カギトナル・ピクチャー

 亜紗美は登戸のぼりとから電車を乗り継いで、千葉県松戸市にある実家へと帰ってきた。今年の正月を友人とバリで過ごした亜紗美は、一年ぶり以上となる今回の帰省にわずかながら緊張していた。自分が生まれ育った家だというのに、おかしなものだと亜紗美は思った。


「ただいま」


 ちょっと迷ったものの、亜紗美はインターホンを押さずに勢いよく玄関のドアを開けた。靴を脱いで上がろうとすると、声に気づいたらしい母親の百合ゆりが顔をのぞかせた。


「あら、亜紗美。どうしたの?」


「ちょっと調べもの」


「調べものって、あなた。仕事はどうしたのよ?」


「テキトーに理由つけて休んだ」


 そこで百合がため息をついた。亜紗美には何となく百合の気持ちを察することができた。


「まったくあなたって子は。いきなり帰ってきたと思ったら……仕事を休んでまで調べなくちゃならないことなんて無いでしょうに」


 亜紗美は熊橋くまはしたけるの爆死から始まった今回のことが、仕事などしていられないほどの大事であるような気がしてならない。ケメ子が殺そうとした熊橋猛が何者かによって殺され、そして今度はケメ子自身が消えた。依然としてケメ子とは連絡が取れないままだし、同窓会でのハヤシたちの言動も気になる。


「亜紗美、あなたまさか、仕事が嫌になって逃げ出してきたんじゃないでしょうね?」


 説教やら愚痴やらを聞かされるのはゴメンだと思った亜紗美は、あんなに面白い仕事を嫌になるわけないでしょ、と口からでまかせを言って母親をかわし、二階にある自室へと向かう階段を駆けのぼった。


 自室に入った亜紗美は、さてどこにしまったかな、と卒業アルバムの捜索に取りかかった。中学時代に使っていた教科書に紛れて焼却処分されていないことを願うしかない。


 二時間ほど部屋じゅうを引っかき回して、そろそろ母親に助けを求めにいこうかと亜紗美が考えはじめた頃、高校の卒業アルバムと並んでいる中学のそれを学習机の本棚に見つけた。


「ここかよ」


 思わず亜紗美は独り言をこぼした。亜紗美は早速アルバムの一ページ目から順に開いていった。校長先生、教頭先生の写真に続いて、当時の教職員たちの集合写真が現れる。校歌のページをめくると一組のクラス写真となった。左上には担任教師の顔写真がある。見開きとなった左側が男子、右側が女子と分けられている。


 何となく覚えている顔もいくつかあったが、所詮は他クラスの顔写真なので、いくら見ようとも亜紗美が深い感慨を抱くことはなかった。亜紗美はそこで自分のあやまちにふと気づき、一度アルバムを閉じてから裏表紙側を開いた。亜紗美の目的はアルバムの写真を見て懐かしむことではなく、同じクラスだと言っていたトオノという男の連絡先を調べることなのだ。


「遠野……護」


 住所録から遠野の実家の電話番号を見つけた亜紗美は、携帯でその番号にかけた。呼び出し音が四度鳴ったところで相手が出る。


「はい、遠野でございます」


 上品な感じの女性の声だ。遠野の母親だろうと亜紗美は思った。


「もしもし、あの私、中学校の時に護さんと同じクラスだった、九条くじょうというものですが」


「そうですか。それはどうも、いつもうちの護がお世話になっておりますぅ」


 お世話も何も遠野と話したのは、一昨日の同窓会が初めてのことなのだが。そんなことを思っても亜紗美は余計なことを言わなかった。


「それでですね、えっと、護さんはいらっしゃいますか?」


「あの子ね、今は東京で一人暮らしをしているんですよ。ごめんなさいね。せっかくお電話頂いたのに」


 実家にいないとなると、遠野の携帯の番号を聞き出さなければならないなと思い、亜紗美はどう訊くべきかを考えた。


「もしかして、同窓会のお誘いかしら?」


「え?」


「いえね、ここ一ヶ月の間にこれで三度目かしら? 中学校の同窓生からね、もう二度もお電話があったんですよ。護の連絡先を教えて欲しいっていうね。そのどちらも同窓会のお誘いだったものだから、その何ですか、委員というか役員というか、そういった方たちの間で連絡が行き届いていないのかと思いましてね」


 一度はハヤシが連絡したのに間違いないだろうと亜紗美は思った。じゃあ二度目の電話は誰?


「もしもし?」


「はい! あの、そうなんです。すい、ごめんなさい」


 亜紗美は自分も委員の一人だといつわって、何とか遠野の連絡先を聞き出すことができた。それにしても後の一人は? と亜紗美は気になって仕方がない。


「ありがとうございます。もう一つよろしいですか? 電話をかけてきた者の名前など覚えていらっしゃいますか?」


「名前、ですか?」


「はい、今後こういった事態が起きないよう、委員に徹底させていきたいと思いますので」


「そうねぇ。何ていったかしら? たしか、最近かかってきたのは……ハヤシ、そうだわ、男性の声でハヤシさんっておっしゃってましたよ」


 それはわかっているのだ、と亜紗美はもどかしい気分にさせられた。


「もう一人はわかりませんか?」


「もう一人ねぇ。ずいぶん前なのよ、最初の方からお電話があったのは。さぁ、何ていったかしらねぇ?」


 ずいぶん前といってもここ一ヶ月の話ではなかったか、と亜紗美は少しだけイラッとした。この調子ではきっと思い出してくれないだろう、と亜紗美が諦めかけた時だった。


「でも女性の声だったのよねぇ。ごめんなさい。それ以上は覚えてないわ」


 亜紗美は再び礼を言ってから電話を切った。女性の声だったと言われても、それが大した手掛かりにはならないことを亜紗美は気づいていた。いつまで考えても答えは見つかりそうにないので、思考を中断して亜紗美は教えてもらったばかりの遠野の番号へ電話をかけた。


 呼び出し音が鳴る間、亜紗美は片手でアルバムをめくり、自分のクラスだった二組のページを開いてみた。一昨日の同窓会で会ったクラス・メイトの顔と、アルバムにある写真の顔はだいぶかけ離れており、名前の表記無しでは誰が誰なのか亜紗美には判別ができない。


 十年で人の顔はここまで変貌するものだろうか、と亜紗美はクラス・メイトたちの顔をじっくりと見ていった。遠野に林、女子に移ってケメ子、それから昔の亜紗美自身の顔。私はあまり変わってないな、と亜紗美は思った。


 遠野が電話に出る様子はまだない。亜紗美の携帯電話からは呼び出し音が聞こえ続けている。亜紗美はそのままの姿勢で、アルバムのページをどんどんめくっていく。と、唐突にその手が止まった。


「この子だ……」


 亜紗美が見つけた写真の子は、どのクラス写真にも属することなく、校内行事の様子を写したページの片隅かたすみに、ひとりだけぽつんとモノクロで載っていた。満面の笑みを浮かべたその顔は、女性の亜紗美が見ても引き込まれるほどに美しい。


「相原、瑠璃」

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