第一部 第三章

第18話 自分の進むべき、進みたい道

「一君、一くーん!」


「…は、はい部長。どうかしましたか?」

呆けていたため、少し驚いてしまう。


「頼んだ書類、出来てる?」


頼んだ書類?書類、書類………あ!!


「すみません、まだ出来てません。出来次第持って行きます。」

「ん、じゃあ俺の机にでも置いといてくれる?」

「分かりました。」

部長が去っていくのを確認して、肩の力を抜く。


また考えてたのか、俺は。考えても宮島さんの考えなんて分かるわけがないのに。


「……はぁ、気持ち切り替えねぇとな。」


今日は昼から絆プロジェクトの会議がある。こんな状態で会議に出てみろ。集中できるわけがない。


「あぁ~あ……なんでかなぁ……。」


流石にこんなことをリーダーに報告するわけにもいかないしな。俺にその気はなくても勘違いして、社内恋愛はやめとけよ、ぐらいしか言われなさそうだし。



「よっ、お疲れ。またなんかやらかしたか?」

一人頭を抱える一雪に柳生が話しかける。


そうだ、お前が居た、俺にはお前が。


「ちょっと、昼空いてる?」

「空いてるけど?」


よかった。ちょうどいい、この前のお礼もまだだったし、ついでにお礼も済ませちまおう。


「昼飯奢るから相談のってくんね?」

「あ、あぁ別にいいけど、なんかあったのか?」

「まぁ、ちょっとな。」


あったさ、想像もつかないくらい驚くようなことが。そんな変化を望んでいたわけでもないのに。


「分かった。じゃあ昼休みな。」

「はいよ。」



宮島さんの事は柳生でも知ってるだろう。それぐらいに彼女は可愛いから。まぁ俺は知らなかったけど………。


そんな宮島さんに突然キスされたなんて言ったら、柳生は何て思うだろうか?幻滅されないだろうか?あれだけ今は女はいいと言ってたのに、とか思われないだろうか?


俺はできることなら柳生と仲良くしていたい。あいつほど、俺の事を心配してくれる奴を、力になってくれる奴を俺は社会人になってから他に知らない。なんなら学生の時の友達よりも友達かもしれない。


「本当、何て事してくれたんだ、宮島さん。」


こんなことになるなんて考えてもいなかった。所詮は社会人としての付き合い感覚ぐらいだろうと思ってた。てか、お互いを知って間もないはずなのに、逆になんで宮島さんはあんなことが出来るんだ?


ビッチなのか?宮島さんが噂に聞くあのビッチという伝説の生き物なのか?


「……はぁ、頭痛くなってきた。」


駄目だ、考えれば考えるほど宮島さんの思惑に嵌っていってるような気がしてならない。


自慢できることでもないが、俺はそこまで女性経験が豊富ではない。小中高とずっと男子校だったし、まともに女性を自分の恋愛の対象として話すようになったのは、大学に入ってからだ。


だからもちろん、元カノが初めての彼女で、初めての女性経験だった。


「手に負えるなんて勘違いしてたのかな、俺。」


俺の実家は親父にお袋に姉三人俺一人の、正に女世界。だから男子校に通ってはいても、それなりに女の扱いは心得ているつもりだった。

俺はその実家の姉達を扱う感覚で、プロジェクトメンバーの女性達の対応をしていた。けどそれは宮島さんには通用しなかった。


今まで散々姉達に馬鹿にされたことはあっても、キスとかそんなことまでされたことはなかった。


それともあれか?今時の日本の女性は、挨拶感覚でキスするもんなのか?欧州スタイルなのか?


「……はぁ……。」


考えても分からないことは分かっているのに、それでもやっぱり考えずにはいられない。


そうして一雪は、昼休みに柳生に声を掛けられるまでずっと考えていた。




「て、結局話ってのは何なんだ?」

お昼、俺と柳生はうなぎ屋に来ていた。


別に特別うなぎが好きってわけじゃないけど、昼ごはんで出来る最大限のお礼を考えた結果だ。


「それなんだけど……。」


やっぱり軽蔑されるんだろうか。そう考えると言いたくない。


「そんな言いにくいようなことなのか?あ、もしかして彼女がほしくなったとかか?」

「いや、そう言うんじゃなくて、なんていうか……。」


女とどうこうってのは、別に今も望んでない。そうじゃなくてだな……。


「じゃ、なんなんだよ。」


仕方ない、相談したいって言ったのは俺なんだし、言うしかないか。


「その……宮島さんって知ってるか?」

「あぁ知ってるよ?茶髪の馬鹿みたいに可愛い先輩だろ?」


やっぱり知ってるよな。そりゃそうだよな。あれだけ可愛いもんな。


「その宮島さんに誘われて、昨日二人で遊びに行ったんだけど……。」

「えぇ!?誘われた?あの人に?お前が?」


余程俺の言葉の内容が衝撃的だったのか、柳生の声は急に大きくなる。


「う、うん。」


そんなに大きい声を出すな、びっくりしただろうが。


「ふ~ん、なるほどねぇ……それで?」

妙に納得したように落ち着く柳生。


心なしかニヤニヤしている気がするが、気のせいという事にしておこう。


「それで最後に、キ、キスされてさ……。」

一気に心臓が高鳴る。周りの雑音が一つも聞こえないぐらい。


軽蔑?侮蔑?それとも驚愕?

どんな反応をするのか怖くて、柳生の顔が見れない。


「………ほうほう、なるほど。で?」

しかし、柳生の反応は全くの予想外だった。


え……ちょっと待って、普通ここは驚くポイントじゃないのか?なんでそんな冷静なんだ?


「でって、それ以上は何もないけど……。」

「なんだ~、それだけかよ。それであれか、お前は驚いて宮島さんがどういうつもりなのか分かんねぇってことか。」


そこまで分かってるなら話は早い……早いけど、普通はその前にもっと注目するところがあるんじゃないのか?


やっぱりあれか?俺だけなのか?キス一つで考え込むのは。


「失礼します。こちらうな重の松二つです。」

宝石のように輝くうなぎの照り。香ばしいたれの匂いに、本能的に食欲を刺激される。


駄目だ、今は大事な話をしているんだから。


「そんなこと、宮島さん本人に聞いてみればいいじゃん。多分応えてくれると思うよ?」

音をたてないようにして箸を割る柳生。そのままうなぎとご飯を箸で取り、口に含む。


「んなことできないから、お前に相談してんだよ。」


それが出来てたらこんなに考えてない。


「まぁそれもそうか……お前は宮島さんの事どう思ってんの?」

「どうとは?」

「女として見てんのか見てないのかってことだよ。」

「そりゃ女だとは思ってるよ。」


そう思ってたから、実家の女どもを扱うように接してたわけだし。


「そうじゃなくて、宮島さんともっかいキスしたいのかって聞いてんの。」


キスって、それって……。


「いや……考えたこともない。だってたまたまプロジェクトで一緒になっただけだし、そもそもつい最近まで存在すら知らなかったんだから。」


プロジェクトで一緒にならなければ、きっと一生関わることもなかったと思う。そんな相手にそんなこと、考えられるわけがない。


「そんなの別によくあることだろ。たまたま一緒の教室で授業受けてた子が、たまたま同じバイト先だったとか、たまたま同じアーティストを好きだったとか。出会いってそういうもんなんじゃないのか?」


それはまぁ………てかそれって俺と元カノのことだよね?


「それはそうだけど……。」

「逆に、お前がそういう事をしたい相手ってのは、私がそうでーすとか言って出てくるもんなのか?」

「いや、それはないけど……。」


流石にそれは極論すぎやしないか?


「だろ?だったら、そうやって全く知らなかった相手を知って関わっていくことを出会いって言わずに何て言うんだよ。」

「まぁ、確かに……。」


それはそうだけど……。


「じゃあ今お前が考えるべきは宮島さんどうこうじゃなくて、お前が宮島さんとどう関わっていきたいのかってことだろ。」


う~ん…………なるほど。


「で、どうなんだ?お前は宮島さんとどうなりたいんだ?」


う~ん……………

「……分からん。」


そんなに急に言われても、答えなんか出るわけがない。だって俺には全くそんな気なんてなかったし。


「じゃあそれを考えてみれば?そしたらどう行動するべきか分かるんじゃねぇの?」


なるほどな。俺は今はとにかく、って感じで、自分がどうしたいかなんてちゃんと考えたこともなかったな。


「分かった。」


やっぱり柳生に相談してよかった。


「ん。相談はそれだけか?」

「うん。」


柳生には本当、助けられてばっかりだ。折角この前のお礼を済ませてるのに、また一つ借りが出来てしまった。


「じゃ、後はしっかり考えろ。それで考えた結果を行動に移せ。」

「分かった。」

そうして俺たちは、少しばかり冷えたうな重に箸を伸ばした。


ちなみに二人合わせて、お値段五千円弱。けど俺はその値段を高いとは思わなかった。

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