第3話 鳥羽くん

 私も、もう懲りた。根拠のない思い込みとか噂話で人のこと探るのは、もうやめよう。勝手な思い込みとか、早とちりはもうしない。


 でも、それが、学年全体に向けて張り出されている、客観的な数字なら話は別だ。しかも、それが、同じクラスの、隣の席の男子だとしたら。


 私は平均点をかなり下回った今回のテスト。その各教科の点数と、全教科の合計点の、それぞれ上位10位までが廊下に張り出されていた。


 合計点1位に載っていたのは、右隣の席の鳥羽靖二とばせいじだった。


「ねえ」


 数学の授業中、先生が板書してる間、こっそり鳥羽くんに話し掛けてみた。


「どうしたらそんな頭良くなれるの」


 鳥羽くんは、いきなり話し掛けられたことにちょっと驚いたみたいだ。


 天は二物を与えず。糸みたいに細い目に、そばかすだらけの顔。くしゃくしゃした髪はろくに手入れしてないんだろうな。鼻筋はスッとしてるのに、ちょっともったいない。多分女子に話しかけられたこと自体あまりなさそう。


「……別に、普通に勉強すりゃいいだろ」


「えー、何かもっと特別なコツとかないの?」


「とりあえず授業中しゃべってないで、ちゃんと授業聞くことだな」


 ごもっともー。私は何も言えず、右を向いたまま机に突っ伏した。


 目の前に、鳥羽くんのノートが見える。字は汚いけど、スラスラと意味不明の数字とアルファベットの羅列が続いていって、答えらしき数式に行き着いた。そこで鳥羽くんの手が止まる。


 私は、突っ伏した姿勢のまま、顔だけ黒板を見上げた。


 あれ? 先生は、まだ数式の途中を書いている。


「何で先生より板書早いのさ」


「自分で先を計算してんだよ。まさか高橋、文字をそのまま写してるだけじゃないだろな」


 まさかも何も、それしかないし。天才には、凡人の気持ちなんか分かんないよ。


 こいつの頭の中は、どうなってるのかな。天才にしか分からない苦悩。親が教育ママだったり、周りの期待に押し潰されそうになったりするのだろうか。


 いやいや、今度は勝手な思い込みとか尾行とかしない。


 けど、それだとこの後の話が進まない。


 だから、単刀直入に聞く。


 ◆


「ねえ、そんだけ頭良いと大変じゃない?」


「は?」


「われわれ凡人には分からない苦悩とかあるんじゃない?」


 次の英語の授業中、隣とペアでの音読の時間、懲りもせず鳥羽くんに聞いてみた。


「何言ってんの?」


 鳥羽くんは明らかに怪訝そう。さすがに、単刀直入すぎたか。


「だってさ、そんな頭イイ人が隣の席にいるなら、いろいろ聞きたいじゃん。天才の頭の中が分かれば、頭よくなる秘訣も分かるかなって」


「何なんだよ、高橋。さっきから」


 呆れ顔で、それでも満更でもなさそうに、鳥羽くんは答える。


「私も心を入れ替えたんだよ。今回のテストで反省して、もっといい点取れるよーになりたいなーって」


「んなこと言っても、頭良くなる秘訣なんてある訳……」


 鳥羽くんは、一瞬何か考えるそぶりをした後、思いついたように言った。


「いやあるよ、テストで高得点とれる秘訣なら」


「なに、あんの? あんなら教えてよー」


「うーん、ただ教えても身にならないだろ」鳥羽くんはいたずらっぽく言った。


「今度の小テストで俺に勝ったら教えてやるよ」


 はあ?


 何調子乗ってんのこいつ。何様。無理だし。


 秘訣ってのもどうせ、「俺様に勝てたってことは、その勉強法がいちばんの秘訣だ」とかなんとか言うんでしょ。


「何その話……」


 溜め息交じりで答えると、鳥羽くんはちょっと残念そうに眉を下げた。その反応に、口元がにやける。


「……おもしろいじゃん」


 ◆


 普段ならそんな話、鼻で笑うだけで相手にもしなかっただろう。でも、今の退屈な私は、とりあえず日常と違うことがあれば、何でも乗ってみたかった。調子乗ったインテリの妄言でも、万年平均点の私には無謀な挑戦でも。


 と、いうわけで、部活を終えて帰宅すると、1週間後の小テストに向けて早速教科書を開いたのだった。


 要は単語と熟語の暗記だ。覚えりゃいーんでしょ。覚えりゃ。単語をひたすら単語帳に書き写す。最初はやる気だが、単純作業に、だんだん、眠くなる……。


 はっ、と気づいたら、お母さんに背中をさすられていた。なかなかお風呂に入らないからって心配して見に来たとか。時計を見ると、もうすぐ日付が変わる時間。たぶんLINEの未読も溜まってる。


 お母さんは、「急にどうしちゃったの? テストもこれくらい勉強してくれればよかったのに」だってさ。


 ◆


 次の日、通学の間じゅうずっと、私は単語帳を繰り返し眺めた。その日の夜は、前日終えることができなかった単語帳への書き写しを終えることができた。次の日、私は電車の中で単語帳を開いた。単語帳をめくればめくるほど、単語の意味が記憶されるようになった。早くも勉強の効果が出てきたのか、英語の授業で、先生が黒板に書いた例文の意味が、すっと頭に浮かぶようになった。私は先生に指し示されて、見事に正解を答えることができた。英語がもっとも苦手な教科の一つだったということが、もはや信じられない。


 なんか、私の語り口までもが、英語の授業みたくなってきた。


 まあ、この分なら、満点も行けるかも。でも問題は、鳥羽くんだって満点を取るんじゃないかってことだ。それじゃ勝てないじゃん。同点も条件に入れてもらうべきだった。


 テスト前日。毎日単語帳見てるし、もう完璧だろうと思いつつ、復習がてら単語帳の日本語の方を見ながら、英単語をノートに書き出してみた。


 が、あんなに毎日見てたはずの綴りが出てこない。この単語だってのは分かるけど、ここaだっけ? uだっけ? ってのが、どんなに思い起こしても出てこない、みたいな。recieveじゃなくて、receiveなのかよ、とか。


 やばい。これ勉強した気にだけなって、実は頭に入ってないってやつだ。私は、慌てて単語の書き取りを始めた。一通りやって、また最初みたいに日本語を見ながら英単語を書き始める……。


 ◆


 そして、とうとう小テスト当日。いつもは、部活の忙しさを言い訳に、当日の朝になって慌てて教科書を開いてるところが、今回は単語帳を復習するだけ。昨日、あの後の勉強の甲斐あって、綴りも大分頭に入ってきてる。


「どしたの、美咲。単語帳なんか用意しちゃって」


 彩佳が驚いたように聞く。


「ま、こないだのテストで私も反省したわけだ」


 鳥羽くんとの勝負のことは、笑い飛ばされるだろうから内緒。


 2時間目の英語の時間。


「勉強してきた?」と鳥羽くんはいたずらっぽく笑う。


「もちろん」と私はピースサイン。


 テスト用紙が配られる。いつもは、分かる問題を探すところから始まるけど、今日は違う。順調に問題を解き進めていく。あっ、ここ昨日やったとこだ。自信満々で receiveと書く。何度も見直して、テスト終了。


「どうだった?」


 鳥羽くんが自信ありげに聞く。


「バッチリ」


 テストが終わったら、急に眠気が襲ってきて、その後の授業は半分くらい寝てたけど。


 ◆


 そして、運命のテスト返し。私はニヤニヤしながら、テスト用紙を鳥羽くんに見せた。


 満点。


 鳥羽くんは驚いてテスト用紙を見つめる。


「私だってやればできるんだよ」と私はまたもやピースサイン。


「で、鳥羽くんは? でも、鳥羽くん頭いいし、どーせ満点かなー?」


 鳥羽くんは下唇を噛んだ。ちょっと渋ってから、テスト用紙をこっちに突き出す。丸印が並んでいる中に、一つだけ✓マークがあった。そこに書いてあった答えは“receive”。吹き出しそうになったわ。


「しょーがねーな。約束は約束だからな。何だっけ? そうそう、テストで高得点とれる秘訣って言ったな……」


 鳥羽くんはもったいぶったように言う。そのわざとらしい口調が面白い。


 私は笑いながら言った。


「分かってる、鳥羽くんに勝てるだけの点数取れたんだから、もう秘訣は必要ないよ。繰り返し勉強したり、紛らわしいスペルなんかは、書くといいって分かったし」


 鳥羽くんはキョトンとしてる。私は続ける。


「その代わり、天才にしか分からない苦悩教えてよ。こないだははぐらかされちゃったけど、天才少年の頭の中とか、興味あるんだよね」


 鳥羽くんは、呆れた目でこっちを見た。


「あのなあ……高橋、お前こないだからやけに持ち上げてくると思ってたけど……本気で俺のこと天才とか思ってるのかよ」


 今度は私がキョトンとした。鳥羽くんは、頭の悪い子に言い聞かせるように言った。


「高橋、ここが偏差値真ん中の学校って知ってるだろ。俺だって中学じゃせいぜい真ん中よりちょっと出来るくらいだったし、もっと頭いい奴はもっと頭いい高校に行ってるんだよ」


 そうだった……。いや、それくらい分かってたよ? それでも私から見たら天才なんだってばー。


「俺はたまたま部活もやってなくて、勉強する時間あるだけなんだよ。だいたい、このレベルのテストなんて、まともに勉強すれば点数取れるんだって」


 確かに。私は満点のテスト用に目を落とす。


「ま、定期テストともなると、勉強するにもコツがあるけどな。あーあ、せっかく俺に勝ったんだから、約束通り、家庭教師の兄貴直伝の勉強法教えたろーと思ったのに 」


 なんだ、頭いいのはお兄さんが理由かい。っていうか本当に教えてくれる気でいたとは。


「何それ知りたい」


「いいや、高橋の態度が気にくわないから教えない」


「ずるい! 教えてよ!」


「おい、お前らうるさいぞ!」


 思わず声を荒げたら、先生の一撃。


 あーあ、せっかく勉強がんばったのに、何なのさー。またこんなオチなのー!?

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