よがりに相手を求めて。

 思い通りに進まなければ相手を責めて。

 挙句の果てに、嫉妬まで抱いて。


「そりゃあ、こうなります……」


 失敗するのは最初から決まってたのだ。

 それを浮かれて、無駄に自信を持って。


 いや、その自信だって今となっては分からない。

 そうじゃなきゃ、あんなに不安になるだなんておかしい。


 張りぼての自信。

 ただの去勢。


「はは……」


 また乾いた笑いがこぼれ落ちる。


 なにが立派になるだ。

 なにが自分ならできるだ。

 そんなの土台無理な話だったのだ。


「私、バカです」


 今まではわがままを突き通していただけだ。

 少し要領がいいからって調子に乗っていた。

 自分の境遇に甘えていた。

 それでなんでもできると勘違いしていただけだった。


「……悔しい」


 クロエは後悔した。

 今までのこと全部をやり直したい気分だった。


 もちろんそんなことなんでできやしない。

 それこそ漫画とは違うのだ。

 忍者はいても、タイムリープなんてできっこない。


「何がいけなかったんでしょうか」


 独りよがりだったから?


 でも、佐助はどうだっただろうか。

 あれだって独りよがりだろう。

 最後に言ったのだって、結局自分の好きにするって話じゃないか。


 遥香はどうだろうか。

 彼女はいい子だ。

 クロエなんかよりもよほど。


「負けたく、ないなぁ……」


 遥香と並び立つには、どうすればいいのだろう。

 彼女は佐助が忍者であることを知らない。

 大きな違いがあるとすれば、そこだろうか。


 確かに遥香はクロエから見ても魅力的な女性だ。

 可愛いし、優しい。

 さながら聖女のようだ。


 クロエだって可愛いとはよく言われる。

 日本で告白されたことだってある。

 この屋上に呼び出されたわけじゃないが、そういう経験はある。


 優しいかは……ちょっと自信がないが、自分を変えよう。

 独りよがりにならないで、人に優しくなろう。


 あとは佐助を忍者として見ないことだ。

 それで、何かが変わるかもしれない。


「…………」


 佐助が忍者でなくなれば、何が残るんだろう。

 無表情で、ぶっきらぼうで、睨むと怖くて。


 そもそも関わりを持とうとしただろうか。

 多分、興味すら抱かなかっただろう。


 もう喋ることもないだろう。

 今回の件もあるし佐助と話せる気がしない。

 それなら東京見学の班も抜けるしかない。


「……諦めたくない」


 でも、それは嫌だった。


 意地になっているわけではない、と思う。


 遥香と由宇のことは好きだ。

 遥香は乗り越えないといけない相手でもあるが、彼女達は本当にいい人だ。


 依織のことも好きだ。

 彼女は愉快で、一緒にいてとても楽しい。


 斗真と洋輔も好きだ。

 二人とも紳士的で、それでいて場を盛り上げてくれる。


 じゃあ、佐助は?


 ――多分、好きだ。


 話した回数は少ないが、本屋でのやり取りは本当に楽しかった。

 いつもは無表情なのに恥ずかしがって。

 なのになんだかんだで言う通りにポーズして。

 依織に見つかったら顔を赤くしちゃって。

 ちょっとかわいい、なんて思ってしまった。


「ふふ……」


 思い出したら、笑えてくる。

 あの男にも、いい所があるものだ。


 そう思ったら、少し心が軽くなった気がした。


 では、どうしたら佐助ともっと仲良くなれるだろうか。

 もっと一緒に過ごすことだ。

 わざわざ匿名で呼び出して、待ってる間もドキドキして、こんな思いをする必要なんてない。


「でも……」


 例えば遥香なら、どうだっただろうか。


 遥香は佐助を忍者だと知らない。

 しかし、クラスメイトとして、男と女として佐助のことは好きなんだと思う。

 ここ最近の遥香の様子を見れば分かる。


 多分佐助は遥香の気持ちに気付いていないだろう。

 そういうのにすごく鈍感そうだ。

 だから佐助は何も知らないで、屋上に呼び出されることになる。


 それで、遥香が佐助を呼び出して……告白しようとする。


 そうすると、どうなる?


 あのぶっきらぼうな男が遥香にどう出るかは分からない。

 クロエにしたように罠だと疑ってかかりそうだし、遥香の可愛らしい文字なら素直に応じるかもしれない。

 なにせ匿名なのだから、文字だけで佐助は判断することになる。


 仮に、佐助が素直に応じるとしよう。

 それで、遥香は佐助とこの屋上で二人きりになる。

 遥香が顔を赤らめて、もじもじしながら、精一杯言葉を紡いで、告白する。

 それを佐助が――


「……あれ?」


 ここまで考えて、クロエは悪夢から覚めたように起き上がった。


 喜ぶ佐助の顔を想像したくない。

 いや、そこはいい。

 ただ、あの想像の先を考えるのは嫌だった。


 それは何故だろう。


 クロエが優しくないからだろうか。

 他人の幸せを祝福できないからだろうか。


 ――祝福しないと、いけないのだろうか。


 ならクロエがもう一度、同じことをしたらどうなる?


 もう一度、佐助を手紙で呼び出す。

 今度は護衛達がいないようにしよう。

 一日目はまた来ないかもしれない。

 二日目も来ないかもしれない。


 でも、待てる。

 遥香だって待つだろう。

 こんな所で負ける気はない。


 それでようやく佐助が来てくれて。

 すごく疑った目でクロエを睨んで。

 でも、今度は誤解も解ける。

 やましいことなんて何もないんだから。


 たくさん待った分だけ、クロエはまたイライラするかもしれない。

 また文句を言ってしまいそうだ。


 でも、なんだかんだで佐助が来てくれたことに喜ぶ気がする。

 昨日今日の貯金の分、来てくれただけでも嬉しいはずだ。


 それで、今度は忍者の話なんて置いておいて。

 クロエから、佐助に……


 佐助がどんな顔をするかは分からない。

 無表情かもしれないし、睨まれるかもしれないし、喜ばれる……かは自信がない。

 むしろ今日みたいなことがあったんだから絶望的だ。


 でも、どんな顔をされても今度は受け入れられる気がした。

 振られたって構わない。

 というより、振られる気しかしない。


 でも、もしもがあるなら。


「嬉しい……だろうなぁ」


 別に佐助が忍者じゃなくてもいい。

 佐助に認められたら、きっと嬉しい。


 クロエは認められるのが好きなのだ。

 自分の意思を突き通すのが好きなのだ。


 でも、他の誰に認められるより、今は佐助だけに認めてほしい。

 佐助が他の誰かを受け入れるのも嫌だ。


 ――これは、わがままなのだろうか?


 違うと思う。

 うまく言えないけど、違うはずだ。


 だって、これは――


 そこまで考えて、気付いた。


「ふふ……ははは……」


 自分でもおかしくなった。

 これが笑わずにいられるだろうか。

 ジョークだとしか思えない。


 ただの憧れでしか見てなかった相手に。

 肩書がなくなれば長所がないと思っていた相手に。

 さっきまであんなに怖いと思ってた相手に。


「私、バカなんですかね」


 滑稽だ。

 間抜けにもほどがある。

 他人の立場なら絶対にやめておけと忠告する。


 なら、それをクロエに忠告しよう。


 やめておいた方がいい。

 タイミングが最悪だ。

 あの無愛想な男の何がいい。

 諦めろ、無理だ。


 クロエの願いが叶うことは、絶対にない。


「…………」


 でも、クロエが今までこれらを素直に聞いたことがあっただろうか。


「私、バカなんでしょうね」


 本当に。


 今更こんな気持ちを抱くなんて。


 自分のバカさ加減が嫌になる。


 でも、行き場のない感情をどうにかしようって気にもなれなくて。


 それがやるせなくて、切なくて。


 今までの自分を、ただ後悔した。


「あーあ。やり直せませんかね……」


 クロエはいつのまにか黒く染まった空を見上げて、涙をこぼした。

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