第6話

「ええっと、主将、いいですか」

「え、小西さん。なんや?」

「あっちって、なんですか。あと、敵って・・・・・・」

「ああ。うん、それか。まあ、その。またあとでな」

 康岳が言い淀む。樫雄の目も泳いでいる。

「え。なんでですか・・・・・・」

「なんていうたらええんかな、事情がちょっとばかし入り組んでるんや。機会を見てボチボチ説明するわ」

「はぁ、そういうことなら・・・・・・」

 

男子二人の様子がどうにも変な感じになり、それ以上は突っ込んで訊いてはいけないような雰囲気になったので話題を渋々換える。それこそ、男子との間に微妙な空気が漂ってるので、話の振り先は必然的に藤香だ。


「ねえ。高千穂さん?」

「ヤダ、もう写真部に入ったんだし私のことは藤香って呼んで」

「あ、うん、分かった。じゃあ、藤香?」

「うん、いいわ。なぁに」藤香が太陽のような笑顔で応える。

「今の二人の話にあったんだけどフイルムって何? デジカメとは違うの? それにこの部屋相当臭いんだけど、あなたたちは平気なわけ? この匂い、なんなの? 写真ってこんなに臭いもんなの」


 訳が分からないものの男子二人に気遣ってなぜか小声になる。

「あぁ、これね。もしかして気がついちゃった?」

 気がつかないわけないじゃない! と美乃里は鼻をしかめる。

「うーん、これはね。写真部につきものの匂いなの。今はデジカメが主流になっちゃったから様変わりしてるんだけど、松雲写真部はフイルム写真にこだわってるわけなのよ」

 と、言われても美乃里はまったく全然分からない。

「デジタルカメラと違って、私たちが使っているフイルムのカメラは専用の設備とか機材がないと写真をプリントすることが出来ないの。松雲写真部はモノクロ写真だけだけど自分たちで一から十まで全部処理することをモットーとしてるのね。それでその行程を現像って言って・・・・・・」


 美乃里には皆目見当がつかなかった。そもそもがデジカメに関しても知ってるわけではないので違いがまったく分からない。ただ、どうやらプリンタでペロッて印刷するのとは違うらしいってことと臭さとは縁が切れないってことだけは確かなようだった。


「でね、これは現像に必要な薬剤の匂いなの。現像っていうのは、難しい言い方をすると撮影によってフイルム乳剤層の中に形成された像を薬品の作用で黒化銀に変化させて可視化することを言うのね。写ってる画像を実像化するために現像液に浸けるんだけど、丁度のところで止めてやらないとどんどん現像が進んじゃって濃度の高い写真になってしまうのよ」

「へえ」

さっぱり分からない美乃里のはどうしても生返事になりがちだ。

「だから、今度は別の薬剤の中にに入れて進行を止めるわけ。これが停止処理。停止をさせた写真はそのままでは不安定なので定着っていう処理を施して画像を安定させた後に残存薬剤による仕上がりの劣化を防ぐための水洗いをして終了ね」


美乃里が理解出来るか出来ないかなどはまったく気にする様子もなく藤香のフイルム現像の説明はそのまま続いた。


「最後は乾燥させて写真が出来上がるんだけど、その中の停止っていう行程の部分に酢酸系の薬品を使うから、その影響が一番強いのかな。本来ならば、換気扇で匂いが籠らないようにするんだけど、ちょうど月曜日から換気扇が壊れちゃってね。部室のドアを開けて匂いを外に逃がそうとしてたのよ。でも他の部からの苦情が相次いだんでそれも出来なくなっちゃって。換気扇が壊れてからは作業を極力しないようにしてたんだけど永年の積み重ねってやつが、ね」

 藤香が部室に澱む空気をかき回すように手首を躍らせる。


そこで美乃里には素朴な疑問が湧いた。

「換気扇ってそんなに直すの難しいの? それに直せないなら交換しちゃうとか」

「うーんそれがねー。現像の時って光が禁物なのよ」

「ひかり? 光って」

「フイルムってハロゲン化銀という物質が光に反応して画像を残す仕組みなのね。だから余計な光は一切シャットアウトしないとダメなの。真っ暗な部屋で処理しなきゃならないから換気扇も遮光性の高い特殊構造なのよね。という訳で簡単には直せないし交換するにもすごく高いのよ。だから、私たちもすっごい困っちゃってたってこと。美乃里もこの匂いがやっぱりダメ?」

「臭いのは臭いけど仕方無いんなら慣れるしかないのかなって思う。それにあたしって順応性高いみたいで最初ほどはヤな匂いじゃなくなって来てるみたい」

「ホント? やっぱり素質があるのかしらね。私としては美乃里が写真をもらえちゃうのはすっごく悔しいんだけど、だからって遠慮しないで分からないことは何でも訊いてもらったらうれしいわ。私が保証する、写真は絶対に楽しくなるから」

「あたしも半端なことは大嫌いだから、やるからにはガチで頑張るよ。それに主将に『自信あることにしか挑戦しないのか』って言われちゃたことがあたし的にはかなりヘコんじゃってて・・・・・・」

「じゃあ主将を見返すような写真を撮っちゃいましょうよ、美乃里。今度他の子と一緒に入部の説明を受けてもらうから都合のいい日をLINEで教えてくれる? スケジュールの調整が出来たら私からまたLINEしとくから」

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