第8話 あたしの脚本じゃない

 コンコン、とドアをノックする音が聞こえる。


猊下げいか。どうかされましたか?」


 どうやら信者の一人が騒ぎを聞きつけてやって来たみたいだ。


「ふえええ鬼がもういっぴきぃぃぃ」


 源田は絶賛、脳内旅行トリップ中だ。邪魔するのは野暮ってもんだ。


 仕方ないなんとかしてやろう。


 あたしは姿を隠したまま外壁をつたい、下に降りていく。源田の部屋のちょうど反対側、つまりドアを叩いてるヤツの後ろ側に回り込み窓から中を覗いた。


 自慢のノドをゴロゴロっと、ちょいと鳴らしてみせる。


「あー。うんうん。誰かね?」


 あたしの数万ある特技の一つ。声帯模写。源田の声をそっくり真似する。


「あれ?猊下?声が後ろから聞こえる気がするなあ。大丈夫ですか?何か叫んでおられたようですが」


当の本人は「あるええ?俺のこえーーー」とか言ってへたりこんでる。


「いや、そんなことはないそれより誰だね」


和具名わぐなです。一番弟子の和具名が参りました。自室でお祈りをしておりましたら猊下の叫び声が聞こえた気がしまして」


 神経質な声だ。和具名……たしか、黒い噂のある例の幹部だったな。


 とんだお邪魔虫め。あのまま旅行させてやればいいものを。他人の幸せを壊して回っていやがるんだな。


「ああ、和具名くんか。いやなに。新しい祈りを試していたところだ」


「失礼いたしました。猊下ほどのお方がまだ新たな場所へと行かれるのですか」


 こいつの喋り方はいちいちしゃくさわる。早くおっぱらっちまおう。


「兎に角、ワシなら大丈夫だ。キミも戻ってお祈りを続けなさい」


 そう言いかけた時、間が悪く奴さんが奇声を発した。


「ぴぃぃぃいぃぃぃぃえぇぇぇぇぇぇぇいいいい」


 我が子よ、少々働き過ぎだ。近くにいた和具名がこれに驚かない筈が無い。


「猊下!やはり何処かお悪いのですか?中に入れて下さい!」


 クソっ。よくないな。このまま部屋に踏み込まれたら源田だドラッグがキメてるのが和具名とやらにバレちまう。そしたら源田は終りだ。


 いや、本来、悪魔としては源田が信者にヤク中だと思われて今の立場を追われるのは悪い展開じゃない。そうなればちょっとした事で堕落の道を歩むだろうし、そうなると信仰心も容易く揺らぐ。しかも我が子である林檎マルスによって奴の人生が転落するってのも実に素晴らしい筋書きだ。


 だけどそれはあたしの脚本じゃない。あたしの書いた筋書きじゃない。あたしはまだ何もしてないんだ。契約もしてないし唆しもしていない。これじゃあたしが堕落させてことになんない。


 悪魔にだって美学はある。いや、悪魔だからこそ美学で生きてる。


 あたしは技巧者クリエイターであって傍観者かんきゃくじゃない。


 あたしは面倒事が大嫌い。だけど、こういった努力とは関係の無い幸運も嫌い。ツケを貯めてるみたいで嫌なんだよ。いつか同じくらい不運な目にあるのは御免ごめんだ。


「猊下!いいですか?ここを開けますよ!」


 不運にも、ドアに鍵はかかってないようだった。


 あるのは信者どもの源田に対する信頼だけ。それも今、信頼とドアが同時に蹴破られかかっている。


 手はひとつだ。あたしは可愛い我が子に呼びかけた。


「ぼうや、ぼうや、おいでなぼうや。ママのところに還っておいで。かわいいかわいいマルスぼうや。悪魔のママが呼んでるよ」


 あたしの声に呼応して、マルスは源田の身体から霧状になって飛び出した。便利なもんで親ってのはいつだって子供を好き勝手呼びつけられる。もちろん、愛情あってのことだけどね。


 黄金色の霧になったマルスはママの懐にすっかり収まった。ああ、懐かしい我が子よ。


 さて、体内からヤクが抜けて途端に素面になった源田だったが、相変わらず受難は続いていく。


「猊下ぁ!ってアレ?どうしたんですか?」


「どうかしたんですか?ではないよ。和具名くん。いつでもドアは開いているとは言ったがな、扉を蹴破らん勢いで部屋に入って来いとは言ってないぞ」


「アレ、す、すみません。おかしいな」


 源田が何食わぬ顔で部屋にいたもんだから和具名は拍子抜けした様子だった。


「猊下がなにか大きな声を出されていた様だったので体調でもお悪いのかと思ってつい出過ぎたことを」


「ワシが?そんなことを?ふむ。おかしいな。少しここでうたた寝をしていたかもしれないが、大声なぞ出しとらんぞ」


「アレ?新しいお祈りを試していると先程は仰ってましたが?」


「そんなこと言ってたかの?まあよい。ワシはこの通りなんともない。用がなければ出て行ってくれるかな」


「ああ、いえ。実はおりいってご相談がありまして」


 和具名とやら、神に仕えているとは思えないほど邪悪な笑みを浮かべて源田に話を切り出した。


続く

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