練習だからノーカウント

「大丈夫。キスの練習じゃなくて、キスをガマンする練習だから」


 そういってマイとの距離を縮めていく。

 幼い顔が徐々に赤くなっていった。

 逃れるように後ろへと下がるが、そんなに広い部屋じゃない。

 すぐに壁に背をつけてしまった。


「お、お兄ちゃん、なんか怖いんだけど……」


「そうか? じゃあこれでどうだ」


 ニコッ。


「きもい」


「そんな本当のこというなよ……傷つくんだぞ……」


「だ、だいたい、そういうのって好きな人とするからガマンできなくなるものでしょ」


「それはそうだろうな」


「だったら、わたし相手だと練習にならないと思うんだけど。それとも、もしかしてお兄ちゃんはわたしのことが、その……す、好きなの?」


「もちろん好きだぞ」


「……ふぇっ!?」


 同じ家族なんだからな。

 父親がクソ過ぎるだけで、家族のことは普通に好きに決まってるだろう。

 むしろ親父がクソなぶん、母さんや妹に対する印象は上がってるといえる。


 なのだが、マイはずいぶんと驚いたようだった。


「で、でも、だって、わたしたちは兄妹なんだよ……? なのにそんなの、イケナイことだよ……」


 なんだかずいぶんとモジモジしている。

 もしかして俺のこと嫌いなのか?

 それはちょっとショックなんだが……。


「マイは俺のことどう思ってるんだ?」


「そんなの、お兄ちゃんは、お兄ちゃんだけど……」


「好きじゃないのか?」


「……! す、好きか嫌いかでいったら、好きになると思うけど……」


「じゃあ平気だろ」


「平気じゃないよ! お兄ちゃんのえっち! へんたい!」


 ものすごく怒られてしまった。

 まあ思春期の中学生からしたら当然の反応かもしれない。


 けど、こっちもなじみとの結婚がかかってるんだ。

 ここで引き下がるわけにはいかない。


 マイの性格は俺もよく知っている。

 じっと目を見つめると、耐えきれなくなったのか横へと逸らした。


「……そもそも、お兄ちゃんはわたしよりもなじみさんの方が好きなんでしょ……。だったら、練習にならないと思うんだけど……」


 態度がちょっとやわらかくなった。

 遠回しな否定は、肯定に傾きつつあることの証だ。


 マイは押しに弱いんだよな。

 俺の頼みは聞きたくないといいながらも、なんだかんだでいつも最後は聞いてくれる。


 ……チョロすぎて将来がちょっと不安になるが、そのことはまた後で考えればいいだろう。

 今はもっと大事なことがある。


「練習にはならないかもしれないが、とりあえず一回やってみないとわからないだろ」


「えっ、一回やってみるって、まさか……」


 もう一歩近づく。

 マイの後ろにはもう逃げ道がない。

 俺が進んだ分だけ、二人の距離が近づいていく。


「わ、わたしたち兄妹なんだから、ダメ、だよ……?」


 そういいながらも、赤くなった顔でチラチラとこっちをうかがってくる。

 なんだかすでにまんざらでもなさそうだ。


 マイの性格は俺もよーく知っている。

 押しに弱くて、そして、障害が多い恋ほど燃える。

 先生と生徒とか、会社の上司と部下とか、兄と妹とか。

 それが俺の妹なんだ。


 きっと抑圧された家庭で育ったから、歪んだ性癖を持ってしまったんだろうな。つまりクソ親父が悪い。


 ……自分の妹ながら将来がかなり心配になるが、そのことはあとで家族会議でもすればいいだろう。


 やがて耐えきれなくなったのか、マイが逃げるように顔をうつむかせた。

 ただでさえ背が低いのに、更にうつむいてしまうと後頭部しか見えなくなる。

 これじゃあキスの練習ができないじゃないか。


 手を顎の下に当てると、クイッと持ち上げた。


「あっ……」


 吐息のような声が漏れる。

 床にひざを着いて目線を合わせると、マイの瞳と正面から見つめ合った。


 こうしてみると、自分の妹ながらかなりかわいいと思う。

 俺は遺憾ながら親父似だが、マイは母さん似だ。

 おかげで将来美人になりそうな顔立ちをしていた。兄としてのひいき目を抜いてもかなりかわいいんじゃないかと思う。

 もっとも、今はトマトよりも真っ赤に熟れていたが。


「ね、ねえ、練習、なんだよね……? ほんとうにするわけじゃないよね……?」


 声がかすかに震えている。

 緊張と、怯えと、かすかな期待に。

 否定する言葉とは真逆に、揺れる瞳はいつしか力を失い、とろんとした表情になって俺を見つめていた。


 まるで本当にキスされるのを待っているように見える。

 もちろんこれは練習だ。


 だからこそ、本番のつもりで声をかける。


「本当にするといったら、マイはどうする?」


「ふえぇっ!?」


 マイの顔が更に真っ赤になる。


「だ、ダメだよ……っ! だって、兄妹なんだし、お兄ちゃんはなじみさんが好きなんだし、わたしはまだ中学生だし、ダメな理由はいっぱいあるんだから……だから……」


 何度も否定する言葉を繰り返すけど、最後の一言がいえないままうつむいてしまう。

 やがて意を決したように顔を上げると、熱く火照った瞳で俺を見上げてきた。



「……練習なら、ノーカウントだよね……?」



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