マフラーはVSの絆

きりん後

ROUND1

 彼氏のヒロ君の為に、コタツでマフラーを編んでいる。傍から見たら微笑ましい光景なのかも知れないが、私の今の表情は険しいだろう。


 会う前日の夜にも関わらず、まだ作り途中なので間に合わないかも知れないと、戦々恐々としている。本来であればとっくに出来上がっている筈だが、そうならない原因がある。それはちゃぶ台を挟んだ向こう側で私の手編みマフラーを編んだ先から解いてゆくハゲジジイの存在だ。


 黙々と解いてゆくその男に対して、私は「やめて」とは言わない。何故なら私が高2の時の「ヨシコ、排水溝に陰毛溜まってたぞ?掃除しとけ?」発言からハゲジジイの存在を無視しているからだ。血縁上ではその男を「父親」と呼称するそうだが、私はこんな男を父親とは認めない。


 ハゲジジイはきっと私とヒロ君の交際を反対しているのだろう。それを口で言っても私が無視し続けるので、遂にこのような暴挙に出たのだ。その根性にも腹が立つ。


 そもそも大学生の娘の恋愛に反対するのもどうかしていると思う。ママを出て行ってしまったので「俺が守らなければ」とハゲジジイが心配になるのも分かるが、そろそろ大手を振って「抱かれて来い!」と言う気概を見せてくれても良いのではないか。まあ、そんな男気のある父親(しまった。父親と言ってしまった)だったら、無視もしないが。


 そんなわけで私はハゲジジイの解くスピードよりも早くマフラーを編まなくてはいけない。マフラーの長さが変わらないところを見ると、今のところ私たちのスピードは拮抗しているようだ。そして今お互いに恐らく限界に近い速度でマフラーを創造し破壊している。それはハゲジジイが解き始めた時、私が「このままではいけない」と編むスピードを上げ、それに合わせてハゲジジイもスピードを上げ、それに合わせて・・・という風に相乗効果で上がっていったスピードが遂に頭打ちとなったからだ。


 私は手を動かしながら視線を自分の足元に移して、「マズい」と焦っていた。攻防は拮抗しているものの、窮地に立たされているのは私の方だ。何故ならもう毛糸玉が痩せ細っているからだ。既に、巻き取られてゆく糸の動きに耐え切れなくなった芯が止まる直前のコマのようにぐらぐらと揺れている。このままではハゲジジイに負けてしまう。


 そこで私の講じた策は、新しい糸を加えることだった。少しハゲジジイに遅れを取るかも知れないが、今編んでいる糸に新しい糸を結び付ければまだ負けることはない。しかし問題がある。それは今使っている毛糸玉が最後の一つだということだ。


 私はハゲジジイの手からちゃぶ台の下に垂れている解いた後のマフラーを見た。あれを使うしかない。一瞬でハゲジジイのあの糸をこちらに手繰り寄せ、最後の毛糸玉の切れ端に結び付けるしかない。


 問題はそのタイミングだ。最もロスを少なくする為には毛糸玉が切れて端が地面から飛び立つ瞬間だ。その刹那にハゲジジイの糸を取り、空中を漂う糸の先に結び付ける。それしかない。


 私は作戦を相手に悟られてはいけないと、自分の足元に視線を向けずに、最後に見た毛糸玉のサイズと手元で編み込まれてゆくマフラーから、実行すべきタイミングまでの残り時間を算出し、頭の中で秒数を数え始めた。


 31秒、30秒、29秒、28秒・・・。


 頭の中で毛糸玉が回る。思惑が見抜かれていないかとマフラーの向こう側に焦点を合わせると、ハゲジジイの目は自分の手元に向いており、気付かれている様子はない。


 ・・・25秒、24秒、23秒、22秒・・・。


 口が乾いて来たが、舌で唇を濡らすことはせずに耐えた。気配を出さず慎重に一歩ずつ獲物に近付かなくてはならない。一秒毎に意識を研磨してゆき、「ここ」というタイミングに寸分違わずに動かなくてはならない。


 脳内の毛糸玉はほとんど浮いているようなフラつき方をしている。しかし私はカウントを急かなかった。


 ・・・14秒、13秒、12秒、11秒・・・。


 絶対に焦ってはならない。再び視線を相手に向けると、禿頭にまで汗をかきながら、ハゲジジイは集中している。そして疲れが見え始めている。これは大きなチャンスだ。ここで糸を回収できれば体力差によって先に根を上げるのはハゲジジイの方だ。


 いけない。今はただカウントダウンに集中するのだ。動きのシミュレーションはできている。右手の編み棒をマフラーから抜いて空中に高く投げ、脇を開き、肘を伸ばし、手首を返しながら相手の糸を回収し、その勢いのまま床から離れた糸の端を右手と口で結び、落ちて来た編み棒をキャッチするという最速での方法は出来上がっている。成功か否かは「タイミング」。この一点に尽きる。


 ・・・7秒、6秒、ハゲジジイの様子は変わらない。5秒、4秒、口の渇きが一層酷くなっているが、喉仏を上下させてはいけない。3秒、垂れた汗も拭ってはいけない。2秒、頭の中の毛糸玉はあと少しで終わる。1秒、0、今だ!


 私は右手の編み棒を放り投げた。上空で回転する編み棒にハゲジジイ驚きの表情を向けたのが視界の端に見える。脇を開き、肘を伸ばし、手首を反す。ハゲジジイの糸に指がかかる。よし!


 私は自分の成功を確信した。が、そこで私の計画は中断された。回収しようとしたハゲジジイの糸が全く動かなかったからだ。しかもその糸は私の指に巻き付き絡まり、私の動きを封じている。


 垂れる糸の根本を見た時、その謎は解けた。ハゲジジイの糸は、手元からちゃぶ台の下にただ垂れているわけではなく、垂れた糸の先が、ハゲジジイの胡坐をかいた足先で固定されていたのである。それも「固定されていない」と私に思わせる為に、弛ませつつ張っていたのである。ハゲジジイは私の計画に気付いており、罠を張っていたのだ。


 ハゲジジイは私の指に絡ませた糸をグイと引いた。私は思わず体勢を崩し、前のめりに倒れた。ちゃぶ台に顎が当たって痛い。


「思い通りにならないのが人生だぞ、ヨシコ」


 視線を上げると、ハゲジジイはニヤけつつド級に太い眉毛を上下させながら言った。


「クソッ」


 私はちゃぶ台を左手で叩いた。まんまとハゲジジイの罠に嵌ってしまった。思えばハゲジジイの作業に集中しているという表情も演技だったのだ。私は間抜けにも奴の網の中に飛び込んで行ってしまったのだ。しかもこの罠、私の糸の回収を妨げるだけではなくマフラー作りの作業自体を封じている。


「悔しいなあ?ヨシコ。焦るなあ?ヨシコ」


 ハゲジジイはそう言いながら、あえてゆっくりとマフラーを解いている。私は応えなかったものの、事実胸中に嵐が吹き荒れていた。


 このままではマフラーを全て解かれてしまう。しかしこの体勢はマズい。何故なら指が絡まっている為、体を起こそと自由な左腕を支えにしようとしても、網を引かれれば重心がズレ、再びちゃぶ台の上に「ノサれて」しまう。よって自分の本拠地に戻れず、巻き返すことも不可能だ。


 悔し紛れに私はハゲジジイの糸を引っ張った。しかしそれに合わせてハゲジジイは腕を動かし、柳に風とダメージを無効化している。


 テーブルに顔を突っ伏し歯軋りする私に耳元に、ハゲジジイの生温かい息が当たった。


「『もうパパを無視しない』って言えば解放してやるんだけどなあ」


 その言葉は益々私の心をかき乱したが、私には手がなかった。


 「畜生」とまたちゃぶ台を叩いた。そして私は再び身を捩ったが、ハゲジジイは合気でかわし続ける。そして上ではマフラーが解けてゆく音がする。


 しかし私はその瞬間、打開案を思い付いた。即座に左手をちゃぶ台に乗せる。案の定、ハゲジジイは網を引いて私を転ばせる。しかし私はまた左手をちゃぶ台に乗せた。そして、


「何度やっても同じ事だぞ」


 と嘲笑しながらハゲジジイが網を引いたその瞬間、私は前のめりになる体と左手の間に自分の頭を巻き込ませた。


 想像通り、引かれる勢いに合わせて体が回転し、足がハゲジジイの頭部に向く。私は膝を曲げた後、思いっきりハゲジジイの前頭部を蹴り上げた。


 呻きながら倒れるハゲジジイの手から瞬時にマフラーを取り上げた私は、身を翻し自分の部屋に向かって走り出した。ハゲジジイはフラつきながらも立ち上がり私を追って来る。しかし私はなんとか振り切って部屋に入り鍵を閉めた。


 私は天井に向かって拳を突き上げた。勝った。と息を切らし額から汗を流しながら行幸した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る