第3話



 走馬灯というものは本当に見えるのだろうか? そんな思いつきから、僕は椅子に深く腰掛けると、両目を閉じた。科学というものに別にそこまで忠義立てするつもりもなかったが、ただ単に、そのほうが面白いと思った。遠くに戦闘機の音が聞こえる。早く撃て。そうしないと、僕らはもろともあの無意味で品のない爆炎の餌食になる。どのみち僕は死ぬが、お前は敵を殺して死ぬことができる。そうできるなら、そうするべきだ。

 この数ヶ月の仕事の疲れも相当溜まっていたのか、目を閉じてもあまり恐怖心がないのが自分でも意外だった。本当にただ、疲れた。そんな気分だった。倦怠感や憎しみや絶望……そういったものに掻き消されて、人間らしい感情などほとんど感じられない。まるで埃の厚く積もったエアコンのフィルターのようだ。こんな有様なのに、今まで自分が人間社会でごく普通に生きてこられたことが、つくづく不思議に思えた。


「君は将来、どんな科学者になりたいの?」


 走馬灯の始まりだろうか。

 そんな幻聴が聞こえて、目を開けると、小学校の校庭に立っていた。頬に当たる風が心地よい。土の柔らかな匂いがする。皆は休み時間ごとに走り回って遊んでいたけれど、自分は外で遊ぶのがあまり好きではなかったことを思い出す。クラスメイトと打ち解けるのがとても難しかったのだ。

 元気よく叫び回る子供たちのところを通り過ぎて、学校の脇へ向かった。そこには小さな飼育小屋があって、幼い僕と、当時の担任の先生がいた。


「飼育員になりたい」


 彼は言った。俯いて髪に顔を半分隠し、腕に抱いた白い何かをそっと撫でながら。先生と目を合わせないまま、彼は本当にか細い声で、そんなことを言った。

 再び目を開いた時、今度ははっきりと、こちらに向けられた銃口が見えた。アイアイの長くて器用な指が、引き金を引いた。僕はぼんやりと飼育小屋のことを考えた。あのやりとりの確か翌年か翌々年、飼育小屋は全国的に廃止になった。「児童が過剰に感傷的になり、カエルやイカの解剖をしたがらなくなる」というクレームが多く寄せられて、やがて結局、生き物を飼うこと自体が世間的にタブーとなった。どうでもよかった。そんな気はしていた。でも、どうなったのだろう……僕はしばらくずっとそれだけを考えていた。もともと飼育小屋で飼われていた生き物たちはどうなったのだろう? 


「処分されたよ」


 そう言ったのは先生だったろうか。それとも、捏造された記憶だろうか。どちらにせよ、僕は誰かに嘘でもいいから「優しい人に引き取られたよ」と——愚かなことだが——言ってほしかった。でも誰も、そんな嘘は吐かなかった。皆それほどまでに合理的で、賢かった。将来自分のライバルになり得る人間を叩き潰せるチャンスを見逃さなかった。

 悲しみの中で、僕にはどちらが動物かわからなくなった。


 自分が恥ずかしい、という祖母の言葉がふと頭をよぎる。その言葉は、今では研究に失敗した時か、上司に失礼を働いた時にしか使われない。それもただ機械的に。国語はとうに過去の遺物になっていて、学ぶのは科学の勉強を怠った出来損ないだけだとされている。実際、国語を学ぶ人々の中には通説通りの、科学的知識を除けば科学者と変わらない言語力と想像力のろくでなしもたくさんいる。でも自分が恥ずかしいというのは本来きっとこういうことだろうと、今更ながらに僕は思う。煙草は燃え尽きていた。天井の穴から、飛行機が上空を通り過ぎる轟音がうるさく鳴り響いて、何も聞こえなくなる。僕は笑って、もう一度目を閉じる。ここで死ねてよかった。青空の下、太陽の光を浴びながら、自分以外のために死ねる。それならば思い残すことはない。

 僕は待った。天を裂くような銃声を。あるいはこの頭を捻り潰す掌、肺を踏み潰す脚、心臓を直接貫く鋭い牙を。なんでもいい——僕を救う、変異体の最後の一撃を。

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