大切な話があるんだ

「俺はなじみと結婚する」


 俺が宣言すると、親父の手が止まった。


 仕事の鬼が仕事の手を止めるなんてよほどのことだ。

 それくらい驚いたんだろう。

 ちょっとだけ気分が晴れた。


「許すと思っているのか」


「許さなければ家を出るだけだ」


 冷徹な視線を、俺は一歩も引くこともなく真正面からにらみ返した。

 頑固な親父が自分の意見を覆すことはない。

 だが見栄が大事な親父にとって、長男の俺が家出するのも許されない。


 親父は頑固だが理屈屋でもあるので、損得勘定を目の前にちらつかせれば考えを改めさせることはできる。

 俺を頭ごなしに否定すればお互い損をするだけだ、という意志を見せつければ、かならず妥協案を出してくるだろう。


 しばらく黙考していた親父は、やがてわずかに口元をゆるめた。

 こんな表情をするのは珍しい。

 なにか妙案を思いついたんだろう。


「向こうから嫁入りに来るというのなら認めよう」


「なんだそりゃ。どういう意味だ」


「長澤家の長女がうちの家系に入るということだ」


 なじみも向こうの長女だ。

 それがうちに嫁入りしてくるということは、向こうの家をこっちに吸収するということになる。

 憎き敵を自分のものにするチャンスだと思っているんだろうか。


 ……いや。


「てめえ……。最初からこれが狙いだったな!」


 親父は俺が家を嫌っていることくらい知っているはずだ。

 なじみとの交際を禁止しても無駄だとわかっていたはず。


 おそらく最初からこの結論持ってくることが狙いだったんだ。


 煮えたぎるような怒りで親父に殴りかかろうとしたが、振り上げた手の中でその怒りを握りつぶした。


 俺の想いを自分の利益に利用するのは許せないが、俺もなじみも家には興味ない。

 争うだけの家柄なんてなくなった方がいいとさえ思っているほどだ。

 どっちがどっちの家に入るかなんて、死ぬほどどうでもいい。

 そんなことよりももっと大事なことがある。


「……わかった。その約束忘れるなよ」


 人の気持ちを道具としか思っていないのは許せないが、なじみとの結婚を認めさせたんだ。

 今はそれでいい。


「約束は守る。こちらも全力でバックアップしよう。必要なものがあればなんでもいうといい」


「親父の手なんか借りねえよ。これは俺の問題だ。俺の力だけでいい」


 そう言い捨てると、俺はリビングを出て自分の部屋に向かった。

 扉を出ると、落ち着いた顔の母親と、心配そうな妹が俺を待ち構えていた。


「お兄ちゃん……。なにがあったの?」


 俺と親父のケンカはいつものことだが、いつもとは違う雰囲気を感じ取ったんだろう。

 不安そうな表情の妹の頭を軽くなでてやる。


「大丈夫だよ。心配いらない」


「でも……。お兄ちゃん、なんかちょっと嬉しそうっていうか、なにかをたくらんでる顔してるし……」


 さすが鋭いな。


「ああ。実はなじみと結婚することにしたんだ」


「あ、そうなんだ。やっとなんだね……え? 結婚!? ええええっ!?」


「あらあら。おめでとうコウ」


「ありがとう母さん」


「いやいやいや!? たしかにおめでとうだけど! でもまだ付き合ってもいなかったんでしょ! お兄ちゃんもなじみさんも仲いいくせに鈍感っていうか、負けず嫌いなくせに大事なところでヘタレだからくっつくのはまだまだ全然先だと思ってたのに……」


「おい、本人が目の前にいるんだぞ。ヘタレとか本当のこというなよ……」


「それがなんでいきなり結婚なんて……」


「まあ色々あってな」


 主に親父のせいだが。


 だがそのおかげで俺は自分の気持ちに気がつけたんだ。

 そういう意味では、背中を押してくれた恩ぐらいは感じてもいいのかもしれないな。

 好感度が-100から-99.9999くらいには上ったかもしれない。


 母さんはリビングに向かうと、親父となにかを話しはじめた。

 親父のことだから余計な小細工をしてくる可能性はあったけど、母さんが協力してくれるなら大丈夫だろう。

 余計なことは事前に止めてくれるはずだ。


 俺は自分の部屋に戻ると、スマホを取り出した。

 親父とは約束した。

 あとはなじみを俺の家に嫁入りに来てくれるよう説得しないといけない。


 それが一番難関だ、と親父は思ってたんだろう。


 なにか色々と企んでたみたいだけど、そんなのは必要ない。

 俺となじみの仲を甘くみすぎだ。

 人の気持ちが分からない冷酷野郎には難しく感じるのかもしれないが、実はこんなことはとても簡単なことなんだ。


 これまでの俺にはそのきっかけがなかっただけ。

 俺はスマホを手に持つと、少しだけ緊張する手でなじみ当てになじみ宛てにメッセージを送った。


『大切な話がある。明日の放課後、屋上に来てくれないか』

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