別れの言葉

「なにがだよ」


「……え?」


 もう無理だと観念した時だった。

 もう開くことはないと思っていた伏山の口から声が漏れる。


「なにがだよ、何が、親友だよ」


 吐き捨てるような言葉とその目つきに俺も、そして今にも殴りかかろうとしていた富川の動きが止まる。


「親友? ふざけんな。俺はそんなこと思ってねえよ」

「え?」

「確かに昔は思ってた。俺とお前は親友、心の奥底から繋がってたってな」

「……」

「でも俺の勘違いだった」


 伏山はハッと笑うと俺の胸ぐらを掴んだ。

 そして言った。


「お前、どうして昔引っ越すこと教えてくれなかったんだよ」


 伏山の言葉が心に突き刺さる。

 俺は、かつて引越しが決まった時に伏山にも柚芽にも伝えることはしなかった。

 敢えて何も言わなかったのだ。


「親友なら普通言うよな? 別れくらいちゃんとするよな? でもお前はしなかっただろ」


 視界の端の柚芽も唇を噛んで下を向く。


「お前は俺のことも、柚芽のことも親友となんて思ってなかったんだ」

「それは違う」

「じゃあ何なんだ? なんであの時俺にも柚芽にも教えてくれなかった?」

「それは……」


 俺は弁明の言葉を見つけようとして、やめた。

 未だ俺の胸ぐらをしっかりと締め上げている伏山に向かって、一言言った。


「悪かった」


 自然な謝罪に動揺した伏山は俺の胸ぐらを掴んでいた手を離す。

 そんな伏山に俺は静かに笑った。


「でもさ。俺もどうして良いかわかんなかったんだよ」

「は?」

「親から後継だの何だの言われて、習い事とか無理やりさせられて、友達と……お前らと遊ぶことすら自由にできなかったし」

「……」

「お前らと離れるのは悲しかったよ。でも親には逆らえないし、あの後お前たちに会ってたら俺は多分親に見捨てられてただろうな。

 まぁ今は普通に見捨てられてるけど」


 無言で俺を見つめる伏山。

 柚芽も同じ様に俺の次の言葉を待っている。

 だから俺はゆっくりと言った。


「とにかく。あの時の決断は間違ってなかったと思うよ、俺はな」


「……全然悪いと思ってねえじゃねえか」

「いやいや、そうじゃない。別れを言わなかったことは悪いと思ってるよ。俺たち親友だったし」

「じゃあ素直に謝れば良いだろ。最後の話は余計じゃねえか」


 伏山は歯痒そうな喋り方をする。

 そんな伏山に俺は首を振った。


「うーん。でも、間違った選択でも無いと思うんだ。まぁ強いて言うなら、詰みゲーだった訳だ」

「詰みゲー?」

「あぁ、どっちの選択肢を選んでもバッドエンドってこと。俺があの時、お前たちをとったならば、今頃は家族とおさらばして、金もないからバイトでもしながら暮らしてただろうな。

 でもそれって根本的な解決では無いと思う。

 結局親から逃げ続けた負けの連鎖は続いたままだからな」


 俺がそう言うと、伏山は意味がわからなそうな表情を浮かべる。

 すると後ろにいた柚芽が口を開いた。


「私たちに別れを告げて両親の元へ行けば、全てが丸く収まったんじゃないの?」


 至極、一般的な回答である。

 やりたい事が二つあるなら、どっちもやれば良いじゃない論。

 だが、それはあくまで人間において最も面倒な『心理』という面を省いた論理でのみ通用する話だ。


「いや、それは無理だよ」

「何で?」


 突き刺される様な鋭い質問。

 この会話の中で、当たり前に抱かれる疑問だ。

 そして俺はその答えを知っている。

 だが、ここで言っていいものなのだろうか。

 この回答はある一人の人物を大いに傷つける可能性がある。

 俺はそこまでのリスクを冒してこの問題に向き合うべきなのだろうか。

 いや、向き合うべきだろう。

 俺は意を決して言った。


「それは、『俺がお前の事を好きだったから』に決まってるだろ」


「……え?」


 柚芽はワンテンポ遅れた、俺たちの呼吸の音にすら掻き消されそうな小さな声を出した。


「好きな人に別れを告げるなんて無理だよ。辛いし、最後に会ってしまったら離れたくなくなる」


 照れだかなんだかはわからないが、柚芽の顔がみるみる赤く染まる。


「それで、柚芽には教えないで伏山にだけ教えるってのも違う気がしてさ」

「……」

「だから無理だったんだ。お前らに別れを告げるなんて」


 俺が絞り出す様にそう言うと、今度は伏山が口を開いた。


「そんなの、なんかうぜえな」

「は?」

「なんかキモいわ」

「はぁ!?」


 ここまで胸にグッとくる感動的な話をして、その結論がキモいの一言だと……?

 俺は驚愕で目を見開いた。

 だが、何故か優しい表情の伏山が呟く。


「俺、キモかったわ」

「え」

「お前の事なんにも知らなくて、悪い事したな」

「いや、別に……」


 そっちかよ。

 俺に向かってキモいって言ったのかと思ったじゃねえか。

 紛らわしい言い方するんじゃねえよ。


「でも」


 俺の平和的思考を遮るかの様に伏山は机をドンと叩く。

 そして言った。


「それならそれで、やっぱ仲直りとか無理だわ」

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