僕は車の運転席にいる。何故でしょう? 何故か、それは僕にも分からない。おそらく僕が車の運転が致命的に下手だということを知らないのだろう。まあ、それはそれで特段困ることはないのだが、いや、たぶんそれで今困っているのだろうが……まぁいい。取り敢えず僕はやや緊張する手でキーを穴にいれる。

 あれ? 入らない。手が少し震えてしまっているのか。無理やりキーをねじ込んで回し、クラッチとブレーキを踏んでエンジンをかける。こんな非常事態で、僕は初めて人を殺すという経験をしたにもかかわらず、この公用車のセダン車のエンジンはすごぶる快調で、見かけのわりには安っぽいエンジン音を立てている。見掛け倒しの『ポポポポ』という軽い、聴き慣れた音が響く。僕はギアを1速入れ、クラッチをゆっくり上げながらアクセルを踏んだ。

 ガクンと車が大きく揺れてエンストを起こした。一旦ニュートラルに戻してからエンジンかけ直してまた半クラッチからゆっくり発進する。ああ、またうまくいかない。焦っているのだろうか。数回同じことを繰り返してようやく車はまともに動き出した。


 上へと上がってみると、外にはテロリストだらけ……という訳でもなく、むしろ人の気配がしない。ここにテロリスト、おそらくレスプブリカの連中であろうが、彼らの限界というのが見て取れる。取り敢えず門の前に反乱分子の連中がバリケードを築いていたので、それは無理やり突破しておいた。それはそれはちゃちなバリケードで有刺鉄線の一つも張り巡らされていなかった。全く適当というか、まあ、こうなったのはたぶん僕と先輩と、リュシーのせいだろうが。ああ、この反乱は王都だけの事件なのだらうか。ブレスティアは大丈夫なのだろうか。リュシーや少佐は無事だろうか。少し落ち着いたら手紙でも送ってこちらの無事を伝えてみよう。



 王都の市街地はもはや異様な光景であった。所々煙が上がっていて、その煙の方からは銃声が聞こえて来る。銃撃戦に煙はつきものなのだろうか。ただ僕はてっきり人々がこの惨禍から逃げ惑っているのではないかと思っていたが、意外とそうでもなくむしろこの惨禍から目を背けてやり過ごすために家の中に引きこもってしまっているようだ。道端ではトラックやタクシーが燃えているなんて当たり前で街灯が傾いてアパルトマンの壁にもたれかかったりしているにもかかわらず。一方で、市街地にはすでに歩兵部隊が展開していて、小銃、十人に数人くらいは機関銃を持った歩兵部隊の兵士たちが何やら地図を見ながら打ち合わせをしている。負傷した兵士を乗せた大型トラックが僕たちの車とすれ違った。

「ところでさっきから後ろのトランクに乗せた楽器ケースのようなものから音が聞こえて来るのですが一体なんの音でしょう?」

 いよいよ僕は気になって聞いてしまった。先程部屋を出る時、ポレール王女はアリアンヌに『あれを持って出なさい』と指示をしていた。本来ならば男である僕が持つべきなのだろうが、ポレール王女の安全確保という最優先事項がある以上、アリアンヌがそれを持つのに罪悪感を感じながら王宮の中を移動していたのだ。特段生き物などが入っているわけでもない。きっと中がスカスカなのだろう。

「ん? ああ、あのケースね。あれは私のライフルを保管するケースです」

「は?」

 思わず車をエンストさせてしまった。僕何かした? 普通こんなとこでエンストしないよね。すぐにエンジンをかけ直して直してまた走らせる。

「まだお分かりにならなくて? アルノース。だから、私が普段銃猟で使っているライフルをしまうケースです。ほかにも弾とあといざというときに換金できるように貴金属や宝石類も少し入れてあります。いざというときにはあれを持ち出せば自分の身は守れるのですよ?」

 はぁ、なんというか王女殿下はなかなかおてんばというか、自由というか、型にはまらないお方のようだ。

「まぁ、どうせ貴方は私のことを『おてんぼ娘』とか『自由人』としか思っていないのでしょうけど、私としては結構考えた結果こういう風にしているのですよ? そのうちこの国で反乱の一つや二つ起きるだろうなって、ほら、街の方々はペテン師の甘ぁいささやきに騙されやすいですから。全然自分で考えることなんてしなくって?」

 若しくは相当頭が良いのか。どちらだろうか。

「ああ、アルノース、ちょっと寄って欲しい場所があるのだけど」

 突然そんなことを言い出したのはフィガロ大尉。一体この人は気が狂ったのだろうか。まずは王女殿下を王都から脱出させるのが最優先事項だろうに。

「なあに、むしろ戦力を増強させるのですよ、貴方のよく知ってるお方でね」

 まさか……

「アルノース、そこを右に曲がって」

 僕は少し祈るようにハンドルを切った。中央線はもちろん超えてしまった。


 するとそこには敵に対して何の警戒も見せず、ただ威圧するような表情で先輩が立っていた。

 僕が車を道の端に寄せて、先輩はドアを開けて乗り込んでくる。

「申し訳ありません王女殿下少し窮屈になってしまって」

「あら、ジャンヌ様、命は何物にも替えがたいのですよ?」

「そう言っていただけると多少は心が落ち着くのですが」

 先輩はすでにポレール王女とは知り合いなのか普通に馴染んだ様子である。一方、僕は先輩がこの場にいるのが驚きで仕方なかった。ここはクラーナ区ではないので、先輩はここまでわざわざ来たということになる。

「先輩は? どうしてここに?」

「ふふ? そういう指示があるのよ実は。シャル君は未だ隊長に見せてもらっていなかったでしょうから知らないかもしれないけど、ポレール王女には私がつくことになっていてね? ほら、一応私も『二つ名持ち』だから、あれ? ところで隊長は?」

「おい、ジャンヌ、

 フィガロ大尉が窘めるように言う。僕への配慮なのだろうか。

「あそ。まぁ、あの人のことだしね」

 口調はなんだか素っ気ないが、先輩も察してくれたようである。

「私たちは私たちができることをやるだけだ。たとえ、途中でどんなことが起こっても私たちは決して立ち止まってはいけないんだ。それが私たちのプロ意識なんだよ。ほら、アルノース、早く車を出しなさい」

 僕は王都というか……王宮に後ろ髪が引かれる思いであったが、唇を噛みしめながら車を出し、王都から北の方へと向かう街道を目指した。

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