二つの世界の価値観
「こんにちは。青空様」
「ディーターさん、大丈夫ですか?」
もう何日家に帰れていないのか、と思わせる顔色をしている。この世界に労働基準法とかあるのかな、と青空は心配になる。
「お気遣いありがとうございます。まあ、なんていうか色々と大変でして」
「わたしのせいですみません」
青空は平謝りだ。
レギン城がざわついているのは肌で感じて知っている。具体的なことまでは青空には教えてくれないのだがオランシュ=ティーエの政治を動かしている六家と呼ばれる貴族階級の家の一つが魔王に喧嘩を売った。魔王の不興を買ったヘルミネの生家と彼女の処分。そのことでこの城が揺れている。
「あなたのせいではありませんよ。今回のことは現在の魔王陛下が大人しいのをいいことに調子に乗ったザイフェルト家の落ち度によるものですから」
ディーターはきっぱりと言い放った。
「それで、あの。ヘルミネさんはどうなったのですか?」
「ええ。あなたも自分のことに関わることなのに何も聞かされないのはご不満でしょう。今日はそのことを伝えにきたのですよ」
ディーターはそう言って青空を先導して歩き始めた。
青空は彼についていく。中庭の奥の奥へとやってきた。きちんと手入れをされた庭園の一画にベンチが設えられている。青空とディーターは並んで座った。
「ヘルミネ嬢は生きていますよ。青空様の要望通り刑に服することになりました」
「そうですか」
青空はほっと肩を落とした。かなり怖い思いをしたけれど、いや殺されかけたけれどヘルミネが死刑となれば寝覚めが悪い。一応、未遂で済んだわけだし。
「青空様は甘いですよ」
ディーターの指摘はもっともだ。
「そんなことないですよ。さすがのわたしも、もう彼女に命を狙われたくありません。ほんっとうに怖かったんですから」
青空はそこのところは強調する。だから一応牢屋からは出てきてほしくない。牢屋から出さなければ死刑にすることは無い、とレギン城に帰ってきたとき彼に伝えた。
青空の言葉を聞いたディーターは「ええ。彼女は死ぬまで牢から出ることはないですからご安心を」と言って微笑んだ。
「そ、そうなんですね」
刑に服するとはいってもまさか生涯だとは思ってなかった青空は慄いた。
しかしこの国の制度に従って刑が決まったというのなら青空が口出しをすることではない。
「まあ後はザイフェルト家の今回の失態に乗じて他家がここぞとばかりに彼の家を潰そうと声高に叫んだり、六家ばかりが優遇されていると別の種族が意見をしたり。そっちのほうが大変だったといいますか。どこも皆、自分の家の利益しか考えていませんから」
あははとディーターは力なく笑った。
聞けばザイフェルト家の当主は代替わり。そのザイフェルト家事態を取り潰して己の家を後釜に据えようとする国内の有力者、または六家制度そのものを廃止すると主張をする者、六家ではなく七家やら八家やらこれに乗じて特権階級枠を増やそうとする者など、皆己の意見を通そうとして、そちらのほうがむしろ大変とのことだ。
「じゃあザイフェルト家はお取り潰しになるんです?」
「うーん。どうでしょう。元が強く古い家柄でしたし。ザイフェルト家の一族は六家に残留することを叫んでいますが。これは今後の各家の駆け引きになるのではないか、と。青空様の元にも陳情しに行こうとする者がいましてね。私たちが全力で止めておりますが。とにかく、変な魔族には近づかないように。ヒーラーやお付きの女官、ルシンやヒルデガルトと常に一緒にいることを心がけてください」
ディーターの要件とは事件は片付いたが、今後とも政治的な意味で魔王の妃である青空に近づこうとする輩が現れる可能性があるから十分に気を付けること、忠告しに来たということだった。
「魔王陛下の今回の行動で、いかに陛下が青空様のことを想っているか十分にわかりましたから」
ディーターの断言に青空は頷くことはできなかった。
「それは……どうでしょう」
「青空様?」
青空の声が強張った。
「だって。ハディル様はわたしを避けています。わたしの作ったお菓子だって食べてくれません」
青空はうつむいた。
持って行ったお菓子を受け取ることも、青空と面会しようともしてくれなかったではないか。ハディルは。
そのことに堪えた。青空のことは避けていてもお菓子だけは食べてくれると思っていた。お菓子まで拒絶をされた青空はさらにショックを受けた。
「それは……」
ディーターは二の句を継げないでいる。
「わたし……ハディル様のことを怖いって思ってしまいました。あのとき、ハディル様の様子がいつもと違ったから。だから、助けてくれたことへのお礼も言えていなくて。そんなわたしのこと、ハディル様は顔も見たくないほどに嫌いになっちゃったんでしょうか」
「いえ。違います。陛下は青空様のことを嫌いになっていません。それだけは確かです」
「でも。会ってくれません」
「青空様。いまでも陛下のことを怖いと思っていますか?」
「わたし、ですか?」
ディーターはゆっくりと頷いた。
「魔王陛下が本気を出せば私たちなどひとたまりもありません。それくらい強大な力を秘めています。今の陛下はやる気を見せないだけで、本当は強い力を秘めていますから」
そのやる気のない態度が続いたおかげで魔族たちは増長した。今の魔王は簡単に懐柔できる輩だと。多少おだてておけば手のひらで転がせる、ちょろい奴だと六家の者たちはつけあがった。
「今回のことで皆目が覚めたでしょう。そして、青空様。陛下は青空様が魔王の本性を見たことで、あなた様が今後も陛下を恐怖の対象として見ることに恐怖を抱いておられます」
「え……?」
青空には、ディーターの言っていることの意味がわからなかった。
「要するに、陛下は青空様に嫌われたと思って逃げておられるのですよ」
なんの冗談かと思ったがディーターは真面目な顔を崩さない。
「青空様は陛下のことを怖いと思いますか?」
「わたしは……」
あのときは確かに怖かった。普段は物静かなハディルが変貌したからだ。顔かたちもそうだが、はっきりと人を殺そうとしていたことに恐怖を覚えた。
それは青空の常識からいえば非日常なことだった。
青空はあのときの心情と自分が育ってきた世界で培った感覚をディーターに伝えた。
「そうですか。平和な世界で育ったのですね。青空様は」
ディーターは穏やかに返した。なんとなく、青空は居心地が悪くなって肩を揺らした。確かに青空の育ってきた日本という国は平和だった。戦争とは無縁だったし、青空は両親に不自由なく育てられた。
「この世界では、戦はとても身近なものですよ。今は奇跡的に平和が保たれていますが、三人おられる魔王のうちの誰かが気まぐれに他の魔王に喧嘩を売って、大陸が荒れることも考えられます。人間の国の中には魔王の存在そのものを厭い、こちらに戦を仕掛けてくることもあります。それ以外にも魔獣が暴れて多くの魔族や人間が死ぬこともありますから」
この世界で死とは日常からかけ離れたものではない。
「陛下は魔王です。魔王とは上に立つ者。その魔王の考えに背いたのです。報いを受けるのは当然ですよ。でないと、秩序が保たれない。また、上に立つ者は多くの決断を背負うことにもなります」
何かのきっかけでかりそめの平和は簡単に翻ってしまう。ディーターの言いたいこと青空はなんとなく理解した。魔王はその存在ゆえに誰かを手にかけることもある、ということをディーターは青空に伝えている。
それを青空が是と言うか否と言うかは関係が無い。必要であれば魔王は誰かを手にかける。それは彼が魔王という、魔族を統べる役目を負った者だから。
ディーターは青空に改めて問う。そんな魔王ハディルを恐ろしいと思いますか、と。
すぐに答えることはできなかった。
「……」
青空は自分がどれだけ優しい世界で過ごしてきたのか、はっきりと自覚をした。
青空はよろよろと立ち上がった。ディーターは追いかけてはこなかった。
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