第5話
その曲はギターの優しい音だけで始まり、ゆったり波に揺られているようになった。
そこから徐々に楽器が重なり壮大になる。波がうねり、海岸に打ち付けるような音の数が聞くものを飲み込んでいる。
私はその曲が葛西くんが作った曲だとすぐにわかった。私の彼に対してイメージそのままなのだ。ここまでの曲が作れるとは思っていなかったけど聞いたらわかる。葛西くんの音楽だ。
「何してんだ!」
「今すぐ止めなさい!」
先生たちがやってきた。浦野くんが放送室から摘み出されて、部屋の前にたたずんでいた私たち二人も連れて行かれた。重要参考人なんだろう。浦野くんの動機はよくわかる。
「これは、浦野くんは、みんなに聞かせないといけないって思ったんじゃないですかね」
葛西くんが言った。
「それがよくわからないんだよ。何でそう思うんだ?北野もそう思うのか?」
私の担任の先生だ。
「そうです、思います」
それから5時間目の途中まで私たちはそれぞれの部屋で事情聴取をされた。吹部の顧問の滝野先生と葛西くんのクラスの担任の村井先生が間に入ってくれて3人ともお咎めは無しだった。
浦野くんは反省文を書くことになり私と葛西くんは放課後に村井先生の所に行くことになった。
私たちは教室に戻る元気はなく、3人で中庭のベンチに腰掛けた。
「何であんなことしたの?」
「ごめん。でもこれは絶対僕一人が聞いて良いものじゃないと思って」
「うん、私もその気持ちはわかった。これはみんなが聞いたほうがいいって思った」
「やめてくれない、恥ずかし過ぎる」
葛西くんの顔を伏せた発言に浦野くんがまず笑った。その後に続き私たち二人も、緊張の糸が緩んで、感情が押し寄せ、笑った。
私たちは5組の教室の入り口で葛西くんを呼んだ。葛西くんはいつものように迷惑そうな顔をしていたが、嫌ではないようだ。
今日は浦野くんと3人で軽音楽部に行ってみることにする。葛西くんは「嫌だよ」と言っていたが無理やりにでも連れて行こうと思う。
実は先日の浦野くんの暴走事件の後、村井先生が声を掛けてきた。葛西くんも浦野くんも友達が少なくて寂しそうなんだと言っていた。
私は「でもそれは個人の自由ですよね」と言うと、「それはわかるんだけど、葛西も浦野も誰かと仲良くしたがってる雰囲気はあるんだよ」と言っていた。村井先生はよく生徒のことを見ている先生なんだと思った。
村井先生はあまり他のクラスまで名前が轟くような人気の先生ではないし、3組は村井先生の授業はないのでこんな先生だと言うことを知らなない。
葛西くんは2年間も担任をしてもらっている。羨しい限りだ。決してうちの担任が悪いわけではないのだけど。
そんな村井先生から「2人をよろしく頼む」と言われたのでそうするしかない。だから2人を軽音楽部に連れて行きたかった。
この間の全校生徒が聞いたであろう葛西くんの音楽は軽音楽部ならわかるはずだ。それに、評判も上々だった。
あの日クラスに帰ってから、「昼の音楽カッコよかったね」と話しかけてきた友達がいた。そうなのだ、これは誰かの心を動かす音楽なのだ。
私も音楽をしているからわかる。感動したのだ。そんな力を持っているのだ。音楽には。
「葛西くん行くよ」
なんだかんだと葛西くんは付いてくる。面白い人だ。口では「何でだよ?」「必要ないよ」と言っているが、本当は行ってみたいし、バンドを組みたいのだろう。
「葛西くん、バンドを組むなら、葛西くんは当然ギターだよね?歌は歌わないの?」
「どうなんだろうね、僕は歌が下手だし、それに軽音部に行ったところで人が余ってるって事は無いんじゃないの」
「え、そうなの?てっきり何人も楽器を出来る人が待機してて、希望に合わせて出て来るのかと思ったてた」
「いやいやマッチングアプリじゃないんだから」
そんな話をしながら歩くと部室の前に到着した。軽音部も2号館で一階にある。大きい音が出てもいいように防音がしてある部屋だ。うちの学校は何故か音楽に関する部屋は設備がちゃんとしていていい。
「たのもー」
「果し合いでもすんの?」
「始めが肝心でしょ。もし中にいる人がモヒカンでドクロの革ジャン着ていたら、はじめに一発かましておかないと」
「いないいない高校の軽音楽部に今時そんな人。すみません、お邪魔します」
部室にはドラムの音が鳴っていた。打楽器は好きだ。楽しい気持ちになる。
葛西くんと浦野くんは魅入っていた。私にもわかる。このドラムは上手だ。
ドラムの音が鳴り止んだ。
「すみません!」
「はい、あ、ごめんなさい、今、僕だけしかいなくて部長は今日は活動出てないので」
物腰が柔らかいその男の子の印象は『幼い』。小学生が紛れてきたのではないかと思ってしまうような感じだ。身長も少し低いのだろう、それより何より顔が幼い。
「僕は、1年の大原です」
そう名乗ってわかった。新入生なのだ大原くんは、つい半月前までは中学生だったのだ。幼いわけだ。
「1年なんだ」
葛西くんが言った。
「ドラムはどれくらいやってるの?」
「小3の頃からやってます」
「そうなの?!葛西くん負けたね」
「いや、何にだよ。他のバンドメンバーは?」
「今は誰とも組んでません」
「今は?」
「はい、中学の時には音楽スクールでバンドを組んでやってましたけど、高校進学でバラバラになっちゃって、それで軽音部に。けれども誘われた人達とセッションしてみると、『なんか違う』って言われて断られるんですよね。皆さんはバンドですか?」
私が答える。
「そうそう、私は違うんだけど、この二人はバンド組んでるんだ。葛西くんはギターで浦野くんはキーボード」
葛西くんの鋭い目と怖い顔が向いた。『何を出鱈目言うのか』と。構わず答える。
「でも二人じゃ心許ないから、誰か他にやってくれる人を探しに行こうよって事で軽音楽部に顔を出したの」
「そうだったんですね。あの、よかったら僕なんかどうでしょうか?」
「えぇ本当に!いいの?よかったじゃん、ドラムはいなかったんでしょ?」
「いや、ちょっと待って、バンドって、確かに音楽は出来るけど、浦野くんは作る専門でちゃんとキーボードが弾けるとは限らないでしょ」
「弾けるよ」
「え?!」
大原くんがそんなやりとりを見ながら
「ギターもあるし、3人でちょっとやってみてもいいですか?ギター弾いてください」
葛西くんはギターを見ていた。
部室にあるエレキギターはストラトキャスタータイプのギターだ。ボディのネック側が二股に分かれていて、ボディだけでの見た目はクワガタムシのように見えるギター。
もちろん意味はある。ギターはネックとボディの大まかに言って2つのパーツがある。ボディは音がなる場所で増幅もしてくれる場所。
ネックは押弦することで鳴らしたい音を決める場所。押弦はボディに近づけば近づくほど高い音が出る。それを無理なく出せるように二股に分かれているのだ。
僕はそのギターのストラップを肩から下げてみる。自分が引きやすいポジションに直して。
その次にシールド(アンプとギターを繋げる線)を挿す。アンプ側にも挿して電源を入れてみる。マーシャルのアンプだ。
確かにストラトキャスターとは相性がいいアンプだ。ジャキジャキした歪んだ音が心地良いコンビだ。少しづつ音を出して音色を変えてみる。
低音、中音、高音のバランスをとって、歪み具合を調整して。
「ちょっとドラム叩いてみて」
「オッケー」
今度はドラムとの音量を調整する。ドラムの音でかき消されないようにだ。ドラムの8ビートのリズムが体の奥まで突き刺してくる。
テンションが否応なく上がる。バランスはこんなもんで、このリズムに合わせてみよう。リズムを支えてくれているとどこまでも弾いていられるような気がする。
気持ちがいい。一通り弾いて周囲を見てみる。浦野くんがそこにあったキーボードをセッティングしている。早く入って来いよ。そんなことを思っていたら、大原くんが、煽るようにタム廻しをする。自然と笑いが溢れる。
なんて楽しいんだ。音が弾け飛んでいる。別の音が加わった、浦野くんがキーボードを弾き出したのだ。こんなに弾けたんだと驚きはしたが、そんな事はどうでもいい。今はこれを続けたい。3人で音の渦を作る。
一度出来てしまった渦の中では身を任せてしまったほうがいい。しかし、大原くんは演奏を止めた。
「え、なんで止めたの?」
「スッゲー気持ちよかった。こんなにドラム叩いてて楽しかったことは久しぶりです。この間昼休憩に突然放送された曲もすごく良かったんですよね、あれ誰の曲なんですかね?」
「あ、あれはね、葛西くんが作ったんだよ」
北野さんが嬉しそうに言った。
「え!そうだったんですか!うわ、嬉しい!これから一緒に演奏してくれませんか?」
「あの曲?」
「はい、弾いてくださいよ、合わせますから、あの曲って歌ってあるんですか?」
「うん、一応あるけど・・・歌わないよ?」
「えぇ!いいじゃないですか!マイク準備するんでお願いしますよ」
そう言って大原くんはマイクを手際よく準備した。どうしよう?歌には自信がない。
「それじゃあ行きましょう。一応入るところ合図してください」
「浦野くんは大丈夫なの?」
「俺はあの音源持って帰って分析させてもらった」
「そうなんだ・・・」
「やってみましょう!」
少しの間が空いた。目の前は浦野くんで、右斜め横には大原くん。三角形の形になっていて、そこから少し離れた左側の目の端に北野さんが聞いている。深呼吸を1つ。ギターに合わせてマイクに向かって歌を歌う。
『朝から降る 雨を押し退けるように 見えて来た 太陽に雲が照らされて始まりの日を祝っている 別に何が変わるわけではないけれど 心のモヤモヤが一緒に晴れていくことはないけれど 確かに少し笑顔になることが出来るんだ どうかな明日も見ることが出来るかな 重たいホコリ臭い 気味の悪い空気が洗い流されて 綺麗になって 新しい風が吹いてくる 体を撫でて通り過ぎていく風を捕まえたくて 走ってみた もちろん捕まえることなんか出来ないんだけど 確かに心は洗い流されていたんだ どうかな明日も見ることが出来るかな どうかな明日も見ることが出来るかな?』
僕は歌い終わった後に逃げ出した。僕には無理だ。バンドに誘ってくれたが僕は「バンドなんて出来ない。ごめん、今日のことは忘れて」と言って逃げ出した。
何で?・・・僕は一人がいい。誰かと仲良くすればきっと裏切られる。馬鹿にされる。認めてくれなくなる。もう嫌なんだ。誰かと仲良くすることは。
それから数週間何もなかった。浦野くんも北野さんも訪ねてくる事は無くなった。
あの時の出来事は夢だったように思えてくる。何も無かった時のように僕は再び学校生活を送っていた。
そんなある日、村井先生が放課後にきた。また手伝いを頼まれるのだろう。
「葛西、ちょっといいか?」
神妙な面持ちでいる。人懐っこい顔には似つかわしくない顔。こちらも疑り深くなる。
「何ですか」
「最近、浦野と何かあったのか?」
「何故です?」
「この間まで北野と3人で一緒にいただろう」
「それがどうしたんですか?」
苛立ってきた。この人は僕にではなく浦野くんの為に僕を紹介したのだろう。それが上手く行きそうだったのに途切れてしまったことが不思議なのだ。僕ではない、浦野くんだ。
「何かあったら教えてくれな」
我慢が出来なかった。
「わからないですよ!浦野くんのことなんて!先生だって僕を通して浦野くんのことを心配してるんでしょ。友達がいなくて可哀想な浦野くん。そういえばうちのクラスにも友達がいない奴がいたな、紹介してあげよう。これで仲良しこよしになって俺は嬉しい。って思ってるんでしょ。自分の自己満足の為に僕を使わないでください」
そうじゃない、そうじゃないんだ。わかってる、なんて事のない会話なんだ。こんなに人の気持ちの裏を見ようとしたってダメなんだ。わかってるんだ。でも出てくる言葉はこんなのことばかり。
「ごめんな、そんな風に葛西が思っていたなんて、先生配慮に欠けてたよ。ほんとすまなかった」
謝らないでくれ、僕のただの嫉妬だ。
「だけど、葛西の気持ちを教えてくれてありがとう」
居たたまれなくて。もう早く出たかった。
「失礼します」
僕は足早に教室を去った。
家に帰ってギターを弾いたが感情がごちゃごちゃになってしまう。このまま部屋の中にいてもどうしようもない。僕はギターを手に持ったまま家を出ていた。
歩きながらこんな感情になってしまったのは北野さんが現れたからだと思った。北野さんがあの日校門で演奏なんてしていなければ話をすることも、出会うこともない人たちがいた。それに会ってしまって、いろんなことが頭の中で渦巻いて・・・
僕にはギターがあれば良かったのに、それを弾いていればどんなに辛いことがあっても大丈夫だったはずなのに、全部北野さんが悪いんだ。北野さんが悪いんだ。僕が悪いんだ。過去のことを引きずって、誰のことも信用できない僕が悪いのだ。また負の連鎖が続いている。ここはどこだ?
ふと気づくと川の土手の手前に立っていた。
「そういえば北野さんは朝土手で練習してるんだっけ?」
そんな独り言を言いながらとぼとぼ歩いていた。僕もどこかで弾いてみよう。
ちょうどいい場所を見つけて腰掛けた。流れていく川を見ていると心のごちゃごちゃも流れていくようだ。
川のせせらぎに耳を傾ける。別の音が混じって聞こえた。聞き覚えのある音。清々しくて芯のあるトランペット の音。川の対岸には北野さんがいた。
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