第5話

 夫人が名前を言っただけで、すぐにルームキーが出てきた。インターネット決済だったため、フロントで夫人がやった事と言えば、名前を告げ、部屋番号を聞き、キーを受け取っただけであった。

 ホッとしたのは事実であったが、フロントから突き放された時点で、夫人には不安しかなかった。背後から、ちょん、と肩を押されて、深そうなプールの中に落とされたような気分だった。

 教えられた通り、フロントと同じ並びにある軽そうなエレベーターに乗り込み最上階のボタンを押した。こんなホテルですら、一番金額が高く広い部屋を予約していた。

 エレベーターは慌てるように上層へと夫人を運んだ。到着し扉が開くと、目の前にまっすぐ長い廊下が伸びていた。気味悪いほどに薄暗く、狭い廊下であった。このホテルの最高ランクの部屋に多少期待はしていたものの、その時の夫人は、もはや疲れた体を横たえる場所が欲しいだけであった。

 どこまで歩けばいいのかと思いながら廊下を歩いていると、急に鼻の奥が熱くなり、危うく目からボトッ、と涙が落ちそうになった。慌てて、小走りで自分の部屋番号が書かれた扉の前まで行き、フロントで聞いた通りに鍵を開けようとしたが、なかなか思うようには開かなかった。何度かやり直していると、涙が止まらなくなっていた。

 やっとドアが開いた。

 こんなにシンプルで複雑な構造を、夫人は今まで知らなかったのである。ドアを開け、未知の部屋へ飛び込んだ。入ってすぐ、玄関扉の裏側へ放置された新品のスーツケースは、居心地悪そうにフラッとしてから、自立した。

 部屋に入ると涙は止まった。心が急いていた。回収して整理しなければならない情報がたくさんあるような気がしていた。

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