魔王ハディルとの再会

 リュデンシュベルの宮殿の上空を何十頭もの黒竜が旋回して飛行していた。人間たちは突如上空へ飛来した黒竜らに慌てふためき、悲鳴を上げ逃げ惑っている。

 ディーターたちはその様子を黒竜の背から見下ろしていた。


「最初からあの女をレギン城の地下にでも閉じ込めておけばこんなことにはならなかったんだ」

 別の黒竜に乗ったレイが忌々し気に履き捨てる。

「レイ、陛下が決めたことです。青空様だっていわば被害者ですよ。異世界から問答無用に召喚されたのですから」


 ディーターはもう何度目かという台詞を繰り返す。レイは魔王の護衛官という特性か、もしくは元来人間嫌いなのか、青空のことを初対面の時から毛嫌いしている。


「ふん。そんなこと知るか。自由にさせた結果がこれだ」

「そんなにも不満ならばついてこなくてもよかったのでは?」

「俺は陛下の護衛だ! 俺がいなければ誰が陛下を護るというのだ!」

「陛下はご自分の身くらいご自分で護れますよ」

「……」


 しれっと言うとレイが苦い顔をする。魔王の力についてはレイだって十分に知っている。

 その魔王ハディルは黒竜には乗らずに一人宙に浮いたままの状態でリュデンシュベル帝国の宮殿を見下ろしている。


 黒竜たちはハディルの命に従いリュデンシュベル帝国の宮殿の上空をぐるぐると回っている。地上の人間たちは突如黒竜が群れで襲ってきたと思い恐慌状態に陥っている。

 一応威嚇だけで実害を出さぬようハディルが黒竜に厳命をしているため、いたずら好きな個体が個別に人間を脅かしはしているものの、危害は加えていない、たぶん。たぶんというのは逃げ惑う人間たちがそろそろ怪我でもしそうなくらいにパニックに陥っているように感じているからだ。


「陛下。青空様の気配は感じますか?」


 ディーターはハディルに声を掛ける。

 この二日というもの魔王が魔王らしくぴりぴりとした空気を無条件に放っており、なかなかに怖い。当たり前だ。大事な妃を目の前で攫われたのだから。人間との間には不戦協定が結ばれているから安易に攻め込むことはできない。そこでディーターは方便を使うことにした。青空は聖女だけれど、レギン城内での彼女はハディルの妻だった。魔王の妻が人間の国によって攫われたというていで一行はリュデンシュベルの宮殿の上空までやってきた。嫌がらせと脅しの一環で黒竜を連れて。


 ディーターはちらりとハディルの様子を伺う。今のところは冷静に見える。青空が攫われたとディーターはハディルによって夜中にたたき起こされた。

 あのときディーターは全てを聞かされて、そして悟った。青空が連れ戻されたことを。最初こそ激昂したハディルだったが、その後は波の立たぬ水面(みなも)のように静寂に包まれていた。正直なところディーターにも彼の胸の内を計ることはできなかった。

 彼は時折青空から贈られた指輪を見つめ、それから大事そうに撫でている。


(なんていうか……初恋を知った少年のように純情なんですよね……)


 己よりずいぶんと年上の魔王に向かってその言い草はどうなのか、とレイ当たりから突っ込みを受けそうなものだがディーターの所感としては最近のハディルの言動はまさしく少年、初恋を知るという図にしか見えない。すぐ近くの黒竜の上ではレイがひたすらにその様子を見なかった主張するかのように顔を別の方向へ向けている。彼の中では孤高の魔王のイメージがガラガラと崩れ落ちているに違いない。


 ディーターとしては良い傾向だと思っている。

 これまで何に対しても興味も執着も持たず、始終退屈そうにふらふらとしていたハディルが異世界の人間に興味を持ち、徐々に打ち解けていった。青空に嫌われるのが怖いと逃げる魔王に、さすがのディーターもどうしていいのか分からず書物室に駆け込んで書物室の番人に思春期の少年を子に持つ心得的な本はあるかと聞いてそんなものあるわけないだろうと追い出されもしたが。


「青空の気配だ」


 ハディルの声にディーターは物思いから思考を切り替える。

 下を見下ろすと建物の中から幾人かの人間が出てくるのが見えた。豆粒のように小さい。


「おまえたちはこれからの俺の行動に一切手を出すな」

 ハディルはそれだけ言って降りて行った。


◇◆◇


 青空が再びリュデンシュベル帝国の宮殿へ戻ると青空が異様に暗かった。窓の外から指す光が弱弱しかったからだ。その理由はすぐにわかった。宮殿の上空を黒竜の群れが飛び回っていたからだ。

 ハディルだと思った。彼が青空に会いに来たのだ。


「あなたの考えが変わってくれてよかったわ」


 渋々取引に応じたアレキクリスに対してディーテフローネは満面の笑みを浮かべ、神官から確かに黄金族が代々守る〈光の蝶〉の本体を受け取った。

〈光の蝶〉の本体は五百円硬貨くらいの大きさの水量玉のついた首飾りだった。透明な水晶の中に蝶の本体のような透かし彫りが見えている。もっと大きなものを想像していた青空は内心驚いた。しかしディーテフローネが本当に大事そうにぎゅっと握りしめているから本物なのだろう。


「さて、聖女殿。戻ってきて早々ではあるが。早急にあれらをどうにかしてほしい」

 初老の神官が代表して空の前に進み出る。

「あやつらは異世界の聖女殿をかどわかし、妻にしたなどと言い張っておる。聖女殿に穢れを宿した憎き魔王め。聖女殿もさぞや怖い思いをしたでしょう」

「今回だって妻を返せなどという御託を並べて黒竜なんぞを宮殿の上空、そして帝都の空に解き放った」

 神官とアレキクリスが吐き捨てる顔には隠しもしない憎悪と嫌悪。


「あら。では、あなたたちも白竜を使って対抗すればいいのではないかしら」

 ディーテフローネが面白そうにまぜっかえす。黄金族の美女は首につけた〈光の蝶〉を撫でながら成り行きを見守っていた。


「……」

「あれはただの人間に服従などしない生き物だものね」

 うふふ、と笑うディーテフローネ。すぐ後ろの気温が一気にマイナスになったかのような空気が流れている。


(こ、怖……)


 魔王退治のまえに別の戦が起こりそうな気配がするのは気のせいだろうか。

 ごほんと、咳払いをして場の空気を換えたのはアレキクリスのほう。


「とくかく、だ。聖女殿。魔王ハディルを成敗してくれたら次に異世界への扉が開くまでの百二十三日の間、この宮殿で最上の客間を与えてそなたをもてなすと約束をしてやろう」

「で、でも」

「さあ。聖女殿。〈光の剣〉でございます」


 別の神官たちが聖具を運んでくる。

 見知らぬ人間たちに囲まれ、青空は聖女としての役割を突きつけられた。さあ、と有無を言わさずに宮殿の外へと連れ出される。帝都の宮殿の中庭などではなく荒野、もしくは魔王城に向かい魔王を倒したかったとアレキクリスは不満を露わにしていたがすぐ近くまでハディルが来ていると見張りの聖術使いが伝えていた。

 その場から動けずにいた青空は結局神官たちから引っ張られるようにして外へ連れ出された。


「どうして黄金族の女まで付いてくる」

 神官はあからさまに迷惑だという顔をした。

「あら、わたくしも一応関係者だもの。最後まで見届ける権利があると思うの」

「さすがは光の民は図太い神経をしているな」


 アレキクリスとディーテフローネは互いに、ふふふと微笑み合う。


 リュデンシュベル帝国の宮殿は長方形の建物が向かい合って並んでいる。向かい合うといっても両棟の間に広がる中庭は広大で歩くと数分はかかるだろうと青空が考えるほど。あまり建物が近いと人に迷惑がかかるかもしれないが、これだけ広ければ多少暴れても大丈夫な気がする。

 青空たちが庭園を進んでいると上空から影が近づいてきた。


「来たようだな」

 誰かが呟いた。


 青空は上を見た。地上へ近づいて生きた影、それは黒髪に赤い目をした一人の男だった。平素と変わらず黒衣を身にまとっている。彼の変わらない姿に青空は頬を緩ませそうになり慌てて身を引き締めた。


「さあ。聖女殿。あとは頼んだ。そなたも元の世界に戻りたいだろう?」


 神官たちは青空に〈光の剣〉を持たせようとする。

 青空は身をひるませた。これを持つともう後戻りはできないと思った。

 何の変哲もない剣だった。古めかしい剣は鈍い色を讃えていて、本当にこれが大事な宝物なのか、と思うくらいそこらへんにありそうな剣。普通宝剣といえば大きな石とかついていそうなものなのに、飾りの一つもない。それに、青空は軟弱な現代女子大生。特別これとって体を鍛えてもいないのに聖女だからと剣が扱えるのだろうか。


(これ、振り回せるのかな、わたし)

 青空はじいっと〈光の剣〉を見つめる。


「聖女、青空。剣を持て」


 青空がまだその場で迷っていると、ハディルが声を出した。

 固い声に青空はびっくりする。

 青空はてっきり彼が青空のことを連れ戻しに来たと思っていた。あれだけ仲良くしていたのだ。なにか挨拶くらいはあると思っていたのに、目の前のハディルは初対面の時のように感情の読めない顔で青空を見つめている。


「ハディル……様」

「剣をとれ。娘よ」

「さあ、聖女殿。魔王を前に何を躊躇っているです」


 業を煮やした神官の一人が青空の手に〈光の剣〉を握らせる。

 それまではただの古びた剣だったのもが、青空の手に触れたとたんに剣身が白く輝き出した。中に電池でも仕込まれているのではないかと青空は疑ったが、すぐにここは異世界だったと思い直す。


「な、なにこれ!」

「これこそが聖剣〈光の剣〉の本当の姿」


 おおお、とどよめきが生まれた。周囲の人間たちが初めて見る〈光の剣〉の真の姿に感動をしていた。

 青空自身も驚いた。重いだろうという予想に反して〈光の剣〉は軽かった。それどころかぴたりと手に吸い付くようでもあった。片手で軽々と持ち上げられるくらい軽くて、それそれで不安になる。現代人の感覚としてはそのへんのおもちゃレベルに感じられたからだ。


 それでも。


(なんだか、体の奥がぴりぴりする……)

 青空は少しだけ顔をしかめた。


 〈光の剣〉が発動したことでここからは聖女と魔王の対決になる。青空を取り囲んでいたリュデンシュベル帝国の人間たちは後ろへと下がった。二人の対決を見届けるという役目はあるが、あまり近づきすぎると今度は自分たちが巻き込まれるからだ。


 ハディルは青空の周りから他の人間が遠のいたことを確認すると彼と青空の周りに黒い闇を発生された。霧のようなそれが青空とハディルを取り囲む。高い壁のように二人を外界から隔絶した。

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