ハディルの回想2
「俺はよ……そのことに気が付いて……結局は俺自身も嵌められたんだぁ」
はめられた男は上司の側役を斬ってしまい、そのまま逃げた。逃げて逃げて、気が付いたらまったく知らない国へとたどり着いていた。それがこの世界だった。
「ただ……もう一目、うちのもんに……会いたかった」
会って、ごめんと言いたい。愛しているとちゃんと言ったことが無いから、最後くらいは伝えたかった。そう言って勇者は息を引き取った。
勇者はさぞハディルを恨んだことだろう。
勇者は最後に女の名前を呟いた。それが、妻の名前なのだろうか。ハディルはこれまで何も与えられなかった。両親はハディルが物心つく前に死んでしまった。ただ逃げること。それだけがハディルに課せられていた。混沌の力を受け継ぐ日まで隠れておれ、と当時ハディルを匿ったフォルト家の当主に言われた。
ハディルはその後人間の国々へ不戦協定を持ちかけた。
正直戦には飽きていた。お互いに干渉などするからいけないのだ。
ハディルの主張に六家も異を唱えなかった。オランシュ=ティーエの国内も荒れていたからだ。人間の国々も荒れ果てていた。互いに疲弊していた。
そうして互いに何の干渉もないまま二百年以上が経過した。
ハディルは己の指にはまった指輪を眺めた。青空が贈ってくれた夫婦の証だという指輪。青空の心がつまっているそれはハディルにとって何にも代えがたい彼女の持つやさしさの証。
「陛下、青空様を迎えに行くのですか?」
ディーターが部屋へと入ってきていた。
青空が黄金族に攫われてからハディルは即座に動いた。配下を叩き起こし、青空が誘拐されたことを説明し、何でもいいから情報を持ってくるよう命令をした。
そうして部下を総動員して得た情報は。やはりというかリュデンシュベルが水面下で動いているということだった。
ハディルは当初ここまで青空のことが大切になるなどと予想もしていなくて、横取りした聖女をレギン城に置いていることを公言こそはしなかったが、秘密にもしなかった。魔王が気まぐれに異世界から召喚した人間の少女を城に置いている、という噂はちょっと探ればすぐにつかめたことだろう。もちろんその後その娘をハディルが妻にしたことも。
リュデンシュベルは表立って動けない。不戦協定を無視して聖女を召喚したのはリュデンシュベルの方だからだ。いくら魔王が聖女を横取りしても真正面から返せとは言えない。そして人間の聖術の使い手と言えど少数でレギン城へ忍び込み聖女を奪還するには時間と労力がかかりすぎる。だから彼らは黄金族を使うことにした。人間よりも力の強い種族で、そして光の神由来の力を受け継いでいる。
「もちろん。青空は俺の妻だ」
「それ、最初は何の冗談かと思ってしましたが。今となっては頷いてしまいますよねぇ。まさか陛下がこんなにも青空様を大事になさるとは思いもしませんでした。てっきりすぐに飽きてぽいっと捨ててしまうかと思っていたのですが」
「俺はおまえみたいにいい加減な男ではない」
「私は別にいい加減ではないですよ。恋多き男なだけで」
ディーターはしれっと言い放つ。
「おまえの言ったことを実行すると青空がいつも苦情を言う。おまえ、本当は女の扱いが下手だろう」
ハディルが指摘をするとディーターは「心外です」と反論した。かなり不本意なようで本気も本気で「私ほど女性の扱いに長けている人物はいませんよ! 青空様が特別に初心で純情だったというだけで」と弁明をした。
ハディルは机の上に引っ張り出した青空のノートに手を這わせた。
「結局陛下のしたことも無駄になってしまいましたね。青空様はリュデンシュベル帝国へと連れていかれてしまわれましたし」
ディーターの声が背中に届いた。
異世界との距離が近づく時期が近付いてきたとある日。レギン城に勤める役人が伝えに来た。リュデンシュベルで不穏な動きがある。彼の国が再び異世界召喚を企てていると。
異世界召喚の術式は人間の専売特許ではない。むしろ魔王の力を持ったハディルの方が容易に実行できる。ハディルの頭の中に二百年以上前に出会った勇者の顔と、そして最後の時の表情が浮かんだ。男は魔王に死んでくれと願い、結局愛する者と再会することなく死んでいった。その瞬間、ハディルは勇者召喚を横取りすることを思いついた。
あのような感情を向けられるくらいなら。何も知らない異世界の人間をレギン城に閉じ込めてしまえば。そうしたら面倒なことは何も起こらない。今のゆるりと惰性で過ぎていく退屈な日々のままが一番ではないか。
そうしてハディルは異世界人を人間たちから横取りすることに成功した。
「まさか、今回召喚された異世界人があれほどまでに年若い娘だとは思わなかった」
「それはたしかに。ビックリしましたねぇ」
ハディルの独り言にディーターが丁寧に返した。あの時は驚いた。丸腰のなんの訓練もされていない、ただの小娘が現れたのだから。
ハディルは青空と出会ったあとのことを思い出し、口の端を持ち上げた。惰性で過ごしていたのに、ずいぶんと己の生活は変わった。こんなひ弱な小娘を放り出したら死ぬな、と思って慈悲を与えた。その後青空は料理を使ってハディルの側近たちの心をあっさりと掴んだ。ハディル自身、生き生きとした顔で厨房に立つ青空と彼女の作る菓子に魅了され、そしていつしか彼女自身が大切でたまらなくなった。
人生の終わりにもう一度会いたいと願う相手。あの時の勇者の気持ちが今ようやくハディルには分かった。
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