第8話 きらり、と

 電車で40分ほどの場所にある高級住宅街に、春子の実家がある。中学二年生の頃に一度だけ遊びに行ったことがあるけれど、それっきり。あのときは、人様の家にお邪魔するということ自体に緊張してしまって、春子とどうやって遊んだか、なんの話をしたのか、楽しかったのか、喧嘩をしなかったのか、何にも覚えていない。唯一覚えているのは、春子のお母さんは春子に似ているな、と感じたことくらい。




 それはそれとして、今、結構緊張している。今や別に、他人の家にお邪魔することくらいではビビったりすることはなくなったけれど、今回の場合事情が事情だ。


 春子は、自分の昔使っていた部屋に遺書を置いてきている。


 もしも、春子の家族が彼女の部屋に入ることがあったとして、その遺書を見つけていたとしたら、今頃大騒ぎだ。場合によっては警察に連絡しているかもしれないし、そうしたら春子は?


「じゃ、この店で待ってて」

「……あ、はい」

「ごめん、家にあげようかと思ったんだけど……今、ミウが私の家に来たら、ママもびっくりだよ」

「確かにね、お気になさらず。ってか、上げてもらおうとか思ってないし! 」


 中学卒業後、春子と遊ぶことはほとんどなくなっていた。そんな私が、今更春子の家、それも実家にお邪魔する理由が立たない……と冷静に考えれば分かる。しかし内心、普通に上がり込む気でいた。ちゃんとした格好をしているのも、それでだ。間抜けじゃん、私。



 春子の実家の近所の、こぢんまりとしたカフェで、私はミルクティーを頼んだ。私は、コーヒーより紅茶派。理由は単純で、「コーヒーがぶ飲みしてる女の子よりも、甘い紅茶が好きな女の子の方がモテそう」という高校時代の同級生の言葉を真に受けたから。そうやって、紅茶を飲むようにしているうちに、本当に紅茶が好きになった。結果オーライ、好きなものを飲んでいるのだからセーフ。私はあざとい女なんかじゃない。


 スマホのバイブレーションが鳴る。春子からのメッセージだろうか、と思ったが、よくよく考えてみると、彼女とまだ連絡先を交換していない。なんなら、スマホなんて解約しているのではないかと思う。――死ぬつもりだったんだから。


 スマホの通知を確認する。


『Tomoki Okada : やあやあ! 今日はいい天気ね、寒いけどね』


 あ、いつものやつが来た。私は少し嬉しくなる。中身のないメッセージ。これは、彼氏の智輝が私に会いたいと思ったときに送ってくるもの。


『はらだ みう : そうね、今外にいるけどかなり寒い』

『風邪とか引いてない? 』

『引いてないけど、朝はちょっと頭痛がした』

『外に出て大丈夫なの……?』


 ああ、うっかり要らないことを書いてしまった。智輝はまあまあ心配性だから、ちょっとやそっとの不調でも、絶対に無理をさせない。これでは、今週会ってもらえないかもしれない。


『大丈夫、すっごい変な時間に起きたんだよね、朝4時とか。そのせい』

『それは人間の起きる時間じゃないね』


 なんていう返しだ。独特すぎるだろ。


『そのあといっぱい寝たから、今はけろっとしてる』


 適当なフォローを入れる。


『本当に? じゃあ、お言葉に甘えるんだけど、明日は暇ですか……』


 暇に決まってまあああす! 心の中で叫び、踊る。暇に決まってるの舞。会ってくれるんか? の舞。これ、実は毎週やってる。


『午後なら大丈夫』

『じゃあ、大岡山駅に15時とか、どう?』

『了解! 』


 今週は、智輝の家の近くでデートのようである。


 こうやっていつも、スマホでメッセージを送るとき、私は心の声を10分の1くらいに薄めてアウトプットする。この分量だと、どうやら智輝的には少し物足りなさを感じるものの、「美雨が冷たい人じゃないことは普通に分かるし、まだまだこれからどんどん仲良くなれるね」とのコメントを頂いているので、まあ、それで良さそう。


『じゃあ、よろしく。そして今週の実家ポメ』


 そして、目をキラキラさせたポメラニアンの写真が送られてくる。智輝は実家でポメラニアンを飼っている。名前は小太郎。私が犬好きなのを知って、毎週写真を送ってくれる。『ぎゃんかわ』と返事をして、メッセージのやりとりを終えた。



「お待たせ。ママ、例の手紙まだ見てなかった!」

「助かったね」


 春子が戻ってきて、我に返る。そうだ、なかなか重要な出来事が起こっているにもかかわらず、私ときたら彼氏と――



 ん?


 やべ、明日の午後、春子どうしよう、と私は内心頭を抱えるのだった。

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