レイの忠告

 その日の夜、寝支度を整えた青空はヒーラーに手を繋がれハディルの寝室へと連行されていた。

 青空の私室にて着替えやらお風呂やらを済ませて最後眠る段階になってハディルの部屋に行くとはこれいかに。


「もうまもなく陛下のお部屋も夫婦仕様に改造が終わりますから。そうしましたら青空様はいつも陛下と一緒にいることができますわ。」

「い、いえ。お気遣いなく。今のお部屋で十分満足ですから」

「青空様の趣味に合うよう陛下のお部屋のお隣に青空様用の衣裳部屋と私室を準備しておりますわ。皆張り切ってあれやこれや意見を出すものですから少し時間がかかってしまいましたけれど」


 ヒーラーは鼻歌交じりに回廊を進む。

 青空としてはやっぱり気が進まない。


(完全な成り行きで夫婦になっていうことヒーラーってばすっかり忘れているよね? いるよね? って問いただしたいけど……善意なんだもん……。はあ……どうしよう)


「陛下は青空様のことをそれは大事に想っていらっしゃるのですわ。毎日毎日一緒に眠ろうなどと」

 ヒーラーの方が恋する乙女のように頬を染めてうっとりしている。

「本当にただ一緒のベッドで眠っているだけだからね」


 そこだけはしっかりと念押ししておく。主にヒーラーが青空の世話をしているのだから、二人の間に正真正銘艶めいたことなどないということはヒーラーだって十分にわかってはいるのだけれど。


 そもそもどうしてこういうことになったのだろう。

 原因はハディルが青空を興味本位でこちらの世界に召喚したことから始まった。最初はなんて酷い、と思ったのにその後の待遇が良くて最初のハディルの非人道的な動向が薄れつつある。


「うふふ。照れている青空様も可愛らしいですわ。ですが、陛下の青空様への態度は本当にほほえましいですのよ」

「う、うーん。確かにハディル様は優しいですけど」


 素っ気ない態度が地のものだとわかるとそれほどまで怖くはない人だと思うようになってきたし、最近では会話も続くようになっている。改めて考えると魔王相手にすごいことだと思う。


「異世界から愛おしい女性を召喚して妻にするだなんてなんて、なんて情熱的」

「え、違いますよね。さすがにその改変はどうなんですか」


 ヒーラーの思考回路がおかしいところで歪んでしまっていることに青空は慌てて突っ込みを入れる。そもそもの原因はハディルが独身街道まっしぐらで縁談をのらりくらりと躱していたことだ。その彼が異世界から召喚したのが青空のような小娘でハディルの嫁の座を狙っていた魔族の娘たちが暴走した。この結婚は完全なるとばっちり。ロマンティック要素の欠片もない。


「初心な青空様のお心に合わせて、寄り添って眠るだけという陛下の姿勢もまた紳士的」

 ヒーラーは陶酔しきっていた。


(だめだ……全部がヒーラーさんに超解釈されている……)


 青空は匙を投げた。


(大体、あの人の行動って、ほぼほぼディーターさんの言葉の影響によるものだし)


 そもそもハディルの行動は大体がプレイボーイディーターのいらぬ助言に基づくものなのだ。律儀に実行するハディルにも問題はあるけれど、あの調子だと青空に出会う前だって同じように女の子を口説いていたのではないか、と考えて青空はなんだかもやもやした。青空にしたのと同じように誰かを胸に抱いて庇ったり、夜空を散歩したり。


(あれ……。なんで、もやもやするんだろう。変なの)


 青空とヒーラーはもうすぐハディルの部屋だという廊下で足を止めた。

 進行方向にレイが立ちふさがっていたからだ。


「レイ、さん」


 がちゃり、と金属の音がする。レイは鎧を身にまとっているから身動きをすると音がする。同じ一角族でも細身のヒーラーとは違い、彼は筋肉隆々で背も高いため青空はいまだに彼に苦手意識を持っている。レイだけは頑として青空の作ったお菓子を食べようとしない。


「お妃さま」


 レイは眉間にぎゅっと皺を寄せたまま。それが平素の顔といわれたそうなのかもしれない。青空は彼が相好を崩したところを見たことが無い。

 彼はその場から動こうとしない。


「レイ。そこをお退きなさい」

「それが族長の息子への口のきき方か?」

 ヒーラーの言葉にレイの表情が一層険しくなる。

「それがなんだというのです。わたくしは奥様の侍女ですわ。わたくしが尊重すべきは奥様です」

 対するヒーラーは冷笑を返した。

「俺はまだそこの人間を認めていない」

 レイが吐き捨てる。


 初めて青空がこの世界にやってきたときから一貫して彼の主張は変わらない。


「人間だぞ。この娘は。魔族と人間はもうずっと、それこそ有史以来対立をしている」

「まあ。それがなにか?」

 ヒーラーはころころと笑った。

「あなたの人間嫌いにも困ったこと。互いに不干渉を貫いているじゃない。それに、青空様はこの世界の人間ではなく異界からいらしたお方。陛下が見初めた麗しい乙女なのですわ」

「ふん。何も知らない小娘が」


 それはどちらに対する言葉なのだろう。確かに今レイは青空を見ながらその台詞を吐いた。青空は身を強張らせたままその場で固まったままだ。


 レイは青空に視線を据えたまま再び口を開いた。

「おまえはな、陛下が暇つぶしでこの世界に召喚したのではない。いいか、お前を召喚したのは―」


 話の途中で突然レイは己の喉を手で押さえる。苦しそうに息を吐く。それから吸う。はくはくと、口を何度も動かす。


「何事?」

 突如声を失ったレイに対してヒーラーが眉を顰めた。

「だ、大丈夫ですか?」


 ただ事ではない事態に青空はレイに駆け寄る。

 レイは近寄った青空を近づけないように片方の手を前に払った。青空はびくりと立ち止まる。

 レイが背中を向けている先の扉が開かれる。


 ハディルが出てきたのだ。


「ハディル様。あ、あの突然レイさんが苦しみだして」


 青空は事態を説明した。

 レイは何かを言おうとするが、喉からは息が漏れる音しか聞こえない。


「俺を怒らせるな、レイ。俺の言いたいことが分かるな」

 ハディルの言葉に、レイは瞳を閉じて頷いた。それから数秒。

「……かしこまりました」


 レイが再び声を発した。

 レイに言葉が戻ったことで青空はふうっと息を吐いた。結局なんだったのだろう。レイはハディルに敬礼をしてその場から立ち去った。


「青空。待ちくたびれた」


 その言葉に青空は背筋を正した。なにやらいろんな意味にも取れる言葉だけれど青空は慌てて首をぷるぷると振った。


(他意はない。他意はないのよ青空。ハディル様はほんっとうに何にも考えていないんだから)


 青空は呪文のように他意はないと繰り返してハディルの部屋へと入っていった。

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