寝台上の攻防戦

 青空の体内に宿ったハディルの魔力が暴発したその日の夜。

 魔法によって瞬く間に修復されたハディルの私室で、全身の毛を逆立てた牙猫きばねこのように警戒心たっぷりに青空はハディルを威嚇していた。牙猫とはその名の通り立派な二本の牙を持つ猫のこと。この牙から毒を分泌し牙猫は外敵から身を守る。


「どうして、ハディル様と一緒に眠らないといけないんですかっ!」


 枕を両手で抱え込んだ青空は、ヒーラーたちによってハディルの私室へ放り込まれた。

 魔王の妃に選ばれたことを我がことのように喜ぶ一角族の娘に、青空は逆らえなかったらしい。しかし彼女は扉の近くで固まったまま。こちらに近づこうともしない。


「俺たちは夫婦になったからだ。夫は妻を抱きしめて眠るものだとディーターが言っていた」

「それはまあ確かにそうかもしれませんが、わたしたちの場合色々なことが間違っていると思います!」


 青空が珍しく叫ぶ。彼女は基本的に穏やかなのだが、今日はすこぶる機嫌が悪い。ハディルは首をかしげたくなる。


「さっきも説明しただろう。俺は眠っている青空に対して何も手を出していないと」

 心当たりを指摘すると青空の顔が赤くなる。白くなったり赤くなったり青空の顔は忙しい。


「そ、それは……」

「魔法でも見せただろう」

「あ、あの映像は要するにハディル様の瞳に映ったものをわたしに見せてくれってことですよね。ということは、ハディル様が目を閉じながらことに及んでいたら映像として残らないわけで」


「俺は女を抱くときは目をつむらない」

「そ、そういうことが聞きたいんじゃないですっ!」

「青空が言ったんだろう」

「うぅ……」


 ハディルが青空に与えた魔力が昼間暴発した。三日間眠りこけていた青空は、その間に初夜を迎えたと勘違いをして魔力を暴発させた。おかげでハディルの部屋は黒焦げになったが、ハディル自身に害はない。元は己の魔力だ。いくらでも防ぎようはある。現在魔王という身分でもあるハディルは咄嗟に青空と己の周りに結界を張ったのだ。力を使って再び倒れて、起きた青空にハディルは魔法を使った。


 自分の左目を魔法で取り出し、自分の目に映った三日間の映像を流した。ちんたらしていると時間がかかるためそれなりに早送りはしたけれど。ハディルは潔白なのだ。意識のない青空がこのまま消えてしまうのではないかと思うと居てもたってもいられなかった。体温を確かめたくて、前にディーターに言われたことを実践したまでだ。己の胸の中に抱きしめて、胸が上下するのを確認すれば安心することができた。人間の中に魔族の力を入れる行為を軽く考えていたことを反省した。眠っている青空の意識が早く戻らないかと毎日やきもきした。


 しかし青空はハディルが真実青空に手を出していないということを、なかなか信じてくれなかった。当たり前です、と事情を聞いたヒーラーが怒り(平時とは違い魔王相手にひるむことなく怒ることの方にハディルは驚いた)、彼女がどう説明をしたのか、青空は一応はハディルの言い分を聞いてくれた。納得したと思っていたのだが、そうでもなかったらしいと知ったのは今現在のこと。


「せめてベッドは分けてください」

「どうして?」

「どうしてって。常識的に考えておかしいです。良く知りもしない男女が同じベッドで眠るなんて。だいたい……わたし……これまで男性とお付き合いをしたことだってないのに」


「俺たちはすでに夫婦なのだからおかしくはないだろう」

「でもハディル様のこと良く知りません!」

「俺は魔王で見た目のままの男だ」

「そういうことじゃなくってですね!」


 青空が叫んだ。ハディルには訳が分からない。出会って数日経過しているのだから互いに良く知りもしない、という間柄ではないだろう。青空は異世界の人間で、菓子作りが得意。ついでに怒るポイントが意味不明。これは今知ったことだが。


「大体、結婚ってそんな簡単にするものではありません。結婚って愛が無いと駄目だと思います」

「愛?」

「そう。愛です」

「なんだ、それは」

 ハディルは眉を顰めた。


「そ、それは……。お互いに大好きでたまらないとか。いつも一緒にいたいとか。相手のことを考えて行動するとか。人生の最後の瞬間に、あなたに会いたいと願うような。そういうことだと思います」


 話していくうちに青空の瞳が優しく和らぐ。ハディルに、というよりは何かを思い出して作った微笑み、というようなもの。そして、ハディルは青空の言った言葉に既視感を覚えた。


 昔、同じように人生の最後に会いたい人がいると願った男がいた。

 ハディルはそのときの男の顔を声が忘れられないでいる。


「青空には……死ぬ前に会いたいと願う男がいるのか?」

 気が付いたらハディルはそう尋ねていた。

「ええぇぇっ! わたしは……そ、そんな。そんな人いませんよ」


 青空は慌てて否定をした。ハディルは青空の態度に安堵した。その瞬間ハディルは内心首をかしげた。どうして、青空に誰も想う相手がいないことを聞いて落ち着いたのか。自分の気持ちはともかく、現状青空はハディルに対してそこまでの感情を持っていないということだ。そのことに気が付くと今度は体から少しだけ力が抜けた。


 ハディルは己の心身の変化に戸惑った。自分でもよくわからないが、青空の言葉一つでハディルはどうも胸の奥が重くなったり軽くなったりするようだ。理解不能で少し恐ろしくなった。そこでハディルは青空に現実的な状況説明をすることにした。


「とにかく、この部屋で眠ることは絶対だ。青空を妃にしてから六家の人間が毎日うるさい」


 現にヘルミネとかいう女の祖父がさっそくハディルの元へ面会にやってきた。六家というのはオランシュ=ティーエの政を取り仕切る特権階級の魔族たち。特権階級の家の数を総称して六家と呼んでいる。そして横並びの一族たちが考えることはただ一つ。他家よりも威張りたい。ではどうするか。魔王の妃に己の一族の娘が選ばれれば。それはとても魅力的な権威の象徴だった。


 よってたかってハディルの元に一族の娘を差し出そうとする魔族たちにハディルは辟易していた。娘を差し出すのは何も六家だけではない。オランシュ=ティーエに住まういくつかの種族の族長たちもまた娘を差し出そうとする。

 魔王の権威に縋りたい魔族というのは存外に多いことをハディルはこの地位についてから知った。そしてげんなりした。


「六家って……なんなんですか?」


 青空の態度が幾分軟化した。

 ハディルは六家についてかいつまんで青空に教えた。


「オランシュ=ティーエってハディル様が直接支配しているわけではないんですね」

「俺は国を治める教育を受けていない。生まれたときから先代魔王から逃げて暮らしてきた」


 ハディルは事もなげに言ったが青空にとっては衝撃的だったようだ。彼女は次の言葉を見つけられないでいる。


「俺の前の魔王は欲の塊のような男だった。手に入れた魔王の力を永遠に己のものにしておきたいと願った。次に生まれる魔王の力を受け継ぐ資格のある魔族を探しては殺していった。俺は生まれたときから命を狙われていた。俺をかくまったのはフォルト家の人間だ。一応俺も六家のうちの一つフォルト家の出身だ」

「魔王候補は六家から生まれるんですか?」

「たまたまだ」


 国も特権階級という制度もオランシュ=ティーエ特有のもの。この世界で一番大きな大陸リヴィースノピ大陸の半分の地域に魔族は住まう。もう半分は人間たちが国を作り住んでいる。魔族が支配する領域にはオランシュ=ティーエのような国もあれば獣型の魔族が跋扈する荒野もある。遊牧民のように一定箇所に留まらずに生きる魔族もいる。


 魔王だとて限りある命のある生物であることには変わりない。通常の魔族よりもかなり長生きにはなるが。力が衰えてくると、次の世代が生まれる。先代はそれを厭い、永遠を手にしようとしたが結局は体が衰えそれを嫌った混沌の力はハディルを選んだ。先代は自滅をしたのだ。


「先代魔王が君臨した約千年、オランシュ=ティーエは荒れた。荒廃した。先代が恐怖で土地を支配したからだ。他の二人の魔王にもしょっちゅう喧嘩を吹っかけていたと聞いている」


 魔王によって魔族の領域の治安は多大に左右される。ハディルも何度死にかけたか分からない。フォルト家の当主は次代を継ぐ資格のあるハディルを匿い、そして約束をさせた。荒廃しきったこの国を立て直すためにも、魔王というものは国の象徴であれ。直接国を統治することは魔王のしもべたる我々で行う、と。


「俺は特に政に興味があったわけでもない。だから専門家に任せることにした」


 ハディルはひさしぶりに過去を話した。

 いつの間にか、青空は枕をぎゅっと抱きしめながらも寝台に腰かけていた。

 ハディルは青空を己の方に引き寄せた。


「あ。しまった」

 今更だ。ハディルは青空を横たえた。

「平和になった途端に六家の連中は名誉を求め始めた。正直面倒極まりない。城の中には青空を妃にすることに反対している者もいる。だから眠るときは俺の隣にいろ」


 それに、ハディルは知ってしまった。

 青空が隣にいると胸の奥が暖かくなることを。


「今日は仕方が無いので、このままでいいです。とはいえ、ここからは絶対にこっちに来ないでください。あと、わたしが寝ているときに変なことをしないでくださいね」

「変なこと?」

「深く考えたら駄目です。……えっと、こっちに来なければいいんです。お互い背を向けて横になりましょう」


 青空は観念したらしく寝台の真ん中に枕をドンと置いた。ハディルは青空の横、ではなく枕の隣で眠ることになった。

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