Ⅳ 魔物の住処には淋しい口笛を

「――着きましたわ。ここが例の・・ホテルですのね」


 それより10分ほど後、イサベリーナは山の手の屋敷町に建つ、建設途中の大きな屋敷の前にいた。


 父親達が話していた〝魔物が出る〟というあのホテルである。


「それにしても、淋しいくらいに静かですわね……」


 もとから閑静な住宅街ではあるが、今は大工や職人の姿も見えず、辺りはシンと静まり返っている。


 好奇心から見に来てみたはいいものの、いざ来てみると、中へ入るまでにはやはり勇気がいる。


「ちょ、ちょっと淋しいですけど、別に怖くなんてありませんことよ!」


 だが、その不気味なまでの静けさに少々心細くなりながらも、誰に言うとでもなく彼女は意地を張ってみせる。


 イサベリーナにそんな態度を取らせる理由には、新天地への航海の最中に出会ったある友人・・・・に対しての対抗意識というか、いろいろと複雑な乙女心があったりなんかもする。


「では、お邪魔いたしますわよ……」


 その友人・・・・に笑われないようイサベリーナは勇気を振り絞り、まだ塗装も済んでいない玄関の扉を用心深く開けると、真新しい建物内へと足を踏み入れる。


「ヒュゥゥゥゥゥゥ…」


 すると、ガランとした玄関ホールに誰かが口笛を吹くような、なんとも怪しい物音が不気味に響き渡った。


「ひっ! な、なんですの今の音は!? ひょ、ひょっとして、例の魔物……」


 その怪音に小さな体をビクリと震わせ、背中に冷や水を浴びせられたかのような怖気をイサベリーナは感じる。


「いいえ。きっと風の音ですわ。ええ、そうに決まってますわ……」


 だが、やはりある友人・・・・への対抗心から、彼女は自分に言い聞かせるようにしてそう呟くと、さらに先へと進むことにした。


「ヒュゥゥゥゥゥゥ…」


 耳を澄ますと、その口笛のような怪音は玄関ホールの奥にある緩やかな弧を描く階段下の、さらにその奥の部屋から聞こえてきているようだ。


 階段下へ潜り込んだイサベリーナは、半分開けっ放しになっていた新品の木製扉の隙間からおそるおそる中を覗いてみる……。


 すると、そこには玄関ホールよりはやや小ぶりだが、やはり大きな広間になっていた。


 まだ長机などの調度品は運び込まれていないが、一般的な屋敷の構造からして、おそらくは食堂として使うための大広間であろう。


「ヒュゥゥゥゥゥゥ…」


「ど、どこかの窓から隙間風でも吹き込んでる音かしらね……」


 なおも聞こえるその〝口笛〟の音に、そんな推理で自分の恐怖心を騙しながら、音の出どころを突きとめようとイサベリーナは大広間へ踏み込む。


 だが、まだ塗り立ての鮮やかな色をした窓枠はどれも隙間なく壁に収まっており、それが原因ではないようだ。


「…………ん?」


 それではと、さらに広間を見回した彼女の眼に、四方に貼られた汚れ一つないまっさらな紅の壁紙の中で、正面奥の壁の真ん中分部だけがゆっくりとへこんだり膨らんだりしているのが映る。


「ヒュゥゥゥゥゥゥ…」


 しかも、それは〝口笛〟の音に合わせて動いているようだった。


「きっとこの紙の裏の壁に穴が開いているんですわ! 皆さま、そこから吹き込む風の音を魔物の声だと思ったんですわね……フフン! 幽霊の正体見たり枯れ尾花ってやつですわ!」


 どこで憶えたのか? そんなことわざを引き合いに出し、すっかり魔物の正体を突き止めたものと少々得意げになるイサベリーナだったが。


「…………ん?」


 しばらく眺めている内に、へこんだり膨らんだりしていたその壁の部分が、いつの間にやらどんどんと膨らむ一方になっているのに気づく。


「な、なんですのこれ? ……え? え? えええっ…!?」


 そして、彼女が見つめるその前でついには大きくむくりと膨れ上がり、巨大な人間の唇に変化すると、その肉厚な唇の隙間から真っ赤な長い舌を伸ばしてきたのだった――。

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