第6話 戦士長レベッカ

 レベッカは心の中で部下達の勝利を祈ると、目の前の敵に集中した。



 〈商人マーチャント〉は体色だけでなく、体格も〈市民〉より一回り大きいようで、女性としては長身のレベッカより頭二つは身長が高く、横幅の厚みや禍々しい体色も手伝って、見た目の威圧感は相当な物である。



「ギヒヒ! イイ女! 美味ソウナ女ダ! 気ニ入ッタゾ。 俺ノ物ニシテヤル!」



 金属を擦り合わせたような耳障りな声で〈商人〉が喋る。相変わらず欲望に濁った複眼でレベッカを舐め回すように視姦していた。気色悪い視線にレベッカはカッとなる。もう我慢する必要はない。



「やってみろ! 汚らわしい化物め!」



 〈商人〉――赤蟻人――が両手に湾曲した剣を持った二刀流で、左右から挟み込むように横薙ぎの斬撃を放ってくるのを、後方に飛び退いて躱す。


 進化種プログレスの目的は女性を手に入れる事だが、その攻撃は殺気に満ちている。より上位の進化種には蘇生の魔法を使える者もおり、レベッカのような戦士相手なら、殺して持ち帰った方が手っ取り早いのだ。


 振り抜いた直後の硬直を狙って、大胆に前に踏み出したレベッカは肘の関節を狙って鋭い斬撃を放つ。しかし僅かに身体をずらした赤蟻人の腕の攻殻によって受け止められる。剣を受け止めた攻殻には殆ど傷も付いていなかった。


(くっ! 何という硬さだ……! 神気を纏った剣でも傷一つ付けられんとは……)


 対して〈商人〉級の進化種が纏う魔力の武器は、こちらの神気の護りを容易に突破して一撃が致命傷となり得る。盾で受ければ盾ごと吹き飛ばされるだろう。


 余りにも不利な、綱渡りのような条件。だがレベッカには退くという選択肢はない。ここで民を見捨てて逃げれば、全ての信用は失われ、危うい均衡で成り立っているクィンダムという国は、滅びを待たずして自壊するだろう。


 やるしか……勝つしかないのだ。




 赤蟻人が大上段から剣を振り下ろしてくるのを、盾で叩きつけるように軌道を逸らす。

 間髪入れずに赤蟻人がもう一方の剣を横薙ぎに払ってくる。それを半歩引いて躱すと、今度は両脇から生えた2本の触腕がレベッカの首を掻っ切ろうと伸びてくる。咄嗟に身をかがめる事で辛うじて回避するが、そこに再び上段からの振り下ろしが落ちてくる。


 身を屈めた姿勢からそのまま横っ飛びに転がって回避。側転しつつ素早く起き上がり何とか態勢を整えた直後、赤蟻人の口から蟻酸が吐きつけられた。


 汚らわしい液体は盾で防ぐ事が出来るが、盾が塞がった所に、反対側の斜め上段からの斬り下ろしが迫る。再び後方へ下がって躱すが、危ういタイミングだった事もあり、上体が開いた形になり、隙を作ってしまう。


(しまった……!)


 と思った瞬間には2本の触腕が鞭のようにしなって、レベッカの身体を打ち据えた。



「がッ……は……!」



 身に纏う神気で軽減したとはいえ、それでも太めの棒で思い切り殴られたような衝撃がレベッカを襲い、堪らず吹き飛ばされる。

 

 地面を転がったレベッカは、だが苦痛をこらえて強引に起き上がった。のんびり地を這っている暇はない。何故なら進化種と距離が開いたと言う事は――赤蟻人の2本の触腕の間に、巨大な火の玉が形成されていた――魔法が来る!



「うおぉぉぉっ!」



 レベッカは可能な限りの神気を練り上げ防御を固めると共に――に向かって全力で駆け出した。そしてうなりを上げて迫りくる火球を、前方――火球の下――をくぐり抜けるように身を投げだして回避した。当たれば火傷程度では済まない高温の塊が、頭上すれすれを通り過ぎていく感覚に、さしものレベッカも肝を冷やす。


 背後で着弾の轟音が鳴り響くが、被害を確認している余裕はない。そのまま素早く前転して身を起こしたレベッカは、しかし目前に迫っていた赤蟻人の切っ先に、再び横っ飛びに地面を転がる事を余儀なくされる。



 態勢を立て直す暇すら与えられずに、2本の剣、触腕、蟻酸――そして隙を見せれば魔法――と、あらゆる猛威がレベッカを間断なく襲う。反撃の隙は一切なく、最初に弾かれた一撃以降、一度も攻撃できずに防戦一方の戦いを強いられるレベッカ。

 

 その顔や、鎧から剥き出しの身体は汗にまみれ、日差しの照りつけによって、輝くようなつやを放っていた。息も大いに乱れ、一瞬の隙を付いて辛うじて態勢を整えたものの、呼吸は荒く、肩で息をしている状態であった。


 だが……生きている。一瞬の判断ミスが即、死に繋がる綱渡りの状況で、レベッカはあらゆる攻撃を、紙一重ながらもしのぎ切っていた。人間――女性――には絶対勝てないと言われている、進化種変異体の攻撃を生き延びているのだ。


 赤蟻人が徐々に苛立って来ているのをレベッカは敏感に感じ取っていた。苛立ちや怒りは攻撃を単調にし、防御を疎かにする。レベッカは赤蟻人の猛攻を躱しながら、驚異的な自制心で「その時」を待ち続けた。



 そして「その時」は唐突にやって来た。否、それはレベッカが耐え抜いた結果の必然とも言えた。


「チョコマカトウザッテエナ! トットト死ニヤガレ!」


 しぶとく攻撃を躱し続けるレベッカに業を煮やした赤蟻人が、2本の剣と触腕を一斉に叩きつけようと、合計4本の腕を同時に大きく振りかぶる。それは時間にすれば1秒程度の隙とも言えないような動作であった。



(ここだっ!)



 4つの腕全てが一時的に攻撃と防御の機能を失う瞬間……「その時」を狙い続けていたレベッカにとって、それは致命的な隙となり得た。電光石火の勢いで前に踏み出したレベッカは、裂帛の気合いと共に、一瞬だけがら空きになった急所――喉元に神気の剣を突き入れた。


 赤蟻人は、一瞬自分の身に何が起きたのか解らないかのように、きょとんとした様子で、自らの喉元に突き立った剣を見た。レベッカは更に剣に纏わせた神気を増幅して、赤蟻人の体内を内側からいた。


「グゥエエエエェェェっ!!」


 耳を覆いたくなるような絶叫と共に、赤蟻人が滅茶苦茶に暴れまわる。素早く剣を引いて飛び退いたレベッカは、油断なく剣を構えながらも、決着がついた事を確信する。

 

 神気は魔素で生きる進化種にとって猛毒とも言える物で、今のように体内に直接神気を流し込んでやれば、どんな上位の進化種であろうと、死は免れない。


 赤蟻人の動きが次第に緩慢な物になっていき、やがて口から泡のようなおぞましい体液を撒き散らしながら、ゆっくり前のめりに倒れた。しばらくビクッビクッと痙攣けいれんしていたが、すぐに静かになった。


 ――――〈商人マーチャント〉をたおしたのだ。




 張り詰めていた緊張が途切れ、極度の肉体的・精神的な疲労から、レベッカは思わず膝をつきそうになるが、寸前で堪えた。まだ終わってはいない。部下達の戦況を急いで確認する。


 〈商人〉が死んだ事で眷属の数が減り――主人の進化種が死ぬとその眷属は消滅する――兵士達は優勢に戦えているようだった。問題はヴァローナ達で、2人共まだ〈市民シビリアン〉と戦っていた。


 ヴァローナは何とか互角に戦えているようだが、ミリアリアが苦しい。息は上がり、足元もふらついている。辛うじて致命傷は避けているようだが、そう長くは持ちそうにない。



「ヴァローナ! 死ぬ気で持ち堪えろ!」

「は、早くして下さいねぇ……!」 



 返事が出来る元気があるならまだ大丈夫だろう。レベッカは苦戦するミリアリアの救助を優先し、疲労困憊の身体に鞭打って全速力で駆け付ける。


「おい、化け物! 今度は私が相手だ!」


 ミリアリアを一方的に攻め立てていた〈市民〉が、レベッカに向き直る。死闘から解放されたミリアリアは、背後から斬りかかる余力も残っておらず、がっくりと膝をついてあえいでいた。


 〈市民〉は鉈のような蛮刀と盾で武装していた。レベッカが牽制で放った斬撃を盾で受け止めると、素早く蛮刀を斬り下ろしてくる。その斬撃を紙一重の距離で横に逸れて躱すと、がら空きになった頭を小盾で殴りつける。怯んで上体が反れた所を、喉元を狙って剣を突き刺した。




「ミリアリア、よく持ち堪えてくれた。お陰で〈商人〉を倒せたぞ」


 苦悶の叫びと共に崩れ落ちる〈市民〉を尻目に、まだ膝をついているミリアリアに声を掛けるレベッカ。ミリアリアは呆気にとられたようにレベッカを見上げていた。



「こ、こんなにあっさりと……。それに〈商人〉も倒してしまうなんて……。相変わらず隊長は規格外ですね……」


「お前達が〈市民〉を引きつけてくれていたお陰だ。流石に援軍まで相手取る余裕は無かったからな」


「それにしても凄いですよ。本来〈市民〉も最低2人掛かりが原則なのに、〈商人〉まで1人で……」


「ああ……。流石に今回はキツかったな……。早くイナンナに戻って、ゆっくり休暇を過ごしたいものだな」


「隊長の言う『休暇』って、あの自主訓練の事ですよね……?」


「おい、人を仕事中毒みたいに言うな。私だって休む時はしっかり休むぞ? 剣は鍛冶に出さねばならんし、遠征用の保存食も買い変えなければならんだろうし、ついでにリズベットと進化種の対策について話し合わねばな」


「……結局、仕事じゃないですか……」




 2人がもう戦いは終わったとばかりに弛緩した空気を漂わせていると、未だに1人で必死の形相で〈市民〉と戦っているヴァローナが、切迫した様子で悲鳴を上げた。



「た、隊長ぉ! 終わったんなら早くこっちも何とかして下さいぃ……!」


「おっと済まん。忘れてた。さて……仕上げと行くか」



 この戦いに蹴りをつけるべく、レベッカは最後の進化種に向かって斬り掛かって行った――。



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