空気が読めない人というのが世の中にはいる。具体的な例と言われてパッと思いつくのは結婚式の最中に突然葬送曲を歌い出すとか? ここまで来ると最早精神に異常を来しているとしか思えないが、とにかく、そういう人が世の中にはいる。

 厳戒態勢の中行われるパレード、国民の祝賀ムード、警備をする憲兵と警察、このような『場』において堂々とステレオタイプな強盗をする輩というのはまさしくこの空気の読めない人だと僕は思う。

「はい……憲兵です。お兄さん、物騒な物は下ろしてください。今日は何の日かわかっていますか?」

 なんだか似たようなシチュエーションを前に経験したような……あの時と違うのは、あの時は既に列車がジャックされるのを知っていたことと、今回強盗犯が振り回しているのはパンを切るナイフで決して拳銃などではないこと、被っているのは何故かストッキング。ここまで来ると最早変態か何かと思ってしまう。

 一体全体どうしてストッキングを被るという発想が? それが覆面のかわりになると?

「……ヤベ」

 区憲兵ラ=ブランシュがやってきたことを察知した強盗犯は近くにいたか弱そうな若い女性を寄せて首元にそのナイフを当てた。ただ、そのナイフが……いまいちしまらない。

 さらに、なんとなく何人も殺しているような、殺気を漂わせているような気がするんだよねその女性。か弱そうなのは見た目だけ。女性の本質は見えないところに絶対ある。

「おっと強盗さん、それはいけませんね。男として最悪ですよ? 特に女性を人質にとるのは」

「うっさい! も、も、元はといえば、お、お前が、憲兵がすぐにやってくるから悪いんだ。お前がこ、来なければお、俺は無事にお金を頂戴できたはずなんだ」

 なんとまぁ、わがままな。世の中じゃそんなわがまま通用しないことを知らないのか。

「わがままも良くないですよ? 今だったら強盗未遂で済みます。公務執行妨害は見逃してあげます。あ、警告ではないですけどどれだけ強盗さんがナイフで暴れようと僕は強盗さんを2秒で倒すことができます。2秒もかからないかもしれませんが」

「お、お前のような区憲兵ラ=ブランシュごときにそんなことできるわけないだろう! お、俺は昔警察の特別強襲隊にいたんだぞ! かの『閏年の乱』でも急進戦線と中央共和党の内紛の中で戦ったんだ!」

 『閏年の乱』か……20年ほど前に当時最大の革命勢力だった共和党が革命を起こしたが、幹部がただの『文化人』で政治のイロハすら理解せず、結局急進戦線と中央共和党に分かれて抗争を始めたという事件か……当時はマフィアすら巻き込まれるのを恐れて逃げ出したというから相当な、事実上の内戦だったそうな。乱自体は王国政府が結局両方を壊滅に追い込み『文化人』は表立って革命だの共和制だの言わなくなったのだが……

 僕から言わせればそんな武勇伝など何の役にも立たない。

 きっと彼は実戦で役に立つ程の魔法は使えないだろう。話にならない。

 もう、終わりにしよう。

 僕は杖を掲げる。杖に自分の魔力を通して魔法を発動させる準備をする。


 一瞬、僅かな冷気を感じた。

 拉致されていた女性が近くに陳列されていたバゲットを一本手に取って一瞬で凍らせた。

 そしてそのまま反対のてで強盗の女性にナイフを突きつける手を掴み、腕ごと凍らせた。

 強盗は未だ事態をよく飲み込めていないようだ。

 女性は強盗の腕の中から脱出し、凍らせたバゲットで強盗の腹を思い切り殴りつけた。

 ただでさえ硬いバゲットなのだ。凍らせたバゲットは最早鈍器。強盗はうずくまり、覆面のかわりであろうストッキングを外して嘔吐する。

 昼前に吐いてくれるなよ。しかもパン屋の中だぞここは。昼ご飯が食べれなくなる。

 女性がゆっくり口を開いた。

「あたしを人質にしようなんていい度胸してるわね。プロの強盗だったらあたしを避けるのよ? 本能的に、『こいつはヤバい、人質にしちゃいけない』って、それだけあんたは強盗として三流ということも証明されるのだけれど、取り敢えず、死ぬより痛い目にあってもらうということでいい? それならチャラにしてあげてもいいわ。ああ、あたしが満足した後であなたが生きていることは一切保証されないけどね」

「な、なんなんだ……お前」

 強盗がやっとのことで言葉を発する。

「あたしが誰かって? あんた興味ないんじゃないの? まぁ、教えてあげないけど。せいぜいあたしを愉しませなさい?」

 強盗の問いには答えずに女性はバゲットを大きく振りかぶる。

 そして聞こえてくる、重い音。骨が折れる音って聞いたことがないのだが、きっとこういう音なのだろうと思う。

 男はうずくまったままさらに血を吐く。

 口元は真っ赤に染まっている。


 あ、ヤバい。このままだと強盗さん死んじゃう。止めないと、死人に口はない。

「あのー、どうか私刑はやめていただけないでしょうか? この強盗は法で裁かなければいけないので」

 僕の言葉に女性は舌打ちをして僕を睨みつける。僕は一瞬身構える。この女性! ヤバい!

「ここはあんたに任せるわ。どきな。死ぬわよ」

 本能的に僕は女性に道を開ける。まるでこの女性が生物のヒエラルキーの頂点に立っているかのようだ!

 女性は僕が開けた道を堂々と歩いて行く。

 そして、どこかへと行ってしまった。気がついたら消えていたのだ。瞬間移動の魔法をきっと使ったのだろうが、瞬間移動の魔法って物凄く難易度が高く、大抵の魔法使いは扱えない(故に研究対象とならない)魔法だったはずだ。

 女性の雰囲気に圧倒され、女性の名前を聞き出しそびれたのがとても悔やまれる。下心とかではないからね? 普通に当事者の名前は聞かないとね? 

 僕は未だ地面にうずくまっている強盗に近づく。必死に呼吸をしている。僕は強盗に回復魔法をかける。まぁ、かけたところで強盗の怪我は治るわけでもないが。

 僕は先輩とブリジットさんを呼びにパン屋を出た。

 

 


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