黄金族との再会
日ごろのお菓子のお礼にと昼間っからヒーラーたち侍女集団から特製ゴージャススパタイムをプレゼントされた帰り道。
青空は一人中庭を歩いていた。
お肌はしっとり潤ったけれど、青空の気分は晴れない。
それというのも先日のお花見でハディルが変なことを言うからだ。
彼はまだきっと恐れている。いろいろなことを。けれども、それだけは無いと思うのは気のせいなのだろうか。
(怖ければ逃げればいいって言えば済むのに……どうして弱点を教えたんだろう)
青空はなんの力も持っていないのだからハディルに対抗なんてできないと思うのに。
それよりも青空はハディルに心安らかに過ごしてほしい。
自分にできることは何なのか。何をしたらハディルは笑ってくれるだろう。
「やっぱりお菓子かなぁ」
そういえばグランゼにお願いをしていたマドレーヌの焼き型が出来上がってきた。青空が紙にこういう焼き型が欲しいと描いたものをグランゼが街の職人に言って作ってもらってきたのだ。
(そうだ。アーモンドに似た木の実とかも探したいなあ。ルシンにお願いして木の実を取り寄せてもらおうかな。あ、でもまたアギレーシュの街に行って今度は食材の市場とか自分の目で見てみたいかも)
青空がふと顔を上げるとまたあの蝶がふわふわと飛んでいた。
「あれ」
この蝶、前にもお城で見かけたな、と青空は近づく。
透明な羽が虹色に透けている。美しい蝶だ。
今度は青空が近づいても蝶は逃げなかった。すると青空の周囲から音が消えた。
世界から隔絶された様に、白い空間に青空一人が佇む。
―いらっしゃい。街へ。街は楽しいわよ。あなた、お料理をするのが好きなのね―
楽器のように美しく澄んだ声が聞こえた。
「はい。わたし、ハディル様のために美味しいものを作ってあげたくて」
青空は見知らぬ声に答えていた。
―そう。素敵ね。あなた、魔王ハディルのことが大好きなのね―
「えっ」
青空はうろたえる。
―うふふ。可愛いわね。わたくしがあなたにこの世界の珍しい食べ物を見せてあげるわ―
それは楽しいかもしれない。アーモンドプードルをつくることができればマカロンやフィナンシェをつくることもできる。それにこっちの世界の果物も色々と試してみたい。
青空はふらりと足を踏み出す。
「青空様?」
「え……?」
後ろから声を掛けられた青空はあたりを見渡した。
レギン城の中庭の景色が視界に飛び込んでくる。後ろから声を掛けてきたのは青空付きの侍女の内の一人だ。黒い髪に赤い目をした魔族の少女。
「どうかなさいましたか?」
「ううん。なんでもない」
「では、そろそろお部屋に戻りましょう」
青空は侍女と一緒に部屋へ戻ることにする。
誰かと話をしていたと思ったのだけれど、白昼夢でも見ていたのだろうか。
青空が去って行った中庭には美しい蝶がふわふわと浮いていた。
◇◆◇
青空が再びアギレーシュの街へ行きたいとハディルに伝えると彼は思い切り機嫌を悪くした。街は危険だと主張するハディルに青空は前回の実績を踏まえて頑なに大丈夫だと言い張った。
自分でも不思議なことに、何が何でも街へ行って自分の目で食材を確かめないといけないという気持ちになっていた。青空とハディルの主張は平行線をたどったが、こういうとき折れるのはハディルの方だ。渋々ながらも了承してくれた。
ヒーラーとヒルデガルトを連れていくことというのが条件だった。
そういうわけで青空は二度目の街散策へやってきていた。
今日の青空はレギン城で過ごしているときよりも地味な色の服を着ている。袖なしワンピースとブラウスを合わせて、ウエストをリボンで縛っているスタイル。その上からマントを羽織っている。ちなみに今回、青空の瞳の色はヒルデガルト特製の目薬で赤く変えてもらっている。それでも見る人が見ればこの色が地ではないことはバレるのだという。マントもヒルデガルト特製の魔法が織り込まれていて、青空の中に入っているハディルの魔力の気配を消してくれているのだという。これは最初のお出かけの時にも羽織っていたものだ。
「このお金でどのくらい買えるのかな」
青空がポケットの布袋から取り出したのは金色に光る、要するに金貨だ。
「うむ。それくらいあれば闇トカゲの尻尾が十本ほど買えるのじゃ」
「へ、へえ……」
ヒルデガルトの答えに青空は頬を少しだけ引きつらせた。彼女の物価基準は基本的に魔法の薬やら道具の原材料だ。林檎がいくつとか、小麦が何キロとかそういう目線での回答が欲しかった青空だ。
「はいはい。お二人とも。そもそもこのような市場で金貨は不要です。プレジ貨で十分に事足ります」
「ヒーラーさん頼もしい」
前回のお買い物は指輪で、その時には金貨で結構な枚数を払った。指輪二つ分なのだから値が張って当たり前だ。しかもディーターが紹介をしてくれた宝飾品を取り扱う店はどれも一級品ばかりを扱う店だった。
プレジ貨というのは銅のような色をした硬貨で、庶民はこれで事足ります、とヒーラーは断言をした。往来でむやみに高価なお金を見せていると物取りに狙われると口を酸っぱくして注意をされた。彼女はレギン城を出たときから気が立っている。ハディル直々に青空を守れと言われたのだから当たり前だ。
「それにしても青空は研究熱心なのじゃ。青空の料理好きはクヴァント族の研究好きにも通じるところがあるのじゃ」
「あはは。そんなにもすごいことをしているわけじゃないんだけれどね。わたしいまのところ取り柄って料理くらいしかないし。ハディル様に喜んでもらいたいし」
「青空様は健気ですわね」
青空の答えを聞いたヒーラーが瞳をうるうるさせる。
「うむ。あんな陰気臭い男のどこがよいのかは分からぬが。青空が美味しい菓子を作ってくれるのは嬉しいことじゃ。……んんっ、あれは、古本市か?」
ヒルデガルトはものすごい嗅覚を発揮し遠くで開かれている古本市を見つけて人の波を押し分けて前に進んで行った。あっという間の出来事に残された二人は目が点になる。
「二人とも後程合流しようぞー」
というヒルデガルトの声だけが残された。
ヒーラーはため息を吐いた。やはり当てにならないと内心首を振っていることだろう。
青空は気を取り直して食材を扱う市場へ向かうことにする。
「青空様。こちらですわ」
「え、あ、はい」
青空はヒーラーの案内に従って街を歩いていく。外城壁の中の細い路地。狭い道にはぎっしりと屋台が並んでいる。連なった建物はどれも三階建てで、空いた窓の奥から女や子供の声が聞こえてくる。
レギン城の中とは比べ物にならないほどのにぎやかさだ。レギン城もこの城壁のもっと内側に位置をしているというのにとても静かなのだ。背の高い城壁に囲まれたレギン城だから外の喧騒が届かいのだろう。
青空は間違いなくヒーラーと一緒に歩いていたはずなのに、いつのまにか彼女の姿が無かった。それなのに青空は不安になることもなかった。なぜだろう。青空はぼんやりと外城壁の街中を歩いていく。
「あら。あなたはこの間の人間のお嬢さん」
「また会ったね」
道の前からやってきたのはフードを被った男女。二人は青空の顔を見るなりフードを外した。青空も同じようにフードを頭から取り払う。どうしてだろう、自然とそうしなければと思ったのだ。
「こんにちは。お買い物ですか?」
「ええそう。ああそういえば、まだ名乗っていなかったわね。わたくしはディーテフローネ。こちらはアレルトルード」
女、ディーテフローネは瞳を細めた。
「なにかいい食材は見つかったかしら」
「いいえ。これから探しに行くところなんです」
青空はあれっと思った。目の前のディーテフローネに今日の外出の目的を伝えただろうか。
「では我が家に来ないか。私たちはこの街で商売をしていてね。各地から珍しい食材を取り寄せているんだ。人間の国の食材もあるよ」
「人間の?」
「ええ。魔族の国と人間の国にもほんの少しだけれど商取引もあるんだよ」
青空は関心を示した。
魔族の国で暮らしていて、人間の話などほとんど聞かない。そして人間というだけで珍しがられたり下に見られたりすることもあって、魔族の人たちは人間に対してあまり良い感情を持っていないのかな、とも感じていた。もちろん青空に優しくしてくれる魔族も多いのだが。ディーターや双子、ヒーラーたちなど。
「青空様!」
金切り声が聞こえた。
ぱっと振り返ると鬼のような形相をしたヒーラーがこちらへとやってくる。
「青空様。お探ししました」
「あら、あなたは青空の従者かしら?」
ディーテフローネがヒーラーに視線を向ける。
「ええそうです。お嬢様の外出をよく見張っておくように、仰せつかっております」
「よく見張る? あなた、青空。まさか魔族に囚われているの?」
ディーテフローネの顔が曇る。青空は慌てた。ヒーラーの言い方が悪かったのだ。
「い、いえ。別にわたしは自由ですよ。その、わたしの……夫? が、少々心配性なものでして」
友人でもよかったのに、ハディルのことを夫と称してしまい青空の顔がゆでだこのようになる。
「ねえ、あなたも一緒にいらっしゃいな。青空は自由なのでしょう?」
「そ、それは……そうですが」
ヒーラーはまだ警戒心を解かない。
「黄金族がこの王都にいったい何の用があるのでしょう」
「私たちはただの商売人だよ。人間よりも魔族に関して寛容な種族だからね。こういう両国間を行き来するのに向いているんだ」
「黄金族は魔族ではないんですね」
青空は口を挟んだ。前に会ったときにも疑問に思ったのだ。
「ええそうよ。そういう話も含めて我が家でお茶でも飲んでいらっしゃいな」
ディーテフローネは青空に向かってウィンクをした。
「じゃあ、その。お言葉に甘えて」
目の前の黄金族の美男美女に興味を抱いた青空は、そう答えてからヒーラーの顔を伺った。
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