第3話 激情家

 そう、春子は激情家だった。それは相手が誰であってもそうで、だからこそ彼女には味方も多かったが、それなりに敵もいた。一応、彼女の「味方」として振る舞うことの多かった私に対しても、それなりに負の感情がぶちまけられることはあったから、本当に見境なかったのではないかと思う。


 私が春子のことを「こいつ、やべえ」と初めて感じたエピソードがある。それは、決して私に向けられた敵意ではなかった――いや、むしろ私のために春子がキレ散らかしたエピソードなのだが、それでもなお、「こいつはやべえ」と感じてしまったのだ。


 ※ ※ ※


 あの時、私たちは中学一年生だった。春子と私は隣のクラス、しかし同じバドミントン部仲間の同級生だった。厳しい朝練、昼練、夜練。厳しい、と言っても一年生は上級生の練習の準備、走り込み、階段トレーニングの反復。特に意味はない練習時間も多かった。「バド部ってね、筋トレ部なんだよ」と揶揄する同級生も居たくらい、弱小なのに厳しいことで有名なブラック部活だった。


 先輩方の練習試合の観戦、というミッションもあった。練習試合を行う先輩方に向かって「先輩ナイスでーす」を繰り返す、というしょーもないお仕事。普段なら、お得意の笑顔と愛想でしれっと乗り切っていた。


 ただその日、私は少々貧血ぎみで体調が悪かったのだ。具合が悪いなら、部活を休めばいい。今ならそう思えるけれど、当時の私は欠席連絡を入れるくらいなら、死んでも部活に行く、というスタンスでいた。それは過去に、春子が家庭の用事を理由に部活を欠席した際に、三年生の部員が散々悪口を言っていたのを聞いてしまったから、というのもあったのだが。


 かくして私は無理に部活に出た訳なのだけれども、当然応援に身は入らなかったし、暗い顔で俯き、体育館の端に立っていた。


「ねえ、ミウ。先輩にバレたら怒られるよ」


 春子も最初はそう言っていたものの、次第に私の異変に気づいたようで、大丈夫なのか、保健室に連れていこうか、とややしつこく感じるくらいに訊いてくるのだった(そういう優しさは、誰よりも強く持っていた。――それが、彼女の愛されポイントのひとつなのかもしれない)。


 しかし、不幸というのは立て続けに起こるもので、その日、一番気が短く、後輩イビりで有名な先輩の調子が悪く、練習試合に負けてしまったのだった。


「お前らの応援がテキトーだから! 特にそこ、ずっとこっちのコートで私語してただろ! 気になって仕方ないんだよ」


 そう言って、そのパワハラ先輩は私の髪の毛を引っ張った。気分は悪いわ、頭は痛いわで、泣きたい気分。


 そのとき。


「いい加減にしろ、この下手くそが!」


 一瞬、誰だよと思った。しかし、その声は明らかに、当時部活で一番仲が良かった同級生――春子によるものであった。


「自分のミスを、その辺の後輩に擦り付けないでくださいます? これだから下手くそは。サーブミス4回は、もう言い訳できないですよ。私だったら、あの先輩なんてどんなアウェーでも勝てます」


 勢いに任せてありとあらゆる暴言を吐いたつもりなのだろうが、残念なことに春子の言葉はパワハラ先輩だけでなく、その相手方の先輩にもぶっ刺さるわけで。


「ふざけんなよ、こいつ」


 私の頭からあっさりと手が離され、パワハラ先輩は春子の胸ぐらを掴むし、相手方の先輩は泣き出すし、春子は応戦して胸ぐらを掴み返す。


 その後のことは、実は覚えていない。――というのもその直後に私は意識を失い、保健室に運ばれたから。


「でもさ、あそこで原田ちゃんが倒れなかったら、永野さんと先輩、暴力騒動で退部なり停学なり退学なり、ヤバイことになってただろうね」


 当時、同じくバド部同期だった三島さんがそう言っていた。春子が私の方に気をとられたために、殴り合いの喧嘩にならなかったようなものだ、と。


「それにしても原田ちゃん、やっぱ永野さんに愛されてるよねー」


 三島さんはそう言って笑っていた。――確かに、私は春子に感謝しなければならないのかもしれない。


 しかし、倒れた弾みにぶつけた頭のこぶに触れながら、私は「あいつやべえやつだわ」と呟いたのだった。確かに、先輩の八つ当たりはあまりに理不尽だ。しかし、理不尽に対して真っ向から正論や、正論すら越えた暴言を浴びせたって何も生まないことくらい小学校までで学んでこいよ、と思ってしまったのだ。


 そう、私は激情家は苦手なのだ。


 春子は時々、感情に身を任せてとんでもない行動に出る。そして、後悔する。――バド部騒動の後、彼女は私と一緒に部活を辞めた訳だが、その後しばらくの間、春子はバドミントンができなくなってしまったことを嘆いていた。なんなら、そのことについて度々私を責めることさえした。


「そんなに言うなら、私のことなんて放っておけば良かったのに」


 春子の恨み節に耐えきれなくなり、一度、そうこぼした。そのときに、ビンタを食らったのだ。


「ハル、なんか間違ったことした? ハルは、ミウのために」


 そして、私はその場にあった水筒からコップにご丁寧に麦茶を注ぎ、捲し立てる彼女に投げつけたのだ。


「違うよ、あんたのそれは、あんたのためだよ。――理不尽に耐えられなかった、ハルが悪い」


 実はそのとき初めて、春子が自分のことを「ハル」と言うのを聞いた。それ以来、春子は私の前で、自分のことを「ハル」という。


「……もう知らない!」


 びしょ濡れのまま、春子は放課後の教室を立ち去った訳なのだが、その後私たちはどうやって仲直りしたのか、ということまでは記憶にない。ただ、はっきりと覚えているのは「やっぱりああいうやつは苦手だ」と感じたことだけだった。


 ※ ※ ※


 感情的な彼女は、もしかしたら感情的に死のうとしたのかもしれない。何があったかは知らない。でも、それが万が一、一時の感情によるものなのだとしたら、私はそれを止めなければいけない気がしたのだった。――その証拠に、彼女は「死ぬのが怖い」と言っていた。


「……とりあえず、私にしばらくでいい、時間を預けてみない? なるべく、どうにかする。どうせ捨てる予定の時間なら」

「また死ぬ勇気が出たら、絶対に死ぬから」

「出さなくていいから、めんどくさい」

「……殴りたい」


 そんなストレートに悪意をぶつけなくても、と笑ってしまった。


「まあ、なんか知らんけどしばらくうちに泊まっていけば? タダ飯食わせる気はあまりなくて、それなりに家事とかしてもらえたら嬉しいなー、とは思うけれど」


 そうつぶやくと、彼女はすくっと立ち上がり「キッチン使ってもいい?」と訊くのだった。本当に――


 本当に、彼女はその場の感情で生きている。


 激情家は、苦手だ。

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