40  -こんにちは、青春の光-


 原田結良と初めて会った日の事は今でも覚えている。そもそも、原田結良こそ、わたしが初めて出会った人間のはずだ。

 無数の『同族』と共に発生したわたしは無人の街並みを当て所無く彷徨っていた。いや、何やら導かれている様な感覚があり、その感覚が指し示す方向へ集団で歩行していた。ただそれは『最初の人間』(と後に自称する組織)の魔法で進行方向をコントロールされていたという事らしいが。 

 歩いている間に考えていた事など何もない。そもそもドッペルゲンガーに何かを思考する機能など無い。ただ街中で人の姿が描かれたポスターなどを目にすると、一瞬だけそちらを凝視し、人間かどうかを確かめる。それは殆ど条件反射の様なもので、思考に根差したものではない。ただ今のわたしならば、それが、『人間をコピーしたい』という本能によるものだと理解出来る。

 人影を探しつつ導かれながら歩いていたドッペルゲンガーの集団は、魔犬の一団が徘徊しているのを見掛けた。一瞬、人間かと確認するため注目するが、直ぐに人間ではないと判断し、興味を無くすが、ドッペルゲンガーを導く感覚はその魔犬がいる方向へと進むよう指し示している。

 そしてそれは不意に視界に飛び込んで来た。

 紅いドレスを着た十歳程度の少女。

 有角魔犬に跳ね飛ばされて身体を起こし、仮面を剥ぎ取られたまま不用意に辺りを見渡してしまったシフト・ファイター。

 原田結良のその顔を。

 わたしの全てが歪んだ。肉体と世界に対する認識と在り方のその全てが。

 次の瞬間、わたしは原田結良になっていた。

 視界の先には地面に倒れ伏す本物のわたし。身体を覆う紅いコスチュームは黒い魔素に替わり消えて無くなりつつあった。

 今はわたし自身が紅いコスチュームを着ていた。それは何もおかしい事では無い、わたしは原田結良なのだから。

 わたしの周りに居るドッペルゲンガー達の姿に一瞬ギョッとしたが、ドッペルゲンガー達は自分に一瞥をくれるだけで直ぐに興味を無くし、そっぽ向いた。ドッペルゲンガーは人間に変身したドッペルゲンガーをコピーする事は出来ないらしいと別の大人のシフト・ファイターから訊いた事があった。 

 結良は/わたしは、この時即座に自分の運命を悟ったのだ。自分は偽物で、本物は既に命を落としていて、自分もいつ消えて無くなるかわからない。十歳の少女の全てがバラバラに砕け落ちるには充分過ぎる程の絶望感がわたしを襲った。しかし、それすら、周囲のドッペルゲンガーの一部が、仮面を付けた鶴城栄美の姿に変身していく様子を目にした瞬間に掻き消えた。

 わたしはドッペルゲンガー達を掻き分けて飛び出す。

 向かいからゴリラの様な巨体で迫ってくる魔犬が一体。わたしは地面に倒れた『本物』の結良の傍まで駆け寄り傍に落ちていた槍を拾い上げ、そのまま魔犬の身体を斜めに切り裂いた。魔犬の首と右腕は胴体から跳ね飛び、慣性で飛んでくる魔犬の下半身はタックルで押し返した。

 わたしはふと足元を見遣る。そこには倒れ伏す原田結良(わたし)。今のわたしは結良ではない。その事実を噛み締めると、気が変になりそうになる。

「結良、ちゃん……?」

 その小さく呟く声がハッキリ聴こえた。視界の端に鶴城栄美が、魔犬と対峙しながら、マスク越しの視線をこちらに向けている。彼女に見えているであろう光景は、地面に倒れた変身の解けた結良とシフト・ファイター状態の結良の二人。それを見れば、結良に何が起きたのか、栄美にも余す所無く理解出来ている事だろう。

 そしてわたしと栄美の間に立っていたのは一体の、赤い角を無数に生やした巨体。有角魔犬だ。本物の結良の仮面を剥ぎ取った相手だ。その怪物は、二方向に立つシフト・ファイター達を忙しなく首を振り交互に見ている。

「栄美ちゃん逃げて! コイツはわたしが喰い止める!」

「えっと……、でも……!」

 栄美は一瞬躊躇した。

「わたしは結良じゃないから! 本物の結良はもう死んだから!!」

 わたしは栄美の顔を真っ直ぐ見据え、震える瞳で栄美に訴えかける。お願いだから逃げてくれと。

 途方も無く長い時間に思える程視線で押し問答を続けた後、栄美は、悲痛な慟哭を上げながらわたしに背を向け、走り去ろうとした。

 その背に、一匹の魔犬が追い縋ろうとしていた。

「『響け、造物の鐘ディンドン・ブラウニー』!」

 わたしはダメ元で叫んだ。魔素は、魔法はわたしの呼び掛けに応え、左手に一本の棒状の物体を造り出した。栄美とシフト・ファイター能力の実験をしている時に造った、雷を発射する魔法の杖だ。杖は先端から轟音と共に電撃を発射、栄美の追う魔犬の頭部を一瞬で吹き飛ばした。

 この杖を普段作ろうとしなかった理由は大きく二つ。造り出しても数分で消えて無くなってしまうし、雷の音が子供心に恐ろしくとても積極的に使おうと思えるものでは無かったからだ。

 雷の轟音に有角魔犬と周囲の魔犬達がわたしに注目を集めた。わたしは右手に生前の結良が造ったただの槍を、左手に数分で消えて無くなる雷の杖を構えて対峙した。自分が消えて無くなる恐怖を、栄美を守るという決意で押し殺して。

 ……その場に居た魔犬や有角魔犬を全て倒す事が出来た勝因は、後先考えずに造り出した攻撃特化の武器の威力と、有角魔犬自体が自衛隊や栄美や結良や他のシフト・ファイターとの連戦によりダメージがかなり蓄積していた事が挙げられるだろう。

 のらりくらりと栄美が逃げた方向へ歩き出していたドッペルゲンガー達を槍で残らず切り伏せた後で、わたしは栄美と合流して安全な場所まで避難させようと考えていた筈なのだが、それは実行出来なかった。その時点で、『原田結良』としての記憶が欠落し始めていたのだ。まだ魔素の拡散を迎えていない槍を取り溢した。自身の全存在を賭けて栄美を守るという熱意が風前の種火の様に消えて無くなる感覚。自分がまた何故か、元のドッペルゲンガーに戻ろうとしている、という突拍子も無い思考を最後に、わたしは暫く『思考する』という機能を失う事になる。

 その後のわたしを発見したのが自衛隊では無く『最初の人間』だった事は幸運だったのかそうでなかったのか、それは判断出来ないが、少なくとも『最初の人間』に見つかった事でわたしは、今ここでこうしている。有角魔犬との戦闘から一日後、『最初の人間』の魔法使いと視覚を共有した魔犬が結良と有角魔犬の戦闘跡を調査しに来た。シフト・ファイター(原田結良)の遺体を回収する意図が有ったらしいが、そこでは遺体は見つからず、代わりに少し離れた場所で直立不動になっていた少女の姿を発見した。ちゃんと洋服を着ているが、顔には何のパーツも無くツルツルののっぺらぼう。人間としてもドッペルゲンガーとしても中途半端な存在、即ちそれがわたしだった。

 顔以外の全てを完璧にコピーしていたが意志を有していない。通常のドッペルゲンガーが仮面を被った相手をコピーするとアイデンティティーを奪えず、意志を持たない/オリジナルを殺せない不完全な偽物になる事は既に知られていたが、わたしの顔はドッペルゲンガーのままだった。『最初の人間』はわたしを回収し、研究対象とする事にした。

 魔素体大禍以後、何もかもが変わってしまった世界に於いて、『最初の人間』の構成員達は自らが犯した罪の重さに深く悔いる、つもりはあまり無く、魔素とそれによって構成されるあらゆる物の研究を静かに息を潜めて続けていた。そして、愛知県南部で発見した少女のドッペルゲンガーの数々の異常性は程無くして次々と発見された。

 まず人間をコピーし終えている筈なのにいつまで経っても消えてなくならない。この点だけでも当時の魔法使い達が興味を持つには充分だったらしい。そして顔がドッペルゲンガーのままなのに人間をコピーしない。しかしこれは後に間違いだったと解明され、この不可解なドッペルゲンガーは特定の条件に合致した人間だけをコピーするのだ。即ち、半田崎市と関わりのある、十代から三十代の女性だけ。コピーされた人間は意識を失うか重度の記憶障害を患うが、死には至らない。わたしの方はコピーした相手の顔面以外の身体的特徴と記憶の一部を獲得し、自身の中に溶け込ませて蓄積していく。コピーする対象の極端な選り好み、偏食。そして対象の記憶の一部だけを奪い放置するという在り様から、『最初の人間』のメンバーはわたしに『拾い読み』或いは『喰い散らかし』というニックネームを与えた。もっとも、『喰い散らかし』という言葉は蔑別するニュアンスを含んでいるので、呼び名は周知されているにも関わらず余り『喰い散らかし』と呼ぼうとする者は居ない。『広報官』などは、『拾い読み』を更に短くし人間への愛称風にした『ヨミさん』と呼んでくれていた。

 自分がシフト・ファイターに変身出来ると気付いたのはわかったのは、四人目の女性をコピーした頃だ。人間をコピーしてわたしが獲得出来るものは、感情から切り離されしかも断片だけになったデータとしての人の記憶に切れ端。単体だけ捉えても意味すら理解出来ないそれを、他の人間の記憶を参照し繋ぎ合わせ相互に補完する事で、世界と『わたし』自身の位置関係を理解する。ドッペルゲンガーの本能というただそれだけの骨子にコピーしてきた女性達の記憶の肉片を継ぎ接ぎして組み合わせて人間らしく見せ掛けているに過ぎないのだ。そんな中でも、原田結良をコピーした領域はかなり特殊だ。結良の人格や記憶などは一切コピー出来ていない。結良をコピーして有角魔犬と戦っていた時のわたしは間違い無く自分が原田結良だと確信していたが、後になってからのわたしはその時コピーしていた筈の結良の記憶の大部分を失っていた。ただその代りに持っていたのがシフト・ファイターに変身する能力とその使い方についての記憶だ。

 ――『広報官』の上司のような立場にある魔法使い『愛犬家』は、わたしの『拾い読み』『喰い散らかし』としての性質、つまり断片的にしか人間をコピー出来ず尚且つコピーした後も消えない理由について独自の仮説を持っている。

「恐らく容量オーバー、いや……、或いは処理速度が足りずに読み込み切れなかったと考えている」

「処理速度、ですか……」

「ああ、君らドッペルゲンガーは相対した相手の顔を視ただけで一瞬の内にその全てをコピーする。だがそこにはシフト・ファイター能力は含まれていなかった。シフト・ファイター能力とそこに付随する表層の記憶を読み込んだ時点で変身が開始され、相手の情報をロードし終える前に変身が完了してしまっているのではないか、というのが私の考えだ。仮説でしかないがね」

 わたしは、自分の心の奥底に小さな穴が空いていて、そこから細い紐が伸び出てわたしのシフト・ファイター能力を引っ張って奪い取ろうとしている感触を思い浮かべた。その紐の先に入るのは原田結良。能力を奪い取り尽くせなかったせいで時空を超えて元通りに復元しようとお互いに引っ張り合っている……。

「……ですが、魔素体大禍の最中にコピーされたシフト・ファイターは原田結良以外にも居たはずです。どうしてわたしだけコピーが不十分だったのでしょうか?」

「ふむ……、仮説に仮説を重ねる形になるがね」

 『愛犬家』はそこで少し思案し、勿体ぶった態度を取る。

「思うに、君は世界で初めてシフト・ファイターをコピーしたドッペルゲンガーではないのか?」

 そう言われてわたしは首を傾げて見せた。もしわたしに目が有ったならそれを見開いて驚いてみせていたかも知れない。――ちなみにわたしは周りの人間を不用意にコピーしてしまわない様に普段からずっと仮面を被っていた。魔素体大禍以降、ドッペルゲンガーを見知った人間の中には、その人類に対する殺意しかない性質に恐怖を覚え仮面を被らないと屋外に出られないという者が一定数居た。だから『広報官』等と行動を共にする時も仮面を被っていればそういうトラウマが有ると受け取られ殆ど不審がられる事は無かった。

「ドイツで『灯台守』達がシフト・ファイターをコピーしたドッペルゲンガーを捕獲しようとした件よりも君が原田結良をコピーしたのは時系列的に前の出来事だったはずだ」

「その、それとこれとは関係あるんですか?」

「私が構築した術式が『ヒュージ・ブレイン』に作用して世界中に魔犬が大量発生したという仮説を採用するのならば、君達ドッペルゲンガーも『ヒュージ・ブレイン』を通じて他のドッペルゲンガーと何らかの形で接続している可能性が高い。ドッペルゲンガーと魔犬の大量生産されたような無個性は近しい物であるように連想させられる。

 最初期に現れたドッペルゲンガーはシフト・ファイターをコピーする事を想定されていなかった。そのせいで君が原田結良を十全にコピーし尽くせなかった。その事が『ヒュージ・ブレイン』を通してドッペルゲンガーの発生源に――そんなものが本当に存在するのなら、だが、とにかくそのような物に接続し、シフト・ファイターをコピー出来る様に設計図が書き替えられた」

「わたしが最初だったから、それ以降が成功している、と?」

「ああ、君と『灯台守』が戦ったシフト・ファイターの分身のケースの一番の差異がそれだと考えられる」

「コピーする前のわたしが、そもそも出来損ないだったという可能性は無いんですか?」

「なに?」

 『愛犬家』は訊き返した。だがその時の彼の顔はわたしの発言に対する驚きと共に、秘密の核心を睨め付けるような不敵さが感じ取れた。この人物の勘の鋭さはよく聞かされている。わたしの質問ひとつでその発言の裏、わたしの本質の様なものを見抜かれたような気分にさせられ、居心地が悪かった。

 ただ、『愛犬家』の問い詰める様な視線はすぐに鳴りを潜め、素朴に思案する様な態度を取る。

「可能性は無くは無いが、そこまで例外を考慮に入れ始めるとなると現状ではいよいよ手に負えないな。君が他のドッペルゲンガーと差異があるとすればそれはアップデートの結果では無く魔素を組み上げるプログラム上のエラーかそもそも別のモノを造ろうとした形跡か……。どちらにしろ取っ掛かりは無いな。

 ……君は自分が出来損ないだと感じているのか?」

 出し抜けに聞かれわたしは「いいえ、わかりません」とその場では答えた。

 実際にはわたしは自分自身を出来損ないだと思っている。本来人間をコピーして消え去るモノがドッペルゲンガーなのだ、どれだけ人間をコピーしても完璧には読み取れず、消え去れもしない自分はドッペルゲンガーとして完全な存在とは言えない。人間をコピーする欲求、それは薄くぼんやりとしたものだが、わたしには他に何の欲求も無いので、それしか目指すものが無いのだ。

 何かの分身になる事でドッペルゲンガーとしての在り方を完成させる。『最初の人間』の便利な道具として淡々と従うわたしの中でそれは密かな目標となった。しかし人間をコピーしてもコピーしても消え去れない自分は、一体何をどうコピーすれば消え去る事が出来るのだろうか?

 わたしは自分自身の中、女性達から奪い取ってきた記憶の断片と向き合って答えを探した。

 わたしの中にある物。その中心に在るものは原田結良。わたしの中に集積された記憶に意識を向けると、それは絶対に無視できない大きな存在感を持っている。結良のシフト・ファイターとしての力、そしてシフト・エフェクト『響け、造物の鐘ディンドン・ブラウニー』。それから結良をコピーした直前のごく断片的な記憶だけ。人間のような言動を模倣するには全く足りない情報量。だがこれらはわたしという一体のドッペルゲンガーを別の何かに固定した/歪めた主要因となっているのは間違い無い。

 そして幾人もの半田崎市と関わりのある女性達(『広報官』をコピーする事に成功してしまったので忌避感と違和感を無視すれば男性も取り込める事が判明したが)。半田崎市の記憶は結良の僅かな記憶の断片にも含まれていた。本当にごく僅かだが、わたしが『原田結良』だった間に目にしたもののひとつとして鮮明に焼き付いていた。

 わたしにとっても鮮烈なその僅かな風景の断片をしばしば注視した群がるドッペルゲンガー、鶴城栄美に変身するドッペルゲンガー、飛び掛かる魔犬、雷に消し飛ばされる魔犬、有角魔犬。……ある時、その原田結良の記憶の断片に奇妙な変化がある事に気が付いた。魔犬やドッペルゲンガーが跋扈する記憶の中に映り込む道や、塀の向こう側に、何が有るのかが思い浮かべられるようになっていたのだ。

 結良の記憶が、いや、わたしの記録が補強されていた。結良の半田崎市に関する記憶の断片を中心に、コピーした女性達の知る半田崎市の風景の断片が繋ぎ合わされ、ひとつの『街』の全体像が非常に精緻かつ生々しい質感を持って浮き彫りにされつつあった。コピーした女性達ひとりひとりのパーソナリティーについてはそれぞれ欠損だらけで明確に捉えられない。それぞれの欠片を繋ぎ合わせて人間のような反応を出力しているに過ぎない。しかし、この『魔素体大禍前の半田崎市の構造を思い浮かべる』事についてだけは、それこそ事細かに、女性達が目にしていた人や車ひとつひとつの動きや、曖昧な記憶になりがちな建物の細かい構造や色合いまで『記録』されていた。女性達の記憶が収束し、人間一人では細か過ぎて記憶し切れない程の膨大な『記録』となっていた。……12人目の女性をコピーした頃には、わたしの記憶野の中に半田崎市の全体像が脈打つような生々しさと立体感を持って再現されていた。記憶の中の半田崎市の街並みに立って、あらゆる場所から同時に、今目の前に存在しているかのようなリアリティを持ってそれを観察する事が出来た。同じ場所とは言え時期や年代によって微妙な変化が生じていくはずではあるが、わたしの頭の中ではその複数の年代を同時に想起する事が出来て、異なる年代の景色だと理解しつつ、同時に読み取る事が可能だった。

 ――何故こんなにもハッキリと、半田崎市の構造のみを鮮明に想起出来るのか、思い付く事が出来る可能性はわたしにはひとつしかなかった。

 わたしは、半田崎市の分身になろうとしている?

 自分のコピー能力に不備があると仮定した場合。それが先天的なものか後天的なものかは最早わからないが、どんな人間をコピーしても中途半端にしかコピー出来ず中途半端にしか殺せないのだとしたら、ドッペルゲンガーのコピー能力に頼らずに自分が完全な分身になりまだ見ぬ『本物』と相対するしかないのではないだろうか? そして、わたしの中で完全な形で『本物』を再現出来る可能性のあるものが、記憶の中の半田崎市だったのだ。

 同時期に、わたしの処遇を巡って組織内で意見が分かれ始めていた。人為的に『ヒュージ・ブレイン』を造る実験に於いて、『わたしの能力を利用してシフト・ファイターをヒュージ・ブレインの原料にする』意見と『わたし自身をヒュージ・ブレインの原料にする』意見だ。わたしを『ヒュージ・ブレイン』の原料にしようとしていた『灯台守』を筆頭にした欧州大陸側の一派は、自意識を持ったわたしが能力を着実に増長させていた事に忌避感を持っていたらしい。現在の支配魔法でコントロール出来なくなる可能性に危機感を持っていた(最も、既にわたしはコントロールされているフリをしていただけなのだが)。そして『愛犬家』を中心とした日本・アジア圏のメンバーはわたしの能力を以後も活用し続けようと考えていた。組織内の協議の末、わたしの暴走の可能性を注視しつつ、シフト・ファイターを捕獲するという方向で方針が纏まった。

 ……『ヒュージ・ブレイン』を造る場所として半田崎市が選ばれた理由は大きくふたつ。ひとつは欧州の魔法使い達からの提案で、『ヒュージ・ブレイン』の原料を『拾い読み』に変更する事になった場合に、その土地の記憶が『ヒュージ・ブレイン』の構築に役に立ちのではないかとする考えだ。『ヒュージ・ブレイン』とは『都市』という指向性の無い虚ろな魔素を利用した装置だと考えられていた。『拾い読み』の半田崎市に関する記憶と半田崎市に堆積している筈の魔素を紐付けし相互利用すればより強固な『ヒュージ・ブレイン』を構築出来るのではないかというものだ。わたしのアイデアに近い。「何故半田崎市と関係のある女性ばかりコピーするのか?」という質問はこれまで散々されてきたので、操られている演技を補強するためにある程度真実も交えて説明せねばならなかったのだ(無論、半田崎市の分身になろうとしているという旨の話は一切しなかった)。

 もうひとつは原田結良と鶴城薙乃の存在にある。原田結良が再びシフト・ファイターとなる可能性が高いという点と、経営者一族から死者を出している藍慧重工の子会社でシフト・ファイターの研究をしているのではないかという二つの疑惑に基づいて調査が行われ、先日の結良との『接触』により鶴城薙乃がシフト・ファイターであるとの確信を得た。

 半田崎市が選ばれた理由は主にこの二点だが、半田崎市に関係した女性をコピーする事でシフト・ファイターとしての能力を強化出来るという事実もそれとなく利用しつつ、能動的かつ密やかに、半田崎市で『魔法少女捕縛計画』が行われる様に誘導して来たのだ。

 そして先日、半田崎市で22人目の女性をコピーした時点でわたしは『完成』したのだ。わたしの記憶の中の半田崎市がオリジナルのアイデンティティーを喰らい尽くし得る程に精巧な分身として完成していると確信するに至った。

 ようやくわたしはドッペルゲンガー足り得るのかもしれない。紆余曲折の果てにドッペルゲンガーとしての在り方を全うする、それはさながら、短いようでいて長い、青春による研鑽で自己の確立に至る少年、少女のようであると、わたしには思えるのだ。


「やっぱり、『造形師』さん達は既に半田崎市から逃げ出しているみたいだね」

 半田崎中央駅から少し外れた場所にある大型スーパーの駐車場に車を止めた『広報官(の分身)』は古めかしい装丁の本を閉じながら口にする。書物状の携帯魔法陣から魔犬との視覚共有の術式を発動させ、半田崎市内の潜伏先に居たはずの魔法使い達の様子を確認してもらっていたのだ。今の彼はわたしには嘘は吐けない、まず間違い無いだろう。……因みに、気絶した『広報官』の本体は車を発車する前に捨てて来た。提案したのは以外にも『広報官』からだった。「良いんですか?」と思わずわたしは訊いてしまった。いいよ、僕の身体で『あちら側』に僕の素性がバレちゃうと組織の方に申し訳が無いからね。後で魔犬に食べさせておこう。

「『造形師』さん達は有角魔犬を構築し次第『ヒュージ・ブレイン』構築の準備を始めると窺っていたのですが?」

「僕の仮面には脳波検知センサーが取り付けられていてバイタルを拾っているんだけど、僕の死を確認したとしても撤退判断が鮮やか過ぎる――」

 独り言のようにそこまで口にした『広報官』が不意にびくんと身体を震わせ、心なしか肩を落とした。

「『造形師』さん、入れ知恵されてたな~、これは」

「どういう事です?」

「『愛犬家』さんはヨミさんの裏切りを読んでたんだよ。それで僕のバイタルに異常が出た時点で即座に半田崎から逃げ出すように指示されていた」

「あ~」

 わたしが形だけ納得して見せると急に『広報官』はうなだれて、ハンドルに頭を預けて突っ伏した。

「完全にこれ僕、トカゲの尻尾切りじゃんかぁぁ!!」

「……あ~」

 今度は少しだけ情感と同情が籠るように、納得して見せた。

「あの、でも、考え過ぎではありませんか? わたしと違って、『広報官』さんは皆さんと軋轢が有るとは思えなかったのですが?」

「多分ね……。いや、違うんだ。『愛犬家』さんと、あと『調律師』さん達は、ヨミさんが何をしようとしているか見たいんだよ。それで君と相性の良い僕が選ばれた訳なんだ。『最初の人間』的所業と言い換えるべきかも知れないね、僕の命より知的好奇心が上回った訳。

 うわぁぁぁ、意外とショックだ…。下手すりゃ自分が死んだ事よりショックかも知れないコレ」

 と言ってはいるものの、何か緊張感を感じさせないショックの受け方に見えてしまう。余裕が有る振りをしているのだろうか? ……『広報官』をコピーした際、彼の魔法に関する知識や特性、そしてわたしの目的に役に立ちそうな知識を優先的に奪い照れる様に恣意的に記憶を取捨した。そして足りない部分はわたしの記憶で補って、『広報官』らしく振る舞えるように見せかけているのだ。今の彼の言動も、こういう時に彼ならどういうリアクションを取るだろうかという予測によって導き出されているものとも言える。半分は『広報官』本人だがもう半分はわたしが思い描いた紛い物。その事で何か感慨を抱くという訳では無いのだけれど、人間ならば何か思う所が有るのだろうなと、想像する事は出来る。人間の感情はわたしにとっては飽くまで『記憶』と『知識』でしかない。

 どうなだめるべきか悩みつつ、『命令』をして落ち着かせる必要性も考慮に入れ始めた頃に、『広報官』は急に静かになる。

「……どうする? 裏切りは多分バレているけど。ただ現状が絶好のチャンスである事も変わらないと思うよ?」

 上体を持ち上げながら思いの外冷静な口調で『広報官』はわたしに尋ねた。……オーバーなリアクションはある種精神安定のための物だったのかもしれない。

「え……、あ、はい。続けます。続行です」

 慌ててそう応えてわたしは車のドアを開けて外に出る。『広報官』もそれに続く。

 わたしは周囲を見渡す。

 無人の街の駐車場には夜の帳が降り始め、景色の輪郭があやふやになりつつあった。ヒトの灯りなどこの場所にはどこにも無い。あとはただ夜の闇に沈み、かつて都市の只中だったとは思えない程の満天の星灯りに照らされるのを待つだけだ。

 わたしは適度に広さのある、駐車場の一角に目星を付ける。

「早速、始めましょう」

 わたしは両掌を捧げる様に掲げながら宣言する。

「うい」

 『広報官』は気の抜けた声で返事する。

「『響け、造物の鐘ディンドン・ブラウニー』」

 夕闇に染み入る様に言葉は響く。

「『響け、造物の鐘ディンドン・ブラウニー』」

「『響け、造物の鐘ディンドン・ブラウニー』」

「『響け、造物の鐘ディンドン・ブラウニー』」

 矢継ぎ早に4回、能力を発動。掌の上に刹那、黒い魔素が弾け四つの黒い結晶体か現れた。

「おおお、賢者の石4個出ますか」

 『広報官』は茶化す様に驚いてみせる。

 そのままの態勢でわたしは、4つの結晶体を乗せた両掌を更に高く掲げ、思い浮かべる。この日の為に絶え間無く思い浮かべ続けてきたわたしの半身、或いは『本体』とも言えるかもしれない装置の姿を。

「『響け、造物の鐘ディンドン・ブラウニー』」

 5回目の能力発動。途端、掌の結晶体は砕け散り、破片から黒い魔素が爆裂する勢いで噴き出す。黒い魔素の煙は渦を巻きながら目の前で、わたし達より背の高い柱状の形を形成する。

 そして魔素の煙が舞い散った後、そこにはわたしの望んだ巨大な装置が鎮座していた。

 全長は3メートル強、全体は黒い金属のような質感、強固な土台から伸びた金属の4本の脚は斜めに傾く巨大な柱を空中で固定する。宙に浮いた巨大な柱の両端には金属の球体が取り付けられており、球体の全面にはいくつもの丸いレンズが取り付けられている。

「まさか……、プラネタリウム?」

 『広報官』は恐る恐る口にする。

「それを模したものです。『広報官』さん、『揺籃の鎧シェル・メイル』で強化していただけませんか?」

 わたしが『命令』すると『広報官』は素直に詠唱を開始、『揺籃の鎧シェル・メイル』を発動。自分の身体のそれと同じように、そのプラネタリウムに似た巨躯を持つ構築物に貝殻を貼り付けて行った。

「この廃墟の街にわたしの『記憶』の中の半田崎市を投影するための装置です」

 魔法を発動した後も釈然としない様子の『広報官』にわたしは説明する。

「わたしは、わたし自身のコピー能力に欠点があるのではないかと考えています。ただそれは、相手の姿を真似る能力が不完全というだけで相手の記憶と命を奪う能力は十全に機能していると感じられます。逆に言えば、ドッペルゲンガー本来の能力に頼らずに対象の完璧なコピーに変身する事が出来れば、完全に対象の全てを奪い殺し、ドッペルゲンガーとしての欲求を満たす事が出来ると考えられます。

 このプラネタリウムを模した装置は、わたしの集めた記憶を元にこの廃墟の半田崎市に、人々の記憶に残る、平和だった頃の半田崎市を投影するためのものです。プラネタリウムの天幕に星空を映し出す様に、この廃墟に張り付ける様に立体映像の街並みを映し出す事が出来ます。そして最後に、このプラネタリウムの投影機と同化する事でわたしは半田崎市のコピーとして完成します」

「はぁ~……。えーと、でもそれだと飽くまで上辺だけしかコピー出来てない気がするけど大丈夫なの?」

「わたしの捕食対象は『全人類の半田崎市に関する記憶』のみなので問題ありません。そもそも変身するための設計図が女性達の街に関する記憶な訳ですし。そこから『都市』に堆積した不活性の魔素に接続、わたしの魔素を一部『ヒュージ・ブレイン』化して集合的無意識から全人類の『半田崎市に関する記憶』と相対す、と、この辺りは皆さんが造った魔術構築式を丸写しさせていただいています」

「そっかぁ……、ドッペルゲンガー本来の性質を利用するから『記憶を破壊する』なんていう人間原理を否定する大規模術式も成立出来なく無いのか……。いやマジでゾッとする話だ。変な話だけど前以て死んでて良かったとすら思えるよ」

 『広報官』は何故か褒める様なニュアンスでそんな事を言うのでわたしは反射的にくすぐったい様に身体を揺らし、思わずはにかむような仕草をしてしまった。

「ただ水を差すような事を言っちゃうかも知れないんだけど、逆にその人間の『完全なコピー』に変身するための道具を『響け、造物の鐘ディンドン・ブラウニー』で造ればいいっていう話にはならないの? こんな大掛かりな事をする必要も無い」

「ドッペルゲンガーとしての結末を迎えたいという欲求を認識した段階で、それは既に不可能だとわたしには思えました」

「どうして?」

「わたしの記憶の蓄積量とシフト・ファイターとしての魔素収束能力が肥大化し過ぎていて最早一人の人間を完全にコピー出来たとしても蓄積したエネルギーを使い切る事が出来ない可能性が有ります。巨大になり過ぎた記憶量とシフト・ファイターとしてのポテンシャルを完全に消滅させるにはわたし自身を全て使い切ってようやく消化出来る程の実存、都市が都市たり得るための認識、都市の思い出、記憶、記録、かつてそこに都市が有ったはずだとする認識に至る為の理解、要するに半田崎市が存在していた痕跡、ある種の『命』を奪い取る事でようやく成し得る、というのがわたしの結論です」

「半田崎市の存在とヒト一人の命、どっちの方がより重いかは、僕には判断しかねる所ではあるね」

「少なくともサイズはこの街の方が大きいしょ?」

 わたしは昏い街並みを見渡してそう言う。

「平和だった時代の思い出が詰まったこの街が、いつの日か帰り着く時を切望されるこの街が、誰の記憶にも残らないただの廃墟に変わるんです」

「……命とは別の、人間にとって大事なものを破壊しに掛かっているんだな」

「まぁ、わたし達は人間ではありませんし」

 わたしは貝殻の張り付いたプラネタリウムに手を添える。

「では、始めましょう」

 プラネタリウムの頭部とも言える、空に向かって首をもたげた球体に張り付いたレンズが輝きを放ち始める。放たれた光は夕闇の半田崎市を走り、照らされた道路を、建物を、遠くの山地(の景色)を真昼の明るさに塗り替えた。『広報官』は小さく悲鳴を上げて驚いた。



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