43  -『過去』と現実の境界線-


 潜伏していた民家を出た後、バイクで目的のポイントまで移動。結良を後ろに乗せ、廃墟の街にエンジン音を響かせながら走る。途中散発的に魔犬が現れ単独で襲い掛かって来たが、能力で強化したハンドガンによる自動追尾弾で悉く蹴散らした。

 そして、空色の膜の間近までやって来た。

「……」

「ぉおー……」

 バイクを降りた2人は、舗装された二車線の道路を塞ぐ巨大な空色に輝く絶壁の前で絶句していた。

 暗闇の廃墟を照らす様に輝き、山ほどに高く空に聳え立ち、左右に果てしなく広がり二人の前に立ち塞がる圧倒的な威圧感。青天の空を切り取ってそのまま地面に突き刺した様な無茶苦茶な光景が目の前で展開されてしまっていた。

 バイクのセンタースタンドを立てた明悟は、おもむろに石を拾い上げ、目の前の空色の絶壁に向かって投げた。石は壁に弾かれる事無く、そのまま何も無いかのように壁を通り抜けた。その先で小さな音が、石が地面を跳ね転がる音が聴こえた。

「これは……、生身の人間が通っても安全なのか?」

 明悟が呟いた。無論、厳密には明悟と結良は生身の人間ではないが、この中に、シフト・ファイターとは言え人間が入っても大丈夫なのかどうか明悟は不意に疑問に持ってしまった。

「哨戒機は難無く膜の中に入っていたし、カサジゾウも特に問題無く稼働している。生身の人間については……、現在確認は取れていないな」

 明悟の呟きに磯垣が即座に答える。

「『最初の人間』の人達が中に居るだろうから大丈夫だろうって、勝手に思い込んでいたんだけど……?」

 結良は明悟の隣に立ち顔を覗き込みながらやや自信無げに自説を口にする。……時間が無いから進むしかない。しかし何とか、出来得る限り最低限の安全確認を出来ないだろうか……。

「仕方無い……、取り敢えず私が先に入るよ。それで問題が無さそうなら結良さんを呼ぶ」

 明悟がそう提案すると結良は唇を歪めて難しい顔をする。何か拙い事を言っただろうかと明悟は少し不安になったが、不意に結良は声を力強く弾ませて「ジャンケンにしよう!」と宣言する。

「ジャンケンで勝った方が先に膜の中に入る方向で!」

「勝った方……、なのかい?」

「お互いに無茶するから勝った方!」

「自分が無茶をしている自覚をちゃんと持っていて安堵したよ」

「うん、でもだからって薙乃さんが率先して負担を引き受ける理由にはならないからね」

 ……2人で行動している以上抜け駆けして負債を背負う事は許されない。効率や自身の安全よりも納得が優先される訳だ。子供染みた公平さだが、悪い気はしない。

「わかった、ジャンケンで決めよう」

「勝った方が先に中へ入る」

「ああ」

 じゃんけんぽん。明悟がパーで結良がグー、幸運、と言っていいのかどうかはよくわからないが明悟が勝利した。

「……じゃあ、薙乃さんにお願いするね」

 残念そうとなのかほっとしているのか上手く判断が付かない感情を口元に作りながら結良は言う。

「……承ったよ」

 お互いに割と真剣だった儀式としてのジャンケンに勝利した明悟は早速空色の巨大な壁と向かい合う。この中に広がるのは過去の半田崎市。そしてドッペルゲンガーの体内とでも言うべき場所だ。ある意味前人未踏の地である。おそらく前人未到だろう。ドッペルゲンガーの中に頻繁に出入りする先人など居て堪るかと言いたくなる。

 明悟は世の全ての不条理を受け入れるかのように短く深々と溜め息を吐く。

「……変わってあげようか?」

 隣から結良が、明悟の顔を覗き込みつつほんの少し茶化した風な声で問い掛けるが、「それには及ばないよ」と丁寧に断った。結良の口元はにっこりと微笑んだ。

 意を決して、明悟は空色の壁に左手を添え、沈み込ませる。一瞬ひんやりとした感触が掌に纏わり付いたが、直ぐにその違和感は無くなった。結んで開いてを繰り返しても何の問題も無いし、痛みや異常な感触も無い。

「手は、別に問題無さそうだ」

 結良に軽くそう報告してから、明悟は絶壁の内側へと身体を浸した。


「……しかし、IKセキュリティさんは狙って半田崎市に戦闘ロボットを集結させていたよね」

 相変わらず魔犬の操作用書籍を忙しなく捲りながら『広報官』は口惜しそうに言う。

「わたしがコピーした人間のプロフィールが調べられたのなら有り得ない事は無いんじゃないでしょうか?」

 『拾い読み』はそんな『広報官』の様子を眺めながら、手持ち無沙汰を無理矢理押し殺す様に直立不動のまま首だけ動かし、『広報官』の言葉を受け取る。

「だとしてもこんなにハッキリと決め打ちしてくるもんかなぁ? 多分偶然だけどそのせいでヨミさんの計画が遅延させられてる訳だし。あの人達の判断力ちょっと舐めてたかもね……」

 『拾い読み』はおもむろに『広報官』から視線を逸らし、東の空を、その先の多那橋市に続いているようで完全に閉じている偽りの青空を見上げた。

「遅延、だけでは済まないかも知れません」

「ん? どうして?」

「結良さん達がいらっしゃるかもしれません」

「……彼女達は、頭目を倒せたと思うのかい?」

「頭目と言っても、そもそもわたし達が援護する前提の未完成品だったのでしょ?」

「まぁ、ね……。でも膜の中に入られたとしてもこっちが見つかる前に戦闘ロボットを破壊し尽くせば……、ってそうか、鶴城薙乃嬢は通信かなんかで戦闘ロボットの位置を把握してるから先に守られたりもするのか。

 うわー、これ二人に来られたらめっちゃ大変じゃ」

「あっ、来ました」

「来たの!?」

 興味が無い程に素っ気無く吐いて出た『拾い読み』の言葉に『広報官』は酷く吃驚させられた。『拾い読み』の視線は偽物の青空より少し下に向いていた。

「魔素体が一体、私と外界の境界に触れました。

 『広報官』さん、大砲に『揺籃の鎧シェル・メイル』を使っていただけませんか?」


 空色の膜に身体を沈める。身体を浸した瞬間、晩秋に外出して夜風に吹かれる様なひんやりした空気を感じさせられたが、それだけ。歩みを止めるほどの刺激では無かった。明悟はそのまま膜を通り抜ける。

 眩しさに一瞬眼を細めたがそれもすぐ慣れた。

 明悟が立っていたのは道路の真ん中、朗らかに陽光が降り注ぐ穏やかな街並みの中だった。膜の内側は報告されていた通りに昼間だった。

道路の周囲には商店や住宅が有るがヒトの姿は見えない。見えないのだが、それらの建物が打ち捨てられた廃墟では無く、今なお使用されている『生きた』建物であると何故か感じ取れた。歩道に雑草が無くなっているのも理由かもしれないが。

明悟は振り向いて、声にならない悲鳴を上げた。そこには先程超えて来た空色の膜は無く、陽の光に照らされた穏やかな街並みが、道路の向こうずっと奥まで続いていた。その先の十字路では信号機が点灯し、自動車の往来さえ目視出来た。膜の内側をスクリーンにして半田崎市から向こう側の映像を貼り付けているだけ、という事なのだろうけど、本当に真昼の、魔素体大禍が起こる前の街の中に立っている様にしか思えない。膜の外と内の境目がわからない。

「結良さん、そこに居るかい?」

 距離としては数メートル程度しか離れていないはずの結良に対して、明悟はやや大きな声で呼び掛けた。

「はーい、ここにいるよ!」

 すぐさま返事する結良も遠くに呼び掛ける様な声だった。あちらからもこちらは見えないはずだ。

 明悟は結良の声のする方に向かって片手をかざし、手を伸ばしてみた。丁度膜が有った辺りで掌が鉈ですっぱり切られたように消え、腕を引っ込めると掌はまた、元に戻っていた。膜に映された過去の景色は、今居る薙乃の姿を映さない。しかしそのスクリーンに映し出された像が本物の風景と変わらないほど鮮明で精緻なので境界がわからないのだ。

「結良さん、こちらは大丈夫そうだ。入って来て」

 明悟がそう呼び掛けると、何故か一瞬の間が有った後「あっ……、はい、うん! わかった……!」という何か妙に曖昧で、慌てたような声で返事が返って来た。一瞬、何かあったのかと不安になったが、膜の外側からすれば壁の中から突然明悟の手が生えて来た訳で、怪奇現象染みた光景で驚かしてしまったのかも知れない。悪い事をしたか……。と、いう様な事を考えていた矢先に、高校の制服姿の結良が急に目の前に現れた。

『うわぁ!』

 まさに目と鼻の先にお互いの顔が不意に接近し、二人は悲鳴を上げて飛び退いた。

「……すまない! 膜の近くまで近寄り過ぎていた!」

 そう言いながら明悟は慌てて後退する。膜によってお互いの姿が見えなくなっていたので位置関係もわからなくなっていたのだ。

 後方に、膜の外側まで飛び退いていた結良はまた改めて膜の内側に入って来た。膜を通り過ぎている間、結良のコスチュームが揺らめいて、一瞬本来来ているの高校の制服が露わになっている様に見えた。しかし、完全に膜を通り過ぎた時の結良の服装は、先程の変身で見せた近未来的なデザインのコスチュームに戻っていた。

「……ええと」

「…………」

 先程の一瞬のコスチュームの変化、と言うより『剥離』は明らかに見間違いでは無かった。しかし今現在は結良のコスチュームに問題は無さそうだ。その一瞬の異常現象をどう捉えればいいのか明悟は測りかねていた。しかし、それ以上に明悟を困惑させたのは膜の中に入って来た結良の様子だ。結良は周囲の景色や自分のコスチュームの変調を気にするでもなく、口元を強く結んで明悟を見詰めていた。バイザーのせいで表情を十全に読み取れないが、今の結良が、現状のあらゆる事態よりも明悟の『様子』に注目している事は十分読み取れた。

「……膜を通り抜ける時に一瞬、君の変身が解除されたように見えたのだけど、大丈夫かい? 変身に異常は無い?」

 結良の様子は明らかに妙だが、カマを掛けるのも兼ねて、明悟は質問する。

「……え?」

 その言葉に結良は驚いた様に自分の身体を見下ろし、コスチュームの状態に目を走らせた。コスチュームが剥離いていたと自覚は出来なかったらしい。

「いや、今は大丈夫だよ。膜を通り過ぎた時だけ一瞬だけだよ。一瞬だけ剥がれるみたいに」

「……魔素同士の干渉が原因だと思います」

 その言葉を発したのは、小手型ディスプレイの向こうに居る曳山博士だ。

「この街を魔素体大禍前の半田崎市に変えようとする魔素の振る舞いとシフト・ファイターのコスチュームの一部になった魔素の振る舞いがぶつかり合って相互に影響を与え合った事によりコスチュームが一瞬剥がれた様に見えたのだと思われます」

 例によって仮説の範囲から出ない話ではあるが、説得力がある話だと明悟には思えた。だがそれを訊いた結良は俯き、「剥がれる、剥がれる……」と呟きながら独り考え事をしているようだった。何故だかわからないが明らかに様子がおかしい。

「……どうかした?」

 素直に訊いてみる事にした。その質問に結良は明悟の顔を見詰め返したが、口元の様子から、何かの感情押し殺している様に見て取れた。

「ええと、薙乃さんの身体の方は大丈夫だよね?」

「……? ああ、問題無いよ」

「そっか、うん……」

 納得したような返事だがその様子からは全く納得している様に見えなかった。結良が感じているらしい何らかの引っ掛かりに対してもう少し踏み込んでみるべきかどうか測りかねていたが、そう言った仄かな違和感は上空に現れた大きな『存在感』に瞬く間に消し飛ばされた。

 そう、それは殺気である。押し殺された気配は有るが、余りにもこちらに対して『害を成そう』とする思惟が強力過ぎて上空に現れた時点で覆い被さる様な重い思惟が否が応でも読み取れた。

 明悟と結良は、弾かれる様に上空を見た。

 黒い魔素の塊がはるか上空で瞬きながら大きくなっているなっている。いや、これは、近付いてきている……!!

「……哨戒機を撃ち落とした飛翔体だ!!」

 明悟の仮面から状況を見ていた磯垣が小手型ディスプレイから絶叫した。そしてその言葉よりも早く結良は明悟の前に立ち、左腕の甲を向かって来る黒い塊に向けた。

「『保存特権の盾ストレージ・シールド』!」

 結良が叫ぶと、魔素が収束し、結良の左腕の甲に円形のプレートが現れた。明悟と栄美のお節介に因って生まれたという、当て付けと免罪符の盾。明悟は結良の背後で身を低くしてその影に隠れた。

 結良は向かって来る黒い魔素に向けて円形プレートを掲げる。プレートを中心に帆を張る様に透明のアクリルに似た質感の弧を描く膜が展開する。SF映画でしばしば目にする『バリア』と呼ばれるモノに近い様に見えた。

身震いする程の悪意と害意を帯びた黒い魔素の塊が接近、その速度は自由落下よりも速い、明らかに推力を持って加速している。そう目星を付けた刹那、魔素の塊は結良のバリアに激突していた。

 プラスチックの板に石の塊をぶつけた様な軽い衝撃音が一瞬響いた後

 大爆発

 飛来した魔素の塊はバリアへの激突と共に急激な熱を帯びて燃え上がる。爆音と共に爆炎が膨れ上がるが、衝撃と炎は結良の盾が展開したバリアによって完全に阻まれた。

 が、爆発を防いだバリアの表面に、赤いヒビの様な筋が走る。その筋は全て結良の腕に付いた銀のプレートの内側に繋がっており、毛細血管の血が吸い上げられる様に赤い筋はその根元のプレートの内側に引き摺り上げられていき、赤い筋が集約する根元に赤い球体を造り出した。

 結良はその赤い球体に手を伸ばした、が。

「あと三発! あと三発同じものが飛んでくるぞ!!」

 という磯垣司令官の絶叫が明悟の仮面の無線から聴こえて来たので「あと三つ、飛翔体が来る!」と結良に伝えると、「ぅえ!? えっ、えっ、えっ、ウソ、どうしよう!?」と極端に慌てた様子で伸ばしていた手を引っ込めた。

 明悟と結良が盾の向こう側の空へと目を向ける。偽物の青空をバックに、新たに三つの黒い点が空を舞っているのがハッキリと見て取れた。

 結良は改めて上空を見詰めつつ左腕のちいさな盾を構え、小声で何かを口にし始めた。

「……28、27、26、25」

 カウントダウンである。明悟は思わず目を剥いた。何故このタイミングで数を数え始めるのか全くわからないが、結良の非常に切迫した様子は声からでも十分に把握出来た。

「……結良さん、そのカウントダウンは一体」

「後で説明する! ……21、20、19」

 明悟の質問にも取り付く島もないといった様子でカウントダウンに戻る。視線は空に向けたまま。魔素の塊はみるみる近付いてくる。しかしこれは、直撃しない……? 落下を始め少しずつ拡大していく三つの黒い点はそれぞれバラバラの場所を目指して落下している様に見える。先程の一発は正確に自分達を捕捉して飛んできたように見えたが、この三発はそれぞれ違う場所に着弾しようとしている? 敵の位置に当たりを付けて広い範囲を爆撃する様な攻撃方法に思えた。

 17、16、15。空を見上げながら祈る様に切実に秒読みを続ける結良の背中に明悟は身を寄せ同じようにシールド越しの空を見上げる。空から、黒い魔素が、降って来る。

 周囲で立て続けに爆発が起こる。刹那、明悟と結良は爆風に巻かれる。

 黒い砲弾の内のひとつは斜向かいの民家に着弾しブロック塀の破片が飛んできて結良の盾のバリアに跳ね返された。

「……10、9、8」

 爆発音の余韻がまだ耳に残っている最中に結良の焦りに震えるカウントダウンが聴こえる。爆発で舞い上がった塵・埃に塞がれた視界の先に視線を向けている事が直感的に明悟にはわかった。

「司令室! 次の攻撃は!?」

 明悟は仮面のマイク(コスチュームの一部に変身しているにも拘らず機能を残留させているそれ)に向かって絶叫した。

「来ない! 飛翔体は飛んでこない!」

「結良! 攻撃はもう飛んでこない!」

 磯垣の伝言を結良の耳元で叫んで伝える。すぐさま結良は盾の裏側に手を伸ばし、果実を捥ぎ取る様に生成された赤い球体を掴んだ。そのまま赤い球体を掴んだ右腕を大きく振りかぶり、砲丸投げの様に前方に軽くステップを踏んでから全力で前方上空へ投擲した。

 投げ上げられた球体は上空で大爆発を起こした。明悟と結良は爆音に身を屈めた。

「よ、良かったぁ……」

 燃え尽きた魔素が煙になって上空を舞っている様を見上げながら、結良は心から安堵した様子で呟いた。

「……君の『保存特権の盾ストレージ・シールド』は衝撃を跳ね返す事が出来ると言っていたけれど、能力の細かい点をもう少し詳しく教えて貰えないかい?」

 明悟は努めて穏やかな口調でそう結良に尋ねると、結良はバツが悪そうに口を開く。

「……まず跳ね返し方が二種類あってね、さっきみたいに衝撃を球体に纏めてどこかに投げる方法と盾にぶつかった衝撃の反対方向に撃ち出す方法」

「……ふむ」

「跳ね返す衝撃が例えば鉄砲の弾とか飛んできた石みたいなエネルギーの向きが一方通行でハッキリしているならそのまま反対方向へ打ち返せばいいんだけど、爆発の衝撃で同じ事をしようとしたらそれは凄く危なくて、衝撃が面で広がるからそのまま盾から撃ち出すと爆発に巻き込まれてしまう」

「だから球体にして投げた訳だね」

「うん。……ただ、衝撃を盾の中に貯めておけるのは30秒までで」

「30秒」

 結良が、『30秒までで』の部分を非常に申し訳無さそうに口にするので、明悟は思わず訊き返してしまった。

「一度あの赤い球体が盾の内側に出来たらそれ以降にバリアで防いだ衝撃は全部そこに貯まっていって。30秒経つとその場で衝撃が再生されてしまうの」

「その場でって……? ならあのまま30秒経っていたなら君の手元であの爆発が起きていたという事かい?」

「……そういう事」

 結良は申し訳無さそうに首肯した。

 ……なんとまぁ。

「もう少し融通が利く能力だと思っていたんだけどね」

「そうだね……」

「と言うより、融通が利く能力だと誤認させる様な説明を最初敢えてしなかったかい?」

「うう、ごめんなさい……」

 アッサリ白状した。

「その、危ない能力だって思われたら共同戦線が白紙になっちゃうかなって思って」

 明悟は、悪戯を反省する子供を前にしたような気分にさせられ、怒っていいのか甘やかして(許して)いいのか非常に判断に迷う気分にさせられた。

 明悟は一度深く、溜め息を吐いた。

「結良さんは、真面目そうな見た目によらず誤魔化したり嘘を吐くのが凄く巧いよね。いつも全く見抜けないんだ」

 明悟は、遂に喉の奥につっかえ続けていた本音を口にしてしまった。そしてそれは非常に踏み込んだデリケートな話の様に明悟には思えたので、呆れつつ面白がるような口調に聴こえる様に細心の注意を払いながら優しく指摘した。それは怒りと言うより、そろそろその事を二人の間での共通認識にしなければならないだろうという判断からのものだ。

「……嘘は魔法少女の嗜みなんだよ」

 結良は微かに唇を尖らせた。

「普段から真面目で素直な人間を演じていた方が嘘を吐いた時バレない」

「……それはもしかして、栄美さんが言っていた事かい?」

「うん、正解。

 ……って、あ、いや、隠し事してたのは全面的にわたしが悪いのであって、栄美ちゃんに罪を擦り付けようとかそういうんじゃないからね」

「……まったく、本当にとんでもない人だな、私の姪は」

 ……しかし、『嘘は魔法少女の嗜み』という言葉に明悟は妙にしっくり来てしまった。そもそも相手の嘘を指摘などする資格が無い程に明悟も大いなる嘘吐きであり、裏に嘘を内包する事を強いられる魔法少女の在り様を『嗜み』の一言で開き直りつつ肯定する考え方に、シンパシーを感じてしまったのだ。まったく、我が孫娘は良くない事を友人に吹き込むものだ。

 ……先輩の魔法少女に後輩の魔法少女として学びを得るという状況に不条理を感じそうになる直前に「……薙乃君、悪いが会話をそろそろ切り上げて貰えないか?」と、不意に耳元から聴こえて来た磯垣の警告。

「ええ、わかっています」

明悟はアサルトライフルを構えながら応える。

 魔素の砲弾の着弾後、未だに砂煙が濛々と舞う。そのベールの先から複数体の足音が、取り囲むように周囲から響いてくる。

「……右と左から三体ずつ、で合ってるよね?」

「……恐らくね」

 音の方向と音ひとつひとつの連なり方から、何体の魔犬がどの方向から近付いてきているのか把握する事が出来た。シフト・ファイターの身体により聴覚も強化されている。音だけでその姿も捉えられるのではないかと思える程不気味に鮮明に聴こえる。

「左からの三体はわたしが倒す。右の三体はお願いね」

「受け持ったよ」

 売り言葉に買い言葉で小気味良く返事してしまったが、結良の場慣れした端的な指示にワンテンポ遅れて驚いてしまった。思わず結良の顔を見そうになったが

「『血黒裘の覆いブラッディ・スリー』」

シフト・ファイター能力を発動させて駆け出そうとする直前だった。そして明悟の視界の端にも現れる。明悟から見て右側、砂煙が収まってきた道路の向こう側から三匹の猟犬形態(モード・ハウンド)の魔犬が全速力で駆け込んできた。

「『武器を識る者ウェポン・マスタリー』」

 明悟も落ち着いた調子で能力を発動する。……今となっては慌てる様な相手ではなかった。

 殺到する魔犬達を落ち着いた様子で見据え、白い魔素によりコーティングされたアサルトライフルを肩に構え一体ずつ落ち着いて狙い、射撃する。青い魔素の筋を一瞬だけ煌めかせた弾丸は爆裂するように魔犬の身体をこそぎ取る。魔弾の銃撃により頭部が胴体ごと削り取られた魔犬の残骸は黒い魔素を噴き出しながらアスファルトの上を転がった。

 魔犬3体の無力化を確認。明悟は振り向き結良が向かった方に視線を向ける。

 猟犬形態モード・ハウンドの魔犬が、結良の黒い腕で引き裂かれている最中だった。結良に殺到した魔犬が、結良のシフト・ファイター能力によって造り出された黒い腕の鍵爪の一振りで魔犬の頭部が上半身ごと消し飛んでいた。既にもう一体別の魔犬が、魔素の残骸となって転がっていた。最後の一体はまだ少し向こうに居る。自身の体躯を膨張させて猟犬形態モード・ハウンドから怪物形態モード・フリークスに変形する途中だった。結良はそんな魔犬に視線をくれ、大地を蹴った。

 それは飛ぶようで、目で捉えられない程の速度と非常に広い歩幅で一瞬で距離を詰め、鍵爪による一閃を魔犬に浴びせる。結良の黒い腕が一瞬膨張し爪が伸びたのは恐らく見間違いではないだろう。

 魔犬の身体は犬の部分と巨大化した部分をちぐはぐに有した状態で地面に転がった。頭部に当たると思しき部分から激しく魔素を噴き出しながら。結良は魔犬が倒れる前にライトの瞬きのような鋭いバックステップで魔犬から距離を開けており、次の瞬間には飛ぶように宙を滑り明悟の傍に立っていた。

「お待たせ」

 赤を基調とした流線形のメタリックなコスチュームと黒い魔素が獣の体毛のように揺らめく両腕両脚を気恥ずかしそうに揺らしながら、結良は何となくはにかんだ声色で口にする。

「いや、速いよ。目で追えない程速かった」

「いやでも薙乃さんの方が先に倒したし」

「いやまぁ私は、銃で撃っただけだからね」

「……今のは斥候のようなものだろう」

 変に和んだ会話をしてしまっていた二人を遮るように小手型ディスプレイから磯垣司令官の声が響く。

「どのような方法かはわからないが、あちら側はこちらの所在をある程度察知している。しかし先程の広範囲にばら撒く様な砲撃から正確な位置は把握出来ていない」

「だから砲撃の成果確認の為に魔犬を寄越して来た」

「そうだ。周辺に別の監視役を潜ませて次の砲撃の準備をしている可能性もある」

「……何処から砲撃しているかはわかりませんか?」

「魔素の航跡を周辺のカサジゾウが観測していた。原田君、この近くにあるの『スーパーミズタニ』はわかるかい?」

「えっ? あ、はい、わかります」

 急に話を振られた結良は少し慌てて答える。

「駅の、北の方の、ですよね?」

「そうだ、適度に拓けた場所という点を於いても、ここから砲撃されている可能性が高い」

「わかりました。向かいます。

 結良さん、道はわかるかい?」

 明悟が尋ねると、結良は真剣な表情で頷く。

「……あのさ」

 そして何やら神妙な面持ちで結良が口にする。

「……何だい?」

「魔法少女の嗜みの続き。嘘や誤魔化しはやっぱり良くない癖だなって反省しました。

……もうひとつ隠している事がある」

 非常に申し訳無さそうな様子で結良が言うので「言ってみて」と、非常に優しい声色で明悟は促した。

「『血黒裘の覆いブラッディ・スリーブ』の方にも別の能力が有って……」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る