闇を抱えてる系主人公にはもう飽き飽きだ

笠原たすき

第1話 田村さん

“でも……こんなこと言ったら、引いちゃうでしょ……?”


“気にしないさ、何でも言ってごらん”


“実はね、私……中学のとき、いじめられてたの……”


 ああ。またこの手の流れか。高橋美咲たかはしみさきは溜め息をついて漫画本を閉じた。


 実は虐待されてたの。親が離婚したの。治らない病気なの。昔の夢を諦めたの。恋人が自殺したの。等々。フィクションの世界はいつもそう。誰かしら特別な闇を抱えた人物が登場する。


 すぐ隣にいそうなごく普通の登場人物の、心の奥に秘めた闇や秘密が明らかになる――そんな場面になった瞬間、それまでページを次へ次へと進めていた共感の気持ちはすうっと離れていく。


 ◆


 私は一見普通の高校生に見えて、本当に普通の高校生だ。特別な背景もトラウマも何もない。都心まで1時間弱のベッドタウン。父は中小企業のサラリーマン。母は近所のスーパーのパート従業員。女子大に通うリア充の姉。円満な家庭に育って、地元の小中学校では特にいじめや犯罪に巻き込まれることもなくフツーに楽しい毎日を送った。受験勉強はそれなりに大変だったけど、射程圏内の偏差値55の地元の公立高校に一般入試で無事合格。成績は平均点の上と下を行ったり来たり。クラスでは、3つある女子のグループのうち、派手でもなく地味でもない、運動部の子が集まるグループでつるんでる。ダンス部所属。彼氏はいないけど、この学校じゃ、いない方が多数派だし。憧れは、よく部活で応援に行く野球部のエースの先輩。まあ高嶺の花なのは分かってる。


 もちろん、今の日本社会じゃ、そういうフツーの生活が、最早ハードルが高くて普通じゃないってこと、もう高校生だから、それくらい知っている。家も車もあって、両親とも揃っていて、学力さえ問題なければ大学に行ける余裕があるなんて、羨むような生活なんだろう。


 でも、私は同じくらい、それを知った誰もが同情するような“設定”がある人が――あなたが特別な人であるという証に語れる“闇”がある人が――つまり“闇を抱えてる系主人公”が、羨ましいとこっそり思っている。


 そんな私の日常も、いたってフツーだ。朝は父や姉よりも早く起きて朝練、授業前にその日の小テストの勉強をして、テストの結果に一喜一憂。昼はいつもの仲間とお弁当を食べて、午後は眠たい授業に耐える。放課後はまた部活に行って、帰宅したらご飯食べてお風呂入ってLINEして寝る。部活が休みの日は、テスト前じゃなきゃ、友だちとカラオケやプリクラに行ったり、駅前のマックかサイゼで、誰と誰が付き合ってるとか、先輩の愚痴とか、流行りのドラマの話をしたり。そして家に帰って、いつまで遊んでるのなんて小言を聞き流して、またご飯食べてお風呂入って……


 ……って、これじゃ、いつまで経っても物語が進まないじゃん!


 私に何か一つでも、語れるような物語があっただろうか。強いて言えば、部活の先生が厳しくて大会前にみんなで泣いちゃったとか、いつものグループの中に1人空気の読めない奴がいて、そいつ抜きのLINEの方が盛り上がってるのが最近本人に気づかれそうとか、ついにお呼びがかかった数学の補習でさえついていけなくて隣の席の男子に笑われたとか、私の生活の中のドラマって、せいぜいそんなもんだ。そんな卒業文集の作文以下の話でだらだらと画面を埋めてもしかたない。じゃあどうする、これからどうやってこの下の白い画面を埋めればいい……?


「美咲っ、いつまでぼーっとしてんの? 更衣室行くよ~」


 いつものグループの友だち、彩佳あやかに呼ばれてハッとする。その隣には、優香ゆうか奈々なな。気づけば3時間目の英語の授業が終わり、次は体育だった。


「ごめんごめん」


 そう言って私は、開きっぱなしの教科書を閉じて立ち上がる。


 ◆


 今日の体育はバスケ。準備運動が終わると、2人組になってパスの練習をする。一緒にやろう、とわざわざ声を掛けなくても、こういうときはいつも彩佳とペアになる。他のペアとボールがぶつからないようにと、体育館の後ろまで広がろうとすると、同じクラスの田村たむらさんと目が合った。田村さんは、見るなとでも言うようにぱっと目をそらし、隅の方へ行ってしまった。


 田村さんは3つある女子のグループの、どれにも属していない。重たい長い黒髪(体育のときは結んでいるが)に分厚い眼鏡。手入れしてないボサボサの眉毛。制服のスカートはきっちり膝丈。業間休みには自分の席で本を読んだりしている。まあどこのクラスにも1人くらいいるであろうそういう奴。でもうちのクラスの女子は偶数だから、こういうときは、うちら5人グループの1人、智子ともこ(例の1人空気読めない奴。委員長だからクラスをまとめる義務感も多少あるんだろう)がペアになってあげてる。けど智子は、さっき姿がないと思ったら、毎月の腹痛が特にひどいみたいで、今日の体育は見学してる。


 そんな訳で田村さんは、壁を相手にパス練習を始めてしまった。おーい誰か気づいてあげて。先生も気づかない振りしないでよ。田村さんも自分から誰かに声掛ければいいのに。こっちから声掛けてあげるべき? でも面倒だし、彩佳も嫌だろうし……。なんて考えているうちに号令が掛かった。


 でも、こういう奴が、“闇を抱えてる系”なのかな。小中でものすごいいじめを受けて人が信じられなくなったとか? それとも発達障害とかいうやつ? もしくは家が怪しい宗教に入っていて、人と関わるなと教えられてるとか……


 そうだ。面白いこと思いついた。


 私はどこまで行ってもフツーの高校生で、私の日常をこれ以上語ってもしょうがない。だから代わりにフツーじゃない人を探そう。そりゃあ、宇宙人や未来人や異世界人がいればいいとか、昔のラノベの主人公みたいなことは考えない。でも、探せばきっと、漫画やドラマのヒロインみたいに特別な闇や秘密を抱えている人が、自分の周りにいるかもしれない。私の知らない、そんな特別な世界を探ってみたい。


 ◆


 そうと決まったら、まずは田村さんから注意して観察してみよう。


 田村さんは、他のチームの試合の見学をしている間も、体育が終わって更衣室へ向かう間も、更衣室で着替えるときも、そのあとトイレに行くときも、1人で行動していた。壁とのパス練習がさすがにキツかったのか、眉間に皺を寄せて、なんだか辛そうだった。やっぱり闇抱えてそうだなーなんて思いながら、教室へ戻って、いつもの仲間と机をくっつけてお弁当を広げようとしたときにふと気づいた。


 あれ? そういえばお昼のときどうしてるんだ? そもそもいつも教室にいたっけ? どこ行ってるんだろ? まさか便所飯とか?


 ……と思ってると本人が現れて、うちらの机の固まりのすぐ前にある自分の席に体育着の入ったバッグを置いて、机の脇に掛けてあるランチバックを取ると教室の外へ出て行ってしまった。


 いつもの友だちとお昼を食べる日常より、好奇心が勝った。私は立ち上がる。


「ごめん、更衣室に忘れ物したかも、先食べてて」


 一緒に見に行こうかという彩佳に、いいよと声を掛けて、急いで教室を出る。見渡すと、階段を上がっていく田村さんの後ろ姿を見つけた。距離を開けて後を追う。2年生の教室のある2階、3年生の教室のある3階、特別教室のある4階へと、上から下りてくる上級生をよけながら、迷わず進んでいく。そして、4階をも通り過ぎて、さらに上へと向かっていく。


 ぐるぐると階段を追いかけながら、嫌な予感がした。屋上。体育館での拒絶するような目。更衣室での眉間の皺。まさか、まさかとは思うけど、さっきのを苦にして、飛び降りようってんじゃ……


 すうっと寒気を感じ、階段を駆けのぼる。手すりに手をついて踊り場を曲がって、階段の上を見上げると……


 そこにいた3人が一斉に私を見下ろした。1人は田村さん。あとの2人は、確か別のクラスの女子2人。2人は屋上に出るドアの前の僅かな空間に座り込んで、弁当箱を広げていた。


「あ、どうもー……」


 何がどうも、だ。自分でツッコミながらも、この状況にどう対処していいか分からず、苦笑いを浮かべるしかなかった。


「何?」


 田村さんは怪訝そうな顔をしている。確かクラスでも背が高い方で、階段の真上に立って見下ろされると、かなりの迫力だ。


かえでちゃん、クラスの人?」


 弁当を広げている方の1人が、田村さんに呼びかけた。田村さん、下の名前は楓っていうんだっけ。呼びかけたのは、男の子みたいなショートカットの女子。そうだ、この子見たことある。どこのクラスだか知らないけど、この子もよくトイレとか廊下とかで1人で歩いてるわ。


「よかったら、一緒に食べる?」


 もう1人が、私に笑いかける。色白でぽっちゃりした彼女も、ウェーブのかかった髪型は垢抜けているが、同類か。


「い、いや、違うの、邪魔してごめんねっ」


 だから何が違うんだ。そうツッコミながら、その場から逃げるように階段を駆け降りた。数秒前に頭をよぎっていた妄想を思い出して、かあっと顔が熱くなる。


 そういえば、屋上って立入禁止だったわ……


 ◆


 その夜、田村さんからLINEが来た。


《今日どうしたの!? まさか体育のアレで同情したとか?……って、そんな訳ないよね。私だってつるむ相手くらいいるしーw》


 そのメッセージの後には、白くて丸い人が指差して笑っているスタンプ。ちょっとイラっとしながら、既読をつけた以上は適当にスタンプを返しておいた。そんなんだから、あんたはクラス内に友だちができないんだよ。


 ◆


 翌日の体育では、智子が復帰した代わりに、田村さんが見学していた。そうか、昨日の苦しそうな顔は、あんたもそれか。そんなことを考えていると田村さんと目が合ったが、速攻でそらされた。


「いっしょにパス練してもいい?」


 智子が相変わらずのイラっとする笑顔で、私と彩佳に呼びかける。


 結局は、これがいつもの日常で、これ以上のドラマは起きないんだなあ……

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