いざなわれた少女たち

おじぃ

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 ハァ、ハァ、ハァ、ぐふぇふぇふぇふぇふぇふぇ……。


 ぐっふぁ! たまらん! こりゃたまらん! いつも思うけどなにあの妖精みたいな白ワンピの子! ヨダレが、ヨダレがっ、ふへぇーふへぇーふへぇー、ゲヒヒヒヒヒヒ……。


「ちょっと明日香あすか? どうしたの? 後ろ振り返ってボーッと口開けちゃって」


 休み時間、片瀬かたせ明日香は教室の中央で自分を含む女子6人の集団の中、流行りの服やショップについてのトークを聞き流し、教室の隅で一人ノートに何かを書いているクラスメイトに気を取られていた。


「あぁ、あの子? 最近いつも一人だよねー。転校してきたばっかのときは話しかけたけど、なんかちょっとね。ま、どうせうちらあと半年で卒業だし、いちいち構う必要ないんじゃない?」


 そう、私たちは小学6年生。興奮してヨダレが出るくらい気になるあの子、階上はしかみ沙雪さゆきは、つい一月前、2学期の初日に遠く青森県からここ神奈川県の沿岸部、茅ヶ崎ちがさきに建つ学校へ転校してきた。沙雪と最後に言葉を交わしたのは一週間前。私たちの仲間に入れたいと思ったけど、他の子たちがそれを許す雰囲気じゃなかった。


 白ワンピに包まれた、雪国育ちの透き通るような白い肌。どこかおぼろげな目と口、肩甲骨あたりまで伸びた垂れ下がる艶やかな黒髪を細い指で押さえて文庫本のページをめくる姿は、確実に私たちの集団の先を往っている。


 そう、先を往っているのだ。


 クラスには他にも静かに本を読んでる子が3人いる。だけどその子たちはどこか嫌味っぽくて、お高く留まっている感じ。対して沙雪にそんな雰囲気は皆無。確かに近寄りにくい気はするけど、彼女から滲み出るオーラはどこまでも清らかで、からだのつくりは私や同学年の平均と同じくらいなのに、まるで天使のような、近寄るに恐れ多い感覚なのだ。きっとみんなもそれを本能的に察知していて、沙雪が発する見えないまぶしい光のもとへ近寄れないのだろう。


 だからこそ、近寄りたい、ギュッとしたい、もぎゅもぎゅべろんべろんしたい! ハァ、ハァ、高ぶるわぁ、みんなとの集まりで声をかける機会を逃してるけど、どこかで隙を狙って仲良くなりたい! いや、絶対仲良くなる!



 ◇◇◇



「誰か、もし時間あったら階上はしかみにプリント届けに行ってくれないか。個人面談のお知らせだから親御さんに一日も早く知らせなきゃいけないんだ」


 翌日帰りのホームルーム、チャンスは不意に訪れた。沙雪が風邪で学校を休んだのだ。


「はーい! 私行ってくるよ!」


 私は壇上で呼び掛ける担任のオッサンの要請を真っ先に引き受け、沙雪に近付くチャンスを掴んだ。


 沙雪はどんなお家に住んでるんだろうなぁ、オッサンから渡されたメモに書かれた住所からマンションだってのはわかる。きっと超高級で、部屋の中は金ピカゴージャスで、裸の執事に乗っかってチェスとかしてんのかなぁ?


 色々と妄想を膨らませて辿り着いたのは駅に近いリゾートマンション。『ロ』の字型に建つマンションの中庭にはヤシの木が3本立っていて、その下には人工の芝生や小川、白く細長い瓢箪ひょうたん型の噴水がある。他地域からの移住者をターゲットにした、この地域らしい雰囲気。沙雪のうちは最上階の707号室。陽当たり良好な東南部の角部屋だ。液晶モニターが搭載された最新型のエレベータに乗って、部屋の前に到着。カメラ付きインターフォンを押して居住者の応答を待つ。


 もぎゅもぎゅしたいけど、風邪ひいてるときは可哀想だから、元気になってからにするか。


 そう思ったとき、インターフォンから「はい」と女の子の透き通った声がした。


 これは沙雪の声と思いつつ、「片瀬です。沙雪さんのプリントを届けに来ました」と念のため敬語で告げた。声の主はやはり沙雪だったようで、少し慌てた様子で「あっ、わざわざごめんなさい」と言って通話を切り、約10秒後に玄関扉がそっと開いた。


「おーっす! 体調はいかがかね?」


「あ、うん、大丈夫。午前中一杯寝てたら良くなったみたい。お茶淹れるから上がって」


 うふぁほーい! せっかく招いてくれたならおじゃまするしかない!


 私は「ホント!? じゃあ遠慮なくおっじゃましまーす!」と言って部屋に上がり込んだ。部屋の中は鈴蘭型のシャンデリアや、ピラミッドやラクダなど、古代文明の柄が描かれたずっしりした背の低い焦げ茶の木のタンスや大型テレビがあってゴージャスな感じはするけど、引っ越したばかりでそこらじゅうに段ボールが積み上がっていて、残念ながら裸の執事をコマにチェスをしている様子はない。


 沙雪の部屋に通された私は、沙雪がお茶を淹れている間、白い掛け布団が敷かれたベッドに一人でもたれて、白い天井を見上げた。この部屋にも段ボールが積まれていて無機質感があるものの、沙雪ベッドはなんとも甘~い香りがして思わずニンマリ。


 ダイブして枕ズリズリしちゃっていいかな? いいかな!?


 私は立ち上がって振り向き、ダイブする体勢に入った。いち、にの、さーあああ……。


「お待たせしました」


「えっ!? あっ、お茶サンクス!」


 ビックリしたぁ、ダイブしようとした瞬間に戻って来たよ。


 沙雪は「なんでベッドを見てるんだろう」と不思議そうに私を見ている。気まずくなった私は部屋の隅に視線を逸らすと、その先には仕切り3段で高さは身長の半分くらいの白い本棚があった。本棚には少女漫画の単行本、アニメ映画のブルーレイ、ゲームソフトがそれぞれの段に一つずつ置いてあり、スペースはスカスカ。


「漫画とかゲームとか、これしか持ってないの?」


「うん。同じ作品でも、何度も何度も読み込んでいく度に、新しい発見があるの」


 クロスさせた両手を胸に当てながら語る沙雪は少し頬を赤らめていて、嬉しそうで楽しそうだ。転校初日の教室、みんなに囲まれたときの沙雪はぎこちなく笑ってたけど、いまはとても自然な表情だ。こういうの、なんていうんだっけ。えーと、いつくしむ、かな? 心の底から愛してる感じ。 


「へぇ、私もゲームやったり漫画読んだりアニメ見たりするけど、あんまり見返したりはしないかなぁ。特にアニメは放送中のを見るだけで手一杯だから」


 こんなゴージャスなマンションに住んでる沙雪のことだから、てっきり数えきれないくらいのアイテムを持ってると思ったけど、そうじゃなくて、一つひとつの作品とじっくり向き合って、ずっと大切にしたいってことかな。だとしたら、沙雪の手元に置かれたアイテムたちは、すごく幸せなんだろうな。


「え? 片瀬さん、そういうの好きなんだ。スポーツとかバラエティー番組くらいしか見ないイメージだったけど」


「あーうん、前はそうだったんだけど、親戚のお姉ちゃんが勤務先の人からアニメを勧められて、それを一緒に見てたらハマっちゃった。でもクラスのそういうの好きなグループの子たちとはあんま気が合わなくて」


「そうなんだ、実はね、私もそうなの。彼女たちとは作品の好みとか見方が大きく違う気がして、ちょっと近寄り難いの。私は色んな作品に触れて、その世界の魅力を感じて、たくさんの思想や物事を知りたい。でもそんな人はなかなか見つけられないし、それどころか漫画とかアニメが好きだと、それだけでいじめたがる子も多いから、迂闊うかつに仲間探しもできない。学校っていう社会は私にとっては肩身が狭くて息苦しいなって思うの」


「そうだよねー、なんかそういう空気あるよねー、学校って。それに先生まで漫画読むなとか言ってくるから余計に拍車かかってる感あるし」


 ビックリした。沙雪って、ハッキリした口調でこんなにたくさん喋る子だったんだ。


 学校ではどれだけ自分を封殺してるんだろう。それとも、外部のノイズを遮断して、涼しい顔で物語の世界に入り込んでるのかな。だとしたら、ただ私が仲良くしたいからって、この子の世界に土足で入り込んでいいのかな。


 沙雪には沙雪の世界があって、それで本人が満足してるなら、距離を縮めようとしてる私は邪魔者でしかない。学校では友だちは多いほうがいいとか、みんな仲良くとか言われるけど、そんなの絶対無理な理想論だなんてみんな心のどこかで理解してて、だから仲良しグループがあって、特定の子との交流がほとんどで、それが心地よくて。


「そうだ、せっかく来てくれたし、ゲームなんてどうかな? スマートフォン、持ってる?」


 瞬時、沙雪のその提案が、私の懸念を拭い去った。感情の高ぶりを全身から滲み出す沙雪は、気品はそのままに、だけど声高で、右手に白いスマートフォンを持っていてプレイする気満々だ。「持ってる持ってる! スマホゲーム!? やるやる!」と二つ返事した私は沙雪と一緒に無料のゲームアプリをインストールして、本名そのままにアスカ、サユキとそれぞれユーザー登録を済ませた。


『Welcome tn the RPG world!』


 ロールプレイングゲームの世界へようこそ! でいいのかな、このゲームのタイトル。まぁいいや、細かいことは気にしない!


「私、スマートフォンのゲームは初めてなの。このゲーム、少し前から気になってたんだけど、なかなかインストールまで漕ぎ着けるきっかけがなくて」


「あぁわかるわかるなんとなく先延ばしになっちゃう感じね! あれ? なんだか急に眠くなってきた……」


 登録完了画面からチュートリアルに移動した途端、気を吸い取られたかのように急に朦朧もうろうとし始めた私は、数秒後には意識を維持できなくなって、力なくその場に倒れ込み、頬に絨毯じゅうたんの感触を覚えた。ほぼ同時に沙雪も倒れたのがうっすら見えた。毒ガスでも充満してるのかな? それが精一杯の思考で、私はそのままゆっくり目を閉じた。

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