3.May


 緑化ドームに配属されてから、七年が経った五月のある休日のことです。

 私の仕事の一つに、ドーム内の見回りがありました。警備と植物の成長の確認を兼ねています。


 芝生広場の一つのベンチで、午前中から昼時を過ぎても、一人の少女が本を読み続けているのが気になりました。その子の前を通った少年も、ちらちらと視線を送っています。

 食事をした様子も見受けられずに心配していましたが、その少女が七年前に、絵本に桜の花びらを挟んでいた子だということにしばらくして分かりました。


 ただ、顔見知りだと分かったものの、話しかけるのは気が引けます。彼女は夢中で本を読み続けているので、その集中力を損ねてしまうのは申し訳なく思います。

 どうしようかと、一本のクヌギの成長具合をカメラアイで記録していた私は、すぐ後ろのその少女の様子を見ました。丁度、彼女は本を読み終えたようで、背表紙を閉じ、満足そうに溜息をつきました。


 まだ本の世界に浸って微笑んでいる彼女に、私は近付いてみました。


『読書はいかがでしたか?』

「……あ、ロボットさん、こんにちは」


 少女は私を見上げ、微笑みを返してくれました。


「素晴らしかったです。読めて本当に良かったという本に出会えたのは、初めてです」


 少女は、本をひっくり返して、じっとその表紙を眺めていました。

 そこには、『淡色』というタイトルと、「千花岬」という作者名が書かれていました。


「私、この本を書いた人に会ってみたいな……」

『タイムマシンを使えばよいのではないでしょうか』


 少女の想いの籠った独り言に、私は後先考えずに口を出していました。

 すると、彼女は寂しそうに首を横に振りました。


「普通の人はタイムマシンは使えないんだって、お母さんが言っていました」

『時空超越法第一条、学術調査と芸術目的以外の時空旅行の使用を禁ず、ですね』


 少女は私を見上げて、不思議そうに尋ねました。


「学術調査って、どういう意味ですか?」

『何かを調べるということです。学校の宿題の、自由研究に少し似ていますね』

「じゃあ、私が、この岬さんに、本を書いた時のことを訊きに行くって形なら、タイムマシンを使ってもいいってことなんですか!」

『そうですね』


 私が首肯すると、少女は目の輝きをさらに増していきました。

 無責任なことを言ってしまったのではないかという不確定未来への懸念が頭を過ります。しかし私の使命には、ドーム利用者を笑顔にすることも含まれますので、現在はこれがマストの答えではあるのでしょう。


 少女は、うっとりとした顔で、表紙のタイトルと作者名をなぞっていました。それからもう一度、ページを開きます。

 パラパラと捲り、最後のページまで辿り着きました。そこに挟まっていた栞には、押し花にした桜の花弁が付いていました。






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