逆鱗に触れた男

「どわっ!?」


 イノリの体が再び青い光の繭に包まれた直後、一騎の体が弾き飛ばされる。


 どうやらあの光の膜は敵の攻撃を防ぐ機能があるらしい。

 一騎を敵と認識したイノリの意思によって一騎はその光の繭から弾き出されてしまったというわけだ。


 だが、そのお陰でイノリのイクススーツの中に滑り込ませてしまった手の封印が解かれたのだから、複雑な気分だ。


 未だ手に残る柔らかい感触。

 一騎は別の意味で体の芯が熱くなる。

 必死に体の熱を冷ましながら、「煩悩退散!」と必死に念じる。

 今はあの感触を記憶の片隅にしまい込むべきだ。


(じゃねえと……)


 一騎の全身が粟立つ。

 いきなり女性の胸を触ってしまったのだ。しかもダイレクトに。

 謝罪すべきなのだろうが、それも難しいだろう。


 ボコ殴りにされるだけならまだいい。

 けど――


(絶対に殺されるッ!)


 イノリはただでさえ一騎の事が嫌いだ。

 この失態をタコ殴り程度で済ませるとは思えない。

 どうにかしないと――



 一騎は藁にも縋る思いで、インカムを起動させる。


「あ、兄貴、決闘を中断しないか!?」


 わりと本気でそう訴える。

 だが――


『止められると思うかい?』


 ですよね――


 一騎は心の中で涙を流す。

 止められるならとっくに止めているだろう。

 それをしないのは誰もイノリの暴走を止められないと確信しているからだ。


 今にも割れそうな繭に「まだ割れるな!」と必死の念を跳ばしながら、一騎は頭をフル回転させる。


『一騎君、男なら潔くすべきだと思うよ』

「俺に死ねってか!?」

『流石にイノリ君もそこまではしないよ……たぶん』

「最後に不穏な台詞残すのやめてくれよ!?」

『大丈夫。司令もいつでも動けるように準備してくれている。大事にはならないさ』

「いや、そもそも、イノリに謝りたいんだけど!?」

『……謝って済むと思ってるの? ってリッカさんが凄い剣幕で睨んでいるけど、俺も同感だよ』

「……」


 今、この場に一騎の味方は誰一人としていなかった。

 まるで判決を待つ罪人――実際に間違ってはいない――気持ちで一騎はイノリを包む光の膜を見つめた。


 そして――


『まぁ、イクスギアの真価――しっかりと味わうといいよ』


 オズのその言葉と共に、イノリを守っていた光の繭は砕け散るのだった――





 光の繭から解き放たれたイノリはこれまでの鎧とまったく異なる姿へと変わっていた。

 いや――身に纏うべき鎧は一切ない。

 白と青を基調としたインナーギアだけを身に付けている状態だ。

 そして、本来なら追加装甲として装着するはずの鎧はなぜかイノリの周囲に浮遊したままだった。


「覚悟は出来てますよね?」



 震える声でイノリは呟く。

 底冷えするような絶対零度の眼差しに体を竦み上がらせる冷淡な言葉。

 

 一騎は生唾を呑み込みながら、苦し紛れに拳を構えた。


「で、出来れば、穏便に済ませないか? 俺も悪気があったわけじゃねえんだ」

「それはそうでしょうね」

「だったら――」

「けど、事故とはいえ、ひ、人の胸を……鷲づかみにして、た、ただで済むと思っているんですか!?」


 ドンッ! とイノリの魔力が膨れあがったのを肌で感じる。


「――いいですよ、決着をつけましょう! もう手加減は一切なしです! やっぱり貴方とは一緒に戦えない。私の貞操を守る為に……ここで潰すッ!」


(潰すって何を!?)


 不穏なワードに一騎は思わず身構える。


 イノリは周囲に浮かんでいた鎧のようなパーツを操作すると一騎の周囲に張り巡らせた。


 その瞬間――


「あがぁッ!?」


 突如として一騎が崩れ堕ちた。

 それだけではない。

 ベコンッと一騎の周囲が陥没したのだ。

 

「うぐうぅ……」


 四肢に力を込めるが立ち上がる事すら出来ない。

 起き上がろうとする度に骨が軋み、悲鳴を上げる。

 

 途轍もない重量が全身にのしかかり、ロクに身動きがとれない。


(な、何だ……これ? めちゃくちゃ、重い……)


「どうです? これが《重力グラビティ》の能力です。鎧が作った結界内の重力を自由に操作する事が出来るんですよ――こんな風に!」


 今度は一騎の体が浮かび上がり、勢いよく天井に叩きつけられる。

「うぐぅ」と喉を詰まらせながら、一騎は必死に状況を理解する。

 イノリの言っていた鎧の結界――

 

 それは恐らく周囲を取り囲むように展開されたあの円陣の事だろう。

 そして、その能力の効果範囲は面ではなく柱。

 円柱のように天地そのものに効果範囲が及んでいる。


 一騎の体が今度は勢いよく地面に叩きつけられる。


「うがあああああああ!」


 いくらギアの魔力障壁があるとはいえ、衝撃を完全に打ち消す事は出来ない。

 全身に走る狂気のような痛みに一騎は咆吼を上げていた。


 再びフワリと浮く体。

 だが、今度は天井に叩きつけられる事はなかった。


 イノリの目線まで体が浮かび上がり、彼女と目が合う。


「どうですか? 諦める気になりましたか?」

「……諦める? 謝るの間違いじゃねえのか?」

「間違ってませんよ。私はイクスギアの適合者として戦うのを諦めたどうかを聞いているんです。この際、胸を揉まれた事はひとまず置いといて……わかったでしょ? 手加減した私にすら手も足も出ない。そんな貴方が戦場に来た所で足手まといなんですよ」

「……それが、どうした?」

「――え?」


 一騎のその答えが心底意外だったのか、目を白黒させる。

 まるでイノリは理解していない。


 一騎の戦う理由を。


「……いいか? 足手まといなんて、言われるまでもねえんだよ。そんなの俺が一番よく知っている。けどな……それが戦わない理由になるわけねえだろ!」


 一騎は最後の切り札であるガントレットの内臓スラスターを起動させる。ダラリと垂れ下がった腕から逆噴射される魔力のエネルギーはイノリの重力を掻き消し、徐々に一騎の体を地面へと下ろしていく。


「どうして? 貴方だってわかったでしょ? これは本当に命がけの!」

「だから、どうした? そんなの、初めてギアを纏った時から知ってる。初めて《魔人》に襲われた時に思い知らされた」

「だったら――!」

「けどな! お前を一人に出来ねえんだよ!」


 一騎の戦う理由は《魔人》を倒す事じゃない。

 守る為だ。


 イノリが一人で傷つきながら戦う。それを黙って見ていられる臆病者はもう一騎の中にいない。


「お前を一人になんかさせねえ! お前に泣いて欲しくない。俺は――お前も、この街も、アステリアの皆の――笑顔を守る為に戦うって決めたんだ! 俺とお前、二人が揃えばきっと奇跡は起こせる! だから――」


 お前に認めて欲しい。


 一騎のその言葉が届いたのか、一騎を縛り付けていた重力の結界が解除され、一騎はその場に膝をつく。


「ぜぇ、ぜぇ」と必死に呼吸を整える一騎の目の前で、イノリはイクスギアをスライドさせる。

 そこに格納されていた《重力》を取り出しながら、伏し目がちにイノリは呟いた。


「一ノ瀬は優しすぎますよ」

「わ、悪いか……」

「いえ、悪くないと思います。一ノ瀬みたいな人がいるって知れてよかったくらいです」


 イノリの口調はとても穏やかだった。

 どうやらわだかまりは解けたみたいだ。


 一騎がホッと安堵の吐息をもらす――その横で。


「《換装シフト》――《ブレイド》」


 イノリの口にしたその言葉に耳を疑った。


「え――?」


 呆然と立ち尽くす一騎の前でイノリを包み込んでいた光の繭が砕け散る。

 そこにはインナーギアの上に黒い襦袢に白い羽織と和装を連想させる着物型の鎧を身に纏ったイノリの姿が。

 腰の帯びに差された二本の長刀。その一本の柄にイノリの細い指が触れる。


 その姿を見てもなお、一騎はその場を動く事が出来ずにいた。

 その瞳に映るのは、絶望だった。


 一騎の思いを知ってなお、刃を向けるイノリに向けた失意の眼差し。


 イノリは一騎のその瞳から目をそらすことなく。

 一言。


「なら、これ以上、私を苦しめないで」



 その言葉と共に一騎の意識を断ち切るのだった――

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