第3話 チャイムが僕らを呼んだって

  午後6時45分。夕焼けが闇に急かされ、地平線へと消えていく。部活動は午後5時までとなっていて、大学受験生以外で残っているのは大会を控えた体育系の部活くらい。帰りのチャイムはとっくのとうに鳴り終わっていて、校内で駄弁っていた生徒も1時間前にばらばらと帰っていった。

それでも僕らは帰らない。

普段授業で使う校舎内の教室は3階まである。そう、『教室』は。3階の1つ上、日常を超えた非日常。『関係者以外立ち入り禁止』の立て札の向こうにある禁断の部屋。ほとんどの生徒は誰も知らない、開かずの間。そこに僕達はいた。

古びた金属同士が擦れ、思わず耳を塞ぎたくなる嫌な音が響く。それに合わせて徐々に天井の一角が縦に開いていき、今宵の月が顔を出した。

「三日月か。いや、正確には3日目じゃないけど。あのくらいの明るさだったら、近くの星が見えそうだな」

アオイはこの時間になるとさすがに起きていた。というかこの時間からが、彼の本領発揮である。

  毎年うちの部には星に詳しい奴が誰かしらやって来る。その一人がアオイだ。彼は夜空に散らばる星々を見るだけで、何座かをズバズバと言ってみせた。そんな奴が県内に二つしかない天文室と、お値段300万円の天体望遠鏡を無視する筈はない。決してふらっと部室に入ってみたら先輩が揃ってゲームをやっていたからとか、そんな理由で入ってはいない筈だ。

彼はコントローラーを動かす指を止め、今度は横ボタンを押す。がたりと大きな音がして、月が窓から消えていく。ドーム型の天井が回転しているのだ。天文室の天井はアオイによって何周かふざけて回され、結局月から30度ほど斜めの位置に落ち着いた。

「夏の大三角が見えるな」

アオイの言う通りだ。夜空に点々と二等辺三角形が見える。天の川の真ん中にあるのが白鳥座のデネブ。天の川を挟んだ2つの内、両脇に小さい星が2つあるのが鷲座のアルタイル。残ったのが琴座のベガ。去年の天体観測合宿で習った。 

 隣でガサゴソと弄る音がする。

「副部長ー、ポテチいる?」

「何味?」カナザキさんが差し出すのだ、まずこれは聞いておかなくてはならない。

「のり塩」

「いただきます」

よかった。人類が食べられる味だ。一枚貰った。

作業BGMは炭鉱節。合いの手にポテトチップスのパリパリ音が黙々と続く。何故炭鉱節なのかと聞かれても困る。選曲はアオイだし、歌詞の通り月が出てるんだから合っていると言えば合っている。

ちなみに先代の観測テーマ曲は有名なロックバンドの、星をテーマにした曲だった。至ってまともだ。

「コウ、とりあえず望遠鏡にデネブ入れといて」

「了解」

僕は部屋の中央に鎮座する天体望遠鏡のコントローラーに白鳥座のデネブの位置を入力する。矢印ボタンを連打して星の名前を手繰っていくと、「デネブ」の名前を見つけて、決定ボタンを押す。

次は望遠鏡が送ったデータを机の上にあるパソコンと同期して、さらに位置を絞り込む。カナザキさんがマウスとエンターキーを使って、デネブの位置を再転送した。この作業をやる度に、どうして星の位置は毎日変わるのに、正確な位置が分かるのだろうとつくづく思う。

星の座標を受け取った望遠鏡は自動で動き出した。まず部屋をぐるりと回って、

「痛って」

頭をぶつけた。金属バットで地面を叩いたのとそう違わない音がした。

「大丈夫?暗いからね、気をつけなよ」カナザキさんに言われながら、疼く後頭部をさすった。

方向が決まった望遠鏡は、今度は高さを調節する。上を向いていた筒が下がって、ぴたりと止まった。

まだ時間が早くて星が高く昇っていないのか、望遠鏡の筒は水平に固定されている。脚立が必要だ。

アオイが背の高い脚立を持ってきて、レンズを覗く。よく見えないのか、首を傾げた後に『6×』と書かれた接眼レンズを『9×』に変え、クラッチで見る位置を微調整する。

「おおー、見えたぞ。ほら」そう言ってアオイは場所を明け渡す。

僕は空いた脚立の上に乗って望遠鏡を見た。

「おおー」

アオイの言葉をオウム返しする。

黒い背景に青い点一つ。僕にとってはこのくらいの感動しか見いだせない。確かに、綺麗だ。だけど、なんだか装飾電球並にしょぼい。同じ星でも去年の夏合宿で見たような、夜空一面に天の川と星々が広がる光景の方が現実を忘れるほど綺麗だった。

 要するに、星の光の素晴らしさを理解するのに、素人には近すぎるのだ。

さっさとカナザキさんと位置を代わる。彼女もまた、「おおー」と僕と似た感想を述べた。脚立を降りながらカナザキさんはアオイに聞いた。

「星の光ってさ、自分で光ってるんだよね」

「他の光を反射してるものもあるけど、デネブはそうだね」

「あれも太陽みたいに燃えてるの?」

「そう。それで燃料が切れると、塵になったり、爆発したりして死ぬんだ」

「ふーん、そっかぁ…」彼女は望遠鏡が向いてる方をじっと見つめる。それから、自分を皮肉するように苦笑した。

「おかしいわね、私達死ねないくせに、星が生きてるのを見て綺麗なんて」

 アオイと僕は頭に疑問符を浮かべている。

「人為的に生き返らせるのって、消えた蝋燭にもう一回火つけるようなもんでしょ?でもそれは自然界ではありえない。生き返ることが出来るなら、最初から火はついてないんじゃないかなって、思った」

「なるほどねぇ、君らしい」僕は彼女が病院のベッドで自殺した理由をぶちまけた時の事を思い出した。

 帰り道、ふと空を見上げた。目を凝らすと望遠鏡で見るよりもたくさんの遠い命が見える。

 何億光年先でもはっきり見えるほど、強く生きている。

 我に返ると、他の2人は数歩先まで進んでいた。僕は小走りで2人に追いつく。そのまま僕らは暗闇の中を抜けていった。

 今日もまた、死人は生き返る。

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