メタセコイアの木の下で

河原四郎

第1話「体育祭の終焉で」

 高校二年の体育祭は、何とも言えないもやもやとした充実感を感じながら終ろうとしていた。

「あーあ。お前が靴ヒモ踏んで、柔道部顔負けの特大前回り受け身をパフォーマンスしなけりゃ、リレー、勝てたのになあ」

 河合信幸は深くため息をつくと、隣を歩く荻原悟を責めるような視線でわずかに見上げた。荻原はすこしばつの悪い顔をして、河合から顔をそむけた。

 二人はごみの詰まった段ボールを両手で抱えながら、校舎裏の臨時ゴミ置き場にむかっていた。段ボールには、応援合戦で使用された手作りの道具たちが可燃物と不燃物に分けられて、箱が膨れるまで詰められている。

全校生徒九百人が白熱した体育大会は、沈みかかった秋の夕暮を合図に閉幕された。萩原の通う県立東尾高校の体育祭は、学校全体が八つの色の団に分かれて白熱し戦いを繰り広げる。荻原のクラスは青色がカラーだった。

他団に比べ運動部が多く、優勝候補と言われた青色団だったが、バスケ部エース、青色団の期待のランナー萩原の思わぬアクシデントでリレーの得点を落とすと、見る見るうちに勝機が消えていった。ただ結果が悪いのならあきらめもつく。だが、ふたを開ければ結果は四位。喜ぶことも悔しがることもできない、まして自虐の笑いのネタにもならない中途半端な結果に、荻原を含め団全体が消化不良を起こしているような雰囲気を漂わせていた。

「結局、カワイイ女子とも写真、撮れなかったしな」

 河合は相変わらず、顔を少しふくらまして荻原の隣をせかせかと歩いている。身長差のためか、小柄な河合は少し早歩きだ。

「女子とは撮ってただろ」

「あれはみんなとだし、俺好みのアイドル系美少女となんて撮ってないよ」

 悔しそうな表情で語る河合から、荻原はもう一度目をそむけた。いくら同じ男子だからと言っても、クラスメイトの性癖に近い美少女主義には、あきれざるを得なかった。荻原の目は自然に、校舎に沿って植えられた中庭のメタセコイア並木に向けられた。

 九月も下旬になれば、日の傾きと合わせてやわらかいそよ風が、日差しで火照った皮膚をやさしく冷やしてくれる。荻原の目線は、ほほを伝って後ろから通り過ぎた風を追うように、メタセコイアの木々を手前から奥に移っていった。

つい昨日まで汗を流し、校舎とは真反対のグラウンドの端まで聞こえる大声を出して必死に練習をする応援合戦の集団は、もうそこにはなかった。木の高さを超える校舎に南を阻まれ、薄暗くなった中庭は、今は人影ひとつない。メタセコイアの回廊は、秋風に落ち葉を巻かれひっそりとしていた。

「終わっちまったな」

 ごみを段ボールごとコンテナに投げ込んだ荻原は、ため息交じりに言った。

「彼女つくりのチャンスが、か」

 河合はにやにやとしながらこちらを見つめている。荻原は呆れてもう一度大きなため息をつくしかなかった。

このクラスメイトの頭にはどうやら恋愛のことしかないらしい。

 二人はもと来た道を戻った。

「これから部活か?」

 河合は大きく背伸びをして、あくび交じりに言った。

「いや、今日はない」

「お前のところにしてはめずらしいな」

 河合の声を耳に通しながら、荻原は渡り廊下から中庭に目を向けた。渡り廊下を通るたび、荻原は、メタセコイア並木に目を向けるのが癖になっていた。

「あれ」

 薄暗い中でも目立つ袴姿の男子が、木々の間で誰かと話していた。荻原は足を止めると、目を細めた。

「どうした」

 隣の河合もつられて足を止める。袴姿の男子がだれか気が付いたのは、河合のほうだった。

「あれ、宇田じゃね」

 河合は両手を双眼鏡のように額に当てると、覗きでもするように姿勢をかがめた。

「それに、話してるの、女子だ」

 河合の口元がわずかに上がるのを横目に、荻原は袴姿の宇田啓吾の姿をじっと観察した。

 暗さのせいで表情まではっきりと見えなかったが、何か深刻そうな顔をしているのははっきりと感じられた。啓吾の目の前にいる女子は泣いているように見えた。啓吾は何かを言って軽く頭を下げると、何の躊躇もなくこちらに近づいてきた。

 荻原はあわてて顔をそらして、その場を去ろうとした。だが、隣のひょうきんなクラスメイトのせいで啓吾と顔を合わせなくてはならなくなってしまった。

「どうした、宇田」

 河合は何かを悟っているかのような、含みのある言い方をした。荻原はばれないように舌打ちをした。啓吾が誰かに告白されたと、血気盛んな河合にいうはずがない。

「いや、特に」

 啓吾は不愛想な反応を見せた。右手には弓道特有の「掛」と呼ばれるグローブをつけている。

「これから部活か、啓吾」

 荻原は女子と一緒にいたことなど気づいていなかったかのようなそぶりで、河合の話を逸らした。

「ああ。秋大会まで二週間切っちまったしな」

 そういう啓吾の口元が、わずかに歪んでいた。彼は試合が近づくにつれ、どんどん練習にのめりこむ癖がある。途中で練習を中断させられるようなことがあると、すぐに不機嫌になるのだ。

荻原は気づかないくらい小さなため息をついた。啓吾にとって、こんなことで呼び出されたことが、腹立たしいのだ。

「そうか。じゃあ、がんばれよ」

 荻原は当たり障りのないように啓吾にエールを送ると、まだ何か聞きたそうな河合の襟を引っ張って教室に帰って行った。

 帰りざま、荻原は一人置き去りにされた女子の立っていた方をちらりと目にした。しかし、そこには薄暗い木々の間を静かな風がカラカラと落ち葉を転がすだけだった。

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